人を幸せにする人になろう

2013年6月16日、近江の博物館めぐり

◆考古で(とはいっても学部生2人は教育実習で、院生2人と)、滋賀に行く。米原まで北上する。はにわ館というところに行った8557cfc8.JPGのだが、カメラを持ち出すのを忘れ画像なし。図書館を含む複合文化施設、その一画が資料館になっている。埴輪を露出展示し自由にさわらせるものだが、まあ子供向け。米原町の遺跡や歴史を展示するにはスペースがないのだろう。そこに行けば、だいたい情報がえられるような施設であってほしいものなのだが。
◆息長古墳群のうちの山津照神社と古墳に行く。広姫墓は先を急ぐのでパス。神社の社殿は改修中であった(写真)。息長氏の本拠地である。

笛吹神社

◆紀美野町からの帰りに、笛吹神社に寄ってみました。笛吹神社古墳があるのは知っていたが、本殿の背後にあるとは知ら8f5c818f.JPGず、そのまま帰ってきてしまいました。また出直します。境内に、日露戦争時に奪ってきたロシアの大砲が置いてありました。
 

考古学実習で陶棺の接合をやってます

◆これ、たぶん兵庫県出土だったと思う。古い記録を探さないとわからないのだが。一定程度、接合作業がなされ石膏も入れらb05639b9.JPGれていた部分もあるが、それも破損し、それ以外の破片も集めてきて、接合をやっている。2週やって、大きなブロックが5つほど組み上がってきた。パーツはあまりそろわないが、なんとか資料化したいものである。
◆先週やって、どうしてもない部分もあり、まだ破片があるのではと、倉庫の資料を再点検したが、なかった。過去の遺物、もっと考古学実習で活用できるな~、と箱の上げ下ろしをしながら感じる。三森定男の資料がすこしある。角田に預けたものではないだろうか。
 

疲れています

◆1週間休みたいものだ。多分に精神的なものでしょう。こういう時は単純作業に限るが、先週は部屋の片づけにいそしんだ9bd177b3.JPGが、今週はその気にもなりません。写真は6月12日の状況。引越は7月の8・9日?、だそうです。

もうひとつ松岳山

◆『大阪府の史跡と名勝』に、写真がある。図版13の下。船氏墳墓の標柱がある。その下の石積み、が気になる。むこうに立石70a62511.jpgが見える。そしてさらに山並みが。なので、北側の立石かなと思われるが。坪井良平の記録した積石方形壇の姿が写っているのか、標柱のために作ったものなのか・・・。コピーのスキャン画像なので不鮮明。原本を見に行こう。

国分神社の鏡は松岳山出土

◆整理しておこう。元は下垣さんに教えてもらった話。
◆喜田貞吉「河内国分山船氏の墳墓 王辰爾墳墓の推定」(『歴史地理』第19巻第6号、1912年)。松岳山古墳後円部を55c1f96e.jpg「茶臼山」とよんでいる(松岳山より西側には視野はおよんでいない)。同行した毎日新聞社の岩井武俊の、「南河内地方旅中の見聞(3回)」でも松岳山=茶臼山との認識である。
◆そして1916の梅原の報告文。松岳山古墳の記述のところで、国分神社の鏡が寛永6年に松岳山が発掘された時に出たものとの説は、確かでない。「鏡の裏書にはただ「ちやうす山にて見いだし・・・」とあるのみにて、殊に其の茶臼山と云へるは塚にあらずしてこれより西方字市場茶臼塚のそれを指すなれば・・・」と書いている。茶臼山という場所があるとの認識を示すが、どこのことと理解しているのか示されないので(松岳山後円部でなくてどこなのか)、塚ではないという判断もこちらではできない。で、ここで出てくるのは市場の茶臼塚とある。で、字向山茶臼塚の項目のところで、2墳あって大きい方には盗掘孔があり、国分神社蔵の鏡は「此の塚にて見いだしたるものなるを知る」。とあり、字市場の茶臼塚は古墳かどうかわからんが流出して低くなっているのではとの認識を示す。小林行雄は追認。
◆結局のところ、向井山茶臼塚とする見解は梅原報告に出発し、小林行雄が追認し、これらが考古学的には基本文献であるが故にこうした見方が有力になったといえる。が、梅原報告の見解そのものの根拠は、茶臼山という場所は古墳じゃない→茶臼塚だろう、茶臼塚はたくさんある、そのうちふさわしいのは向井山にある大きい方ちゃうか、という程度の判断である。で、松岳山古墳後円部、梅原も小林も字美山であって茶臼山じゃないとするわけだが、喜田らの茶臼山とよばれているんだ、という見解とは齟齬をきたしているわけである。
◆向井山茶臼塚説に確たる根拠はなく、それよりも大正はじめに喜田らが河内をめぐった時に、当時の国分神社の宮司さんから、松岳山後円部を「茶臼山」との説明を聞いているわけである(地籍的にはどうかはともかく)。鏡が出土した「ちゃうす山」=松岳山、というのが実にシンプルな結論になる。「茶臼山」古墳はほかにもたくさんあるように、こんもりとした古墳のひとつの代名詞だが、西側のヤツが茶臼「塚」であるのに対して、大きな松岳山古墳後円部は茶臼「山」とよばれていることも納得できる話である。
 

『ふりかえれば20年』

◆ナブンケンの埋文センター20年史の冊子(1995年3月)。こんなん、大学の図書館に入れるもんやろか、と思いつつ。「登96228303.JPG録!」。ついつい中身を見る。田中琢さんの言葉。

『遺跡保存方法の検討―水中遺跡―』

◆文化庁が平成元年から3年にかけて研究会をもったが、報告書が未完になっていたものをまとめるよう主任から指示があり、dfe66190.JPGやった。刊行は2000年3月になっている。その奥付頁に、それまでの調査研究の一覧をまとめた。

商船三井築港ビルほか

◆1933年の建築物がまた壊される方針だとか。大阪市が取得する予定はないとか。時空間なんか建てるより、これを取得し、c533603f.jpg博物館にすればよかったのにね。大阪市が取得した赤煉瓦倉庫も耐震性の問題をかかえるという。一定程度、芸術村としての振興が軌道に乗っていたようだが・・・。さてと。
◆京大の吉田寮のなんとか、というのも取り壊す記事が出ていた。築100年を越える建物という。これも耐震性というが、金をかければ補強できるのでは。名所のひとつにになるだろうし、利用方法は多くあるのだろうに。寮にかかわる昔からのインネンはあるにせよ。
 

岩原古墳群

◆チブサン・オブサン含め、別?、追加指定にかかわったことがある。3923d54a.JPG

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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