人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
峯が塚の年代
◆なぜ5世紀後葉といったりするのだろうか。出土須恵器は断片だが、植野さんはMT15とする。一瀬さんもそうしている。新納さんも大刀の内容からして、そんな古くない、と言っていたようにも思う。確実に6世紀に入るものだ、ということでよかろう。かつ、市尾墓山や今城塚とほとんどかわりはない。
◆で、古市古墳群のことを考えているわけだが、岡ミサンザイのあと、ボケ山・峯が塚までの間、けっこうポッカリ空くんではないのか。埴輪で順々にならべられると、切れ目なく続いているようにも見えるが、果たしてほんとうだろうか。皆無というわけではないが、けっこう断絶的ではないのだろうか。
◆そのなかで、清寧陵と仁賢陵はあのなかにあると考えられるわけで、それがどれなんか、ということはとても重要である。むろん、ひとつひとつ考古学的な根拠を確定させていく必要があるのだが、岡ミサンザイ=雄略陵(これとて論理の整理が必要)と、今城塚=継体陵で上下を定めてみるものの、この間の配列はなかなか容易ではない。没年で言えば、雄略479(『日本書紀』)と継体527(『古事記』)で50年間もある。とはいえ、ほぼ6世紀初頭の継体擁立で世界が変わる、6世紀以降は継体政権でだいたい説明していって問題ないだろう。そうすると、5世紀末、雄略没後の20年(『古事記』では489でこれもなんでだろう・・・)、この間をどういうイメージでとらえるのがよいのだろうか。
◆で、清寧陵から考えているのだが、前の山ということはないでしょうか。ニサンザイの後継者、ニサンザイって大仙の後継者=キナシカル(的存在)で、そこそこ古い。前の山はそれを継ぐ王かとも思うのだが、それは倉西論からすると、ワカタケルの弟の清寧がいちばんふさわしいわけだ。神聖王清寧に、イチノベを殺害して執政王も允恭系が奪取してワカタケルが即位すると。清寧がいつまでいたか、考えても答などないのだが、ワカタケルと同世代と理解しておけばいいのでは。
◆埴輪だ。要するに、2次調整ヨコハケの省略の頻度で順序が決められている。『書陵部紀要』をちゃんと見る必要はあるが、前の山は墳丘の埴輪、岡ミサンザイは周堤の埴輪で比べてるのではないのか。そこあらたりで、だいたいトントンということにはならないものか。
◆白石科研の本を見直しているが、やっぱり埴輪やってはる3人で微妙に違うわけだ。共通理解に達しなくてもいいのだが、3者の相違を明示してくれるとウレシイんですけど。
◆で、古市古墳群のことを考えているわけだが、岡ミサンザイのあと、ボケ山・峯が塚までの間、けっこうポッカリ空くんではないのか。埴輪で順々にならべられると、切れ目なく続いているようにも見えるが、果たしてほんとうだろうか。皆無というわけではないが、けっこう断絶的ではないのだろうか。
◆そのなかで、清寧陵と仁賢陵はあのなかにあると考えられるわけで、それがどれなんか、ということはとても重要である。むろん、ひとつひとつ考古学的な根拠を確定させていく必要があるのだが、岡ミサンザイ=雄略陵(これとて論理の整理が必要)と、今城塚=継体陵で上下を定めてみるものの、この間の配列はなかなか容易ではない。没年で言えば、雄略479(『日本書紀』)と継体527(『古事記』)で50年間もある。とはいえ、ほぼ6世紀初頭の継体擁立で世界が変わる、6世紀以降は継体政権でだいたい説明していって問題ないだろう。そうすると、5世紀末、雄略没後の20年(『古事記』では489でこれもなんでだろう・・・)、この間をどういうイメージでとらえるのがよいのだろうか。
◆で、清寧陵から考えているのだが、前の山ということはないでしょうか。ニサンザイの後継者、ニサンザイって大仙の後継者=キナシカル(的存在)で、そこそこ古い。前の山はそれを継ぐ王かとも思うのだが、それは倉西論からすると、ワカタケルの弟の清寧がいちばんふさわしいわけだ。神聖王清寧に、イチノベを殺害して執政王も允恭系が奪取してワカタケルが即位すると。清寧がいつまでいたか、考えても答などないのだが、ワカタケルと同世代と理解しておけばいいのでは。
◆埴輪だ。要するに、2次調整ヨコハケの省略の頻度で順序が決められている。『書陵部紀要』をちゃんと見る必要はあるが、前の山は墳丘の埴輪、岡ミサンザイは周堤の埴輪で比べてるのではないのか。そこあらたりで、だいたいトントンということにはならないものか。
◆白石科研の本を見直しているが、やっぱり埴輪やってはる3人で微妙に違うわけだ。共通理解に達しなくてもいいのだが、3者の相違を明示してくれるとウレシイんですけど。
突然ですが倭王武
◆卒論提出が済み、別途、月曜〆切の仕事も終わり、ホッと一息。前から書いていたが、ちょっと2月のシン
ポジウム(チラシは右)のため準備をしていて、すこしメモを書きました。どう思いますか。
◆ワカタケルが、允恭後、ゴタゴタの上に即位する。『宋書』〈倭国伝〉では462年に、倭王済が死んで、世子興が献使したという。記紀の王統譜でいえば安康と雄略が考え得るが、『日本書紀』では安康末年は456年、雄略元年は457年。雄略紀には中国への2回の献使が記載され、派遣されたのは464と468年である。462年と合致しないが、百済の漢城陥落が1年ずれていることも指摘できる。世子興が献使した462年に近い時期にワカタケルが中国に使者を送っていることが確認できる。
◆そして、倭王武の上表文では王位継承がなされ、継いだ武が献使したと理解でき、それは中国に将軍号を求める倭の五王の論理となんら変わりはない。つまり478年近くに、倭王興から武への王位継承がなされていると理解できる。雄略22年(478年)の白髪立太子は、倉西の理解でいえば王位継承を示す可能性があることも示唆的である。
◆以上のように、倭王興の治世(462~478*)とワカタケル治世(書紀:457~479)はほぼ重なる。山尾は、倭王武=ワカタケル→倭王興=安康だから、安康が『日本書紀』では末年が456年になっているけれども、実際は462年までは存命していたとする。だが・・・。その後ワカタケルが王位を継承し使者を送ったと。中国への通交が実現して呉ハトリらもやってくるわけだが、それは『宋書』には記録されなかったことになる。『宋書』からすると、倭王武の献使は478年に初めて中国に行ったと考えられ、上表文で高句麗に邪魔されて使いを送れなかったという弁明とも矛盾することになる。
◆以上、倭王武はワカタケルではないということが明らかと思うのだが・・・。武=ワカタケルの絶対的根拠は、ワカタケルという実名。中国に使いを送る際の王名として、実名の意味から武の漢字一字をあてたという理解である。讃・珍・済・興がすべてそのように説明できるわけではないが、説得力はある。
◆しかし、この1点をのぞけば、倭王武がワカタケルでないことは明らかなのだが・・・
◆ところで白鳥陵=前の山=軽里大塚、これ重要ですね。岡ミサンザイのひとつ前というのは確かなんでしょうかね。同じくらいにならないか。
◆ワカタケルが、允恭後、ゴタゴタの上に即位する。『宋書』〈倭国伝〉では462年に、倭王済が死んで、世子興が献使したという。記紀の王統譜でいえば安康と雄略が考え得るが、『日本書紀』では安康末年は456年、雄略元年は457年。雄略紀には中国への2回の献使が記載され、派遣されたのは464と468年である。462年と合致しないが、百済の漢城陥落が1年ずれていることも指摘できる。世子興が献使した462年に近い時期にワカタケルが中国に使者を送っていることが確認できる。
◆そして、倭王武の上表文では王位継承がなされ、継いだ武が献使したと理解でき、それは中国に将軍号を求める倭の五王の論理となんら変わりはない。つまり478年近くに、倭王興から武への王位継承がなされていると理解できる。雄略22年(478年)の白髪立太子は、倉西の理解でいえば王位継承を示す可能性があることも示唆的である。
◆以上のように、倭王興の治世(462~478*)とワカタケル治世(書紀:457~479)はほぼ重なる。山尾は、倭王武=ワカタケル→倭王興=安康だから、安康が『日本書紀』では末年が456年になっているけれども、実際は462年までは存命していたとする。だが・・・。その後ワカタケルが王位を継承し使者を送ったと。中国への通交が実現して呉ハトリらもやってくるわけだが、それは『宋書』には記録されなかったことになる。『宋書』からすると、倭王武の献使は478年に初めて中国に行ったと考えられ、上表文で高句麗に邪魔されて使いを送れなかったという弁明とも矛盾することになる。
◆以上、倭王武はワカタケルではないということが明らかと思うのだが・・・。武=ワカタケルの絶対的根拠は、ワカタケルという実名。中国に使いを送る際の王名として、実名の意味から武の漢字一字をあてたという理解である。讃・珍・済・興がすべてそのように説明できるわけではないが、説得力はある。
◆しかし、この1点をのぞけば、倭王武がワカタケルでないことは明らかなのだが・・・
◆ところで白鳥陵=前の山=軽里大塚、これ重要ですね。岡ミサンザイのひとつ前というのは確かなんでしょうかね。同じくらいにならないか。
年賀状をある程度書き、一息
◆1月14日の3:30。今日からセンター試験。うちの受験生(息子、一浪中)はよく寝ている。今年の受験は3カ所、どっかには入るだろうと祈るしかない。木曜日、カミさんと2人、道明寺天満宮に行き、神頼みをしてきた。
◆『考古学研究』が来て、震災がらみの記事を読む。陸前高田では博物館職員や文化財職員が亡くなったのか。どこにあったのか、訪れた一画にあったに違いない。気仙沼とか大船渡とか、震災でやられた部分はあっても、町の60%~80%がそのままだと、まだ「よし復旧」という気になるのだろうが、陸前高田や南三陸のようにほぼ壊滅すると、どうにもこうにもしようがない。瓦礫を撤去し、更地になっても、どこからどう手をつけていいのか、という呆然となるように思う。そうした差を感じた。
◆コンビニは仮設のものも積極的に作られているようで、基本的なものはあるので、重宝がられている様子。年末、被災地をまわっていると、同じような人がちらほら見られた。
◆『考古学研究』が来て、震災がらみの記事を読む。陸前高田では博物館職員や文化財職員が亡くなったのか。どこにあったのか、訪れた一画にあったに違いない。気仙沼とか大船渡とか、震災でやられた部分はあっても、町の60%~80%がそのままだと、まだ「よし復旧」という気になるのだろうが、陸前高田や南三陸のようにほぼ壊滅すると、どうにもこうにもしようがない。瓦礫を撤去し、更地になっても、どこからどう手をつけていいのか、という呆然となるように思う。そうした差を感じた。
◆コンビニは仮設のものも積極的に作られているようで、基本的なものはあるので、重宝がられている様子。年末、被災地をまわっていると、同じような人がちらほら見られた。
大阪中央郵便局庁舎の保存問題
◆1月3日の新聞記事です。2010年に東京ディズニーランドを経営するオリエンタルランドの撤退で、計画そのものがどうなるのか見直しもと期待されましたが、12月に事業者側
から環境アセス書が提出された、ということです。 http://www.city.osaka.lg.jp/shisei_top/category/893-33-2-3-0.html これは大阪市が大規模開発において事業者側に義務づけているもので、市民への縦覧後、市の専門委員会で検討されるのでしょうが、報道では3月中にも解体とのことであり、2月に市長から諮問、答申し、ただちに着手ということでしょうか。現市長の意向はわかりませんが、梅田の開発賛成でしょうし、当然、了解事項なんでしょうね。 ◆ともかく、計画は、正面玄関部分のごく限られた範囲を形式的に残すに過ぎないようで、東京中央郵便局も同様ながら、より保存部分は広いようである。 ◆環境アセス準備書段階から3年弱、保存の声にもかかわらず、出してきた案は、あまりにも限定したものにすぎません。そこで、1月29日に、前に『ヒストリア』特集で記事を書いていただいた方々などを中心に、緊急集会をもつとの連絡が入りました。概要がわかりましたら、またアップします。 ◆現時点では、昭和初期の建築物として保存する部分の拡大が争点になると思います。以下、これまでの経過をまとめておきます。
日本建築学会等による保存要望書 2006年5月 公社の高層化計画の新聞報道 2006年7月 日本建築学会等による緊急シンポジウム 2007年5月 公社の高層化計画の新聞報道 東京中央郵便局設計公募 2007年8月 大阪中央郵便局の設計公募 2007年12月 河村たかしによる国会質問→「東京中央郵便局は重文に値する」 2008年5月 前年発足の議員連盟による法改正案 2008年8月 環境アセス方法書提出(市専門委員会諮問9月答申12月) 2009年2月 環境アセス準備書提出(市専門委員会諮問3月答申6月) 2009年3月 東京中央郵便局の解体開始 鳩山邦夫反対 2009年5月 大阪中央郵便局の移転 2009年6月 総会において保存運動を進める長山さんからの大歴への協力要請 2009年7月 重文にする集い(大阪歴史博物館) 2010年5月 建て替え延期報道(オリエンタルランド撤退) 2010年6月 『ヒストリア』第220号にて2009年7月の「集い」を特集 2011年11月 大阪府知事選・市長選 2011年12月 環境アセス書提出(現在、2012年1月30日まで縦覧中)
遅ればせながら、2012年、今年もよろしくお願いします
◆12月19日からの週があっという間に過ぎ、3連休を集中講義の準備に費やし、26・27・28と3日間、仙台で
講義し、翌日は大船渡・陸前高田・気仙沼・南三陸とめぐり、29日に戻ってきてからはバタンキュー。翌日、カミさんが出張から戻り、2人で和歌山へ行き、ついで正月は加古川に行き、受験生をかかえるため、それぞれ1泊のみ。なにやら燃え尽き症候群状態。
◆写真は、年末恒例の蕎麦打ち。今年はかなり蕎麦らしいものができあがる。
◆おかげで、年末に年賀状を作り始めるが、ようやく2日に印刷したものの、それで止まっている。3日に戻り、翌日朝から出勤し、年末以来のどたばたでメールは驚くほどの量に達し、それを4日・5日・6日とひたすら処理するが、まだまだ底は見えない。ということで年賀状はまだ書いていません。いつものことながら、すいません。そのうち、松の内中にはお届けできるかと思います。
◆明日からは3連休だが、3日かけて前年度からの残務を含め仕事を片付けることができれば、ようやく一息つける状態になるかもしれない。大チョンボをやらかさないように注意。あまりいえない雑用も〆切が迫っているし、大阪城やなんとか城の調査企画を立てなあかんし、大歴もあるし、シラバスの入力も、博物館関係の残りも、とぼやいております。
◆和泉市史だよりの原稿と、考古学ジャーナルの原稿は、ようやく今日やってしまった。とはいえ、いちばん頭の痛い件があるのです。来週にかけて嵐のような日々は続きそうである。ということで、被災地で見たこととか、いろいろブログに書くこともあるが、平常状態ではないので、しばらくは途絶えるかもしれません。
◆写真は、年末恒例の蕎麦打ち。今年はかなり蕎麦らしいものができあがる。
◆おかげで、年末に年賀状を作り始めるが、ようやく2日に印刷したものの、それで止まっている。3日に戻り、翌日朝から出勤し、年末以来のどたばたでメールは驚くほどの量に達し、それを4日・5日・6日とひたすら処理するが、まだまだ底は見えない。ということで年賀状はまだ書いていません。いつものことながら、すいません。そのうち、松の内中にはお届けできるかと思います。
◆明日からは3連休だが、3日かけて前年度からの残務を含め仕事を片付けることができれば、ようやく一息つける状態になるかもしれない。大チョンボをやらかさないように注意。あまりいえない雑用も〆切が迫っているし、大阪城やなんとか城の調査企画を立てなあかんし、大歴もあるし、シラバスの入力も、博物館関係の残りも、とぼやいております。
◆和泉市史だよりの原稿と、考古学ジャーナルの原稿は、ようやく今日やってしまった。とはいえ、いちばん頭の痛い件があるのです。来週にかけて嵐のような日々は続きそうである。ということで、被災地で見たこととか、いろいろブログに書くこともあるが、平常状態ではないので、しばらくは途絶えるかもしれません。
集中講義おわり気仙沼のホテル
◆最終日、午後の3コマは1時間半はもたず、各1時間程度、16:30にすべて終わる。めでたしめでたし。辻秀人さんにご挨拶をし、東北学院大学を辞する。佐川さんは夏から1年間韓国で不在。うらやましい限りである。なので、久しぶりに佐川さんにお会いすることはできなかった。
◆初日の夜、辻さんと飲む。オレが2000年から大阪市大だと言うと、ねつ造事件の年だ、と。舞台となった宮城にいる者として、辻・佐川のお2人は、ねつ造事件の特別委員会の事件解明、検証発掘にたいへんだったと。だが、ほかの腰が重いなかで、オレたちがやらなければという使命感でやっていた気概が伝わる。ねつ造した本人はともかく、それを取り巻いていた人々にそれを認めさせることが容易ではなかったという。
◆辻さんは会津大塚山古墳の測量以来のときから、よくできた方だと思っていたが、いろいろ話をすることが
でき、学生教育のことや、調査の進め方など、、実践の中からいろいろ考えていることがよくわかった。東北学院大学で20年、毎年調査を重ね、学生が自主的に整理作業に従事する体制を作り上げている様子は頭が下がる。学生に任せることで、学生が育ち大人になっていくという発言は重みがある。不満はあるが、我慢するのが仕事だとも。これもジーンと来る言葉である。任せられないからやってしまう、というのでは学生は育たないわけだ。
◆いまは院生がいないのだという。考古学離れの一端は、就職の厳しさもあろうが、ねつ造事件もそのひとつだろうと・・・。だが、受講していた学部生のなんとしっかりしていることか。むろん全員ではないが、ぱっと見、院生だろうという落ち着いた学生が何人かいる。これも2回生でゼミの希望を出し、彼らは3回生に上がる春休みから調査に参加し、それを重ねている賜物のようである(写真は大学西側を流れる広瀬川)。
◆17:00にレンタカー屋に行き出発し、東北道経由で、20:30に気仙沼に着いた。
◆初日の夜、辻さんと飲む。オレが2000年から大阪市大だと言うと、ねつ造事件の年だ、と。舞台となった宮城にいる者として、辻・佐川のお2人は、ねつ造事件の特別委員会の事件解明、検証発掘にたいへんだったと。だが、ほかの腰が重いなかで、オレたちがやらなければという使命感でやっていた気概が伝わる。ねつ造した本人はともかく、それを取り巻いていた人々にそれを認めさせることが容易ではなかったという。
◆辻さんは会津大塚山古墳の測量以来のときから、よくできた方だと思っていたが、いろいろ話をすることが
◆いまは院生がいないのだという。考古学離れの一端は、就職の厳しさもあろうが、ねつ造事件もそのひとつだろうと・・・。だが、受講していた学部生のなんとしっかりしていることか。むろん全員ではないが、ぱっと見、院生だろうという落ち着いた学生が何人かいる。これも2回生でゼミの希望を出し、彼らは3回生に上がる春休みから調査に参加し、それを重ねている賜物のようである(写真は大学西側を流れる広瀬川)。
◆17:00にレンタカー屋に行き出発し、東北道経由で、20:30に気仙沼に着いた。
仙台
◆東北学院大学の集中講義に出かける。26~28日の3日間*5コマ。3連休で準備をしたが、アクシデントも
あったが(23日分の3回分のパワポのデータが失われる)、現時点で9回分の資料(55頁)とパワポを用意した。最初は丁寧に、パワポの表題や本文の文字、行間、箇条書きの頭記など統一し、中身もきちんと構成を考えて作っていたが、それでは終わらない。過去の授業や講演のものからとにかく15回分、形を整えるわけだが、ひととおり作り上げないと話にならん。
◆伊丹17時の飛行機。15時に大学を出るつもりが15分出発が遅れ、結局、窓口に到着したのは出発10分前でアウト。19:40に切り替えてもらう(さいわい3席空いていた)。
◆飯を食い、喫煙できコンセントのあるスペースで作業を続ける。19:40発で、20:45分ランディング。仙台ま
で電車だが、21:32分発まで30分待つ。仙台着は22:00時。ちらほらと粉雪。ホテルまで歩く途中、ラーメン屋に入る。ホテルに入ったのは30分か。無線ランが利用できるようで、ブログを書く。
◆第9回で佐紀古墳群まで来た。いまから10回目を作り終えると、まあ2日分は確保できる。
◆伊丹17時の飛行機。15時に大学を出るつもりが15分出発が遅れ、結局、窓口に到着したのは出発10分前でアウト。19:40に切り替えてもらう(さいわい3席空いていた)。
◆飯を食い、喫煙できコンセントのあるスペースで作業を続ける。19:40発で、20:45分ランディング。仙台ま
◆第9回で佐紀古墳群まで来た。いまから10回目を作り終えると、まあ2日分は確保できる。
なにもやる気がおこらん
◆神明山のリーフもほぼでき、ちょこっとやれば印刷屋に出せるが、やる気が起こらん。『考古学雑誌』のたつの市の三角縁神獣鏡も、図面の手直しを、こないだ東京行った帰りにやって、だいたい図は完了に近づいたし、文章もほとんどあるので、ちょこっとやれば終われるのだが、やる気がおこらん。
◆『考古学ジャーナル』の原稿、気がつけば〆切を過ぎている。ようやく書き始めるが、これもやる気がおこらん。
◆そういえば同成社の第1巻が刊行される。自分の原稿を読む。ま、歯切れはよい。でも、えらい高い本や。こんなん、いまの学生は買わへんわな~。原稿料って、いくらくらいあるんやろ。ま、あってもなくても。もうひとつ、三角縁神獣鏡の原稿があるのだが、これもやる気がおこらん。
◆人間は精神的なものなので、やる気がないと仕事はしない。そうも言ってはおられない。東北学院大学の集中講義の準備で3連休は全滅だな。これで年越し・・・。
◆『考古学ジャーナル』の原稿、気がつけば〆切を過ぎている。ようやく書き始めるが、これもやる気がおこらん。
◆そういえば同成社の第1巻が刊行される。自分の原稿を読む。ま、歯切れはよい。でも、えらい高い本や。こんなん、いまの学生は買わへんわな~。原稿料って、いくらくらいあるんやろ。ま、あってもなくても。もうひとつ、三角縁神獣鏡の原稿があるのだが、これもやる気がおこらん。
◆人間は精神的なものなので、やる気がないと仕事はしない。そうも言ってはおられない。東北学院大学の集中講義の準備で3連休は全滅だな。これで年越し・・・。
月曜日、大阪市の会議
◆大阪市の会議。今日から小澤さんの集中講義ながら、朝の9:30から12:30まで拘束される。今年度は、大阪城の魅力作りのマスタープランの策定、3回の会議の最終。
◆来年度は特別史跡大阪城の保存管理計画の策定。本丸から調査研究に着手するプランが盛り込まれるだろう。これをいかに実現するか。そうなると、動き出す、回り出すであろう。大阪市内部での方針にきちんと位置づけられる必要があるし、本丸を調査するといっても、特別史跡だし、きちんとした将来構想や、で本丸をどうするのかというカッコたる構想がないと、文化庁だって認めないだろう。
◆ゆとりとみどりが全体を管轄するにしても、特別史跡にメスを入れる点は、文化財保護課がしっかりとプラニングしなければならない。さてと、大阪市の文化財保護課の力量を見させて貰おう。
◆翌日、天理大学の小田木君に会ったので、本丸御殿のレーダー探査を頼んでおいた。細かい点は桑原さんと詰める必要がある。
◆この日、大阪歴史学会の委員会および忘年会。いろいろさぼっているが、現地見学検討会も少しは話を進めて貰っているようだし、ねごろや、陵墓のことなど、最低のことはなんとか・・・。
◆来年度は特別史跡大阪城の保存管理計画の策定。本丸から調査研究に着手するプランが盛り込まれるだろう。これをいかに実現するか。そうなると、動き出す、回り出すであろう。大阪市内部での方針にきちんと位置づけられる必要があるし、本丸を調査するといっても、特別史跡だし、きちんとした将来構想や、で本丸をどうするのかというカッコたる構想がないと、文化庁だって認めないだろう。
◆ゆとりとみどりが全体を管轄するにしても、特別史跡にメスを入れる点は、文化財保護課がしっかりとプラニングしなければならない。さてと、大阪市の文化財保護課の力量を見させて貰おう。
◆翌日、天理大学の小田木君に会ったので、本丸御殿のレーダー探査を頼んでおいた。細かい点は桑原さんと詰める必要がある。
◆この日、大阪歴史学会の委員会および忘年会。いろいろさぼっているが、現地見学検討会も少しは話を進めて貰っているようだし、ねごろや、陵墓のことなど、最低のことはなんとか・・・。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。