人を幸せにする人になろう

骨太とか異次元とか

◆こういう虚構、中身がないのに大げさに見せる言葉遊び。つまらん。無意味。実がともなわないのを表明しているようなものではないのか。ほんとにヤル人は、こういう言葉遊びで勝負しないだろう。確信をもって妥当な施策を粛々と実行するだろう。役人らが、政策の目玉といって、話題にしてもらうためこういう言い方をし、マスコミも話題がほしくて追随する。虚しい。
◆こういうの、役所だけにしてほしいもの。マスコミは正しく判断し、そんな言葉に乗らずに中身を点検してほしい。国民も、こんな言葉で踊らないように。たぶんみなそう思ってるんだろうけど。「「骨太」なんて、よっぽど中身が整わないんだろうな」とか、「異次元というのは、いままでの慣例からは少しはみ出す程度のことをやろうとしてんだろうな」、と。

サザエさん、廃止!

◆サザエさん、次はどらえもん、ついでクレヨンしんちゃん、ちびまるこ。すべてが昭和。お父さんは会社で働き、おかあさんは家にいる。これらのテレビ番組を見続ける子供は、これが当たり前と、刷り込まれる。自民党のおっさんらの願望である社会のあり方が、これら長寿番組によって何十年もにわたって日本人の子供に刷り込み続けられる。
◆続けるなら、サザエは働きに出るべき。

今年初の岩ガキ

◆河内国分のお店です。

燕の子も大きくなり

◆これは6月4日。場所は河内国分駅西口。今日で6月も終わり、駅のエスカレーターの手前で燕を意 識しなくなったのは、ピーチクパーチク鳴くこともなくなったからだろう。こないだ燕が気持ちよく飛んでいるのをしばらく眺めていたような気がするが、さて、どこだっただろうか。
◆もうヒナではなく、飛べるようになったんでしょうね。

2023年6月3日は大雨でしたね

◆京阪神でも鉄道の運休などが示唆されつつ、うちの職場も朝から授業なしとせず強行し、中途半 端に4限から授業なし、と。授業より、この日はコースガイダンスがあったのだが、中止。帰ろうにも電車が止まれば学生は立ち往生、最低でも午前のみとすべきでしたね。
◆こっちは、電車が危ういので車。でも早めには帰る。大和川の増水の画像を撮りたかったが、撮れず。写真は石川。

2023年6月30日、神奈川に向かう

◆教授会後、新大阪に向かい、2024発で新横浜に向かう。
◆写真は翌日朝、相模大野の茶店からの写真。

2023年6月24日、信太貝吹山

◆3日目。なんとか一方の上段斜面裾は埋めた。もう1班はテラス面相当の宅地部から下段斜面を 測ってまわっていく。もう1日あれば終わりそうだが、測量シーズンではないですね。
◆そうか、この2001年図でもらった座標は局地座標なので、国土座標に置き換える測量もやっとかないといかん。

2023年6月18日、井辺八幡山ほか

◆考古の見学会、岩橋型石室第2段。最初に和歌山市博。→車駕之古址古墳→茶臼山→釜山→平井埴輪窯展示施設(日曜閉館)→大谷→鳴滝遺跡(近大付属和歌山校)→園部丸山→伊太祁曽神社古墳→井辺八幡山古墳→井辺1号墳。
◆井辺八幡山に到達。こないだ、ちょうど前方部の南西角まで取り付いていたことがわかる。果樹 園か、石垣がかなりあり、イメージが違っていて、違うと思って引き返して反対側に行ってしまっていた。ピークに到達し、またその先にピークがあり、なんだか前方後円墳かも、だけど斜面が痩せ尾根状の急傾斜で、やっぱり違うのかな、とも。が、くびれ部に相当する位置を見下ろすと、実に見事な方形壇があるではないか。ようやく井辺八幡山であることを確信した。これなんで国史跡になっていないんでしょうか。それよりも、地元の方が竹の処理をしていた。なので、古墳のことを尋ねたのだが、知らなかった。森浩一先生が1969年に調査、あれから54年。この方が65歳としたら11歳、記憶にもないんでしょうね。標柱1つ、看板ひとつない。
◆そのあと井辺1号墳に向かう。なかなかポコポコしていて古墳群らしい。これも国史跡に追加指定 すべきですね。大型方墳としてはこれだと。地図での配置もみながら確信するも、頂部の岩橋型石室はほぼ埋没していて、玄室奥壁の頂部付近のみ。これが1号墳でよいのでしょうか。「埋葬施設は、それまでの古墳と同様に岩橋型横穴式石室です。石室の全長は10・8㍍、玄室は長さ4・1㍍で羽子板形になります。現在は埋め戻され中に入れませんが、石室上部から石棚を確認できます。」とあるので、たぶん合っているんだろう。すごい、掘割でっせ!。

8月4日にむけて

◆ガイドプラス講座のおじさん・おばさんたちと町あるきを続けている。で、今度は8月にわたしが 座学をやって綿業会館の見学をするという計画になる。ああ、しんど。でもまあ、この機会に、大阪の都市的発展の基礎的な事項をまとめておこうかと。
◆1961年の航空写真地図を合成、1921年の1万分の1を合成、天保期の『新修大阪市史』付図の、140周年記念展示室を作る時に加工したもの、それらをぜんぶ統合して、各段階のものを見せるというプランを立てている。明治19年の大阪実測図も展示室の時にやった。この大阪実測図、大阪の町を近代的測量ではじめて図示したものと理解しているが、明治7年着手、地理局図籍課作成とある。この実務を担当して仕上げたのは誰だろう。なにか論文があるのではないかと思うが・・・、探せていない。
◆で、まあ始まり始まり、である豊臣期の図を置いたものまで、一応、到達した。これらの作業を、6月17日にかなりやった。

新・五代友厚伝

◆五代愛はあるんだろう。何年か前に、同窓会から五代の展示を依頼され、実現しなかったのだ が、博物館実習Ⅰで取り組んだことがある。いくつもあるなかで、文庫本になっている伝記をひとつ読んでいた。その後?、同時並行?、140周年記念展示室を作る時、大阪商工会議所に資料の撮影にも行った。大阪府立中之島図書館での展示は見逃したが、大阪商工会議所の展示は資料調査の前に見た。で、この時のパネルが実によくできていた。で、同窓会に要請された展示は、それらを貸していただいてもってくるので十分ではないかと、交渉もした。これも結局は実現しなかった。
◆で、この本、博物館実習展でやる年にでき、これをもとに履修者にまとめてもらっていたわかです。わたしは明治14年の官有物物払い下げ事件のところしか読まなかった。
◆で、このたび、最初から最後まで、通勤電車の中で通読した。かみくだいての説明、ですます調、600頁越え。根拠となる資料が明示され、通俗的な、『君伝』、五代龍作の『五代友厚伝』、宮本又次の『五代友厚伝』が、いかに虚飾に満ちているかがよくわかった。通俗的な虚像をただすことが眼目の本である。なので、「新」とあるが、すべてを取り上げたものではない。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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