人を幸せにする人になろう

弥生博で

◆昨日(100819)、岸和田に行く用があったので、帰りに弥生博へ寄ってマスクを見てきた。弥生博、大阪府立でなくなるかもしれない弥生博。こないだ、読売新聞の人欄で、発掘から50年たって東大寺山古墳の報告書が出たというので、金関先生が取り上げられていたが、末尾に弥生博の存続にまだ働かなきゃナラン、みたいなことが書いてあったと記憶する。和泉市からも、いろいろと聞いている。
◆で弥生博、近畿弥生の会が連続講演会をやるチラシ、また近つとも共同の出かける博物館の連続講演のチラシももらった。夏休みなので、閑古鳥というわけではなく、親子連れが入っている。でも、府知事を動かすには飛躍的に入館者を増やす必要があるのだろうが、そういう状態にはない。
◆どうしたらいいんだろう、と考えながら常設展を見ていた。注文をつけてばかりではいけないが、ひとつだけ・・・。池上曽根の部屋はもうちょっと何とかならんのか。調査の歩みの年表がある。そういうのも必要だろう。だけど、もっと、池上曽根って、こんな弥生の村なんだ、ということを打ち出すべきではないか。この部屋に来れば、池上のことは何でもわかる、主要な出土遺物も全部ならんでいる、弥生時代における拠点集落が巨大化していく有様を示す。しかし後期になると、こんなんになって、古墳時代へとつながっていく、といったことにも目を配る。とにかく、池上の村をわかってもらうために、どう構成し解説するかに、もっと腐心して欲しい。
◆つくつくぼうしが鳴いている。夏も終わりか・・・

デジカメ

◆写真に関連して、デジカメは、これも整理が必要とはいえ、簡便ですよね。文化庁時代、全国の調査指導に赴き、その時の写真があれば、これはたいへんな財産だったろう。最初の出張は多賀城の委員会だったが、カメラを持って行った。しかしまた時代はフィルムの時代、フィルム代・現像代がかかる、ネガを整理しなきゃならない、焼き付けをアルバムに整理しなきゃならない、そんなことやってられませんでした。早々にカメラを持って行かなくなったと記憶する。そのころ既にデジカメが普及してたら、どんなによかっただろうに。
◆パリのユネスコの会議に行ったとき、記念物課でデジカメを購入しており、持って行ったが、実は使い方がわからんで、使わなかった。
◆2000年に市大に来たとき、仁木先生が既に買っていたが、まだ普及途上。最初に自分がデジカメを買ったのは、いますこし後だった。いまやパソコンも大容量。保管場所に困らないし、金も必要ない。充電すればいいだけだ。時代は変わるのである。

玉7測量時の唯一の写真

c8981c8b.jpg◆君島君と江角君が写っている。2000年の年末か2001年はじめ。
◆1号墳の報告書が出て、その関係資料を柏原市に渡さなければならないのだが、実は7号墳のモロモロがまだ未処理なのだ。遺物や図面は報告書が出た段階で渡したが、書類関係が・・・。で、玉1の後処理に手をつけるためには、玉7の残務をもう少し片付けねばならないので、いまやっている。
◆発掘にこぎ着けるのが一苦労。報告書を出すのが一苦労。だが、それで終わりではない。遺物や記録類をきちんと保管する体制にもっていって、初めて完結する。その意味では、わたしはいつも失格であった。恥ずかしい話がいっぱいある。そうした反省の上に、調査後の一時処理は記憶の新しいうちにやるように心がけてはいる。
◆2000年秋にやった帝塚山古墳の測量記録類、玉7の測量調査の記録類は、整序し、製本してある。しかし、そこで止まっている。玉7の残務、この間、まったく何もしなかったわけでなく、少しずつ整理はし、ひとやまにしてはあった。が、最後のところで完了まで至らない状態でここまで来てしまった。今日でほとんどできそう。1日やれば終わるのにね。で、この写真が出てきた。
◆測量に一生懸命で、調査風景などをほとんど撮っていない。記念写真のようなものもない。その後、茶臼山からはいろいろ写真を撮る余裕も出てきて、そういうものを報告書に掲載することが定式化している。

伊都倭国って何

◆仁藤さんの山川ブックレットで、2世紀初めまでに奴国から伊都国へ、倭国乱で伊都国からヤマト国へ、主導権の移動があったと論じているらしい。これは奴国王墓が不明瞭であるのに対し、平原を含め伊都国に王墓があること、107年倭国王帥升を伊都国王と想定すること、などから来るものと思われる。まあ、考古学の側で考えられてきたことをなぞっているわけだ。
◆しかし『歴博』161の書評にあるように(というか送られてきた、そのなかの書評を読んだことが、この記事のきっかけ)、諸国に王統があり、それが連合しているのがヤマト国連合で、伊都国のみ王が代々いると書かれていることを特別視することはできない、という指摘は正しいと思う。1・2世紀に奴国が衰えた形跡は、前代の影響圏から離脱する地域が出てきているという意味ではそうなんだが、比恵那珂遺跡の都市化からすると、奴国→伊都国がそもそも疑問である。
◆で、倭国王帥升が伊都国っていう根拠は、まったくあやしいと思う。たまたま見つかっている墓の資料でなく、比恵那珂遺跡と三雲遺跡をきちんと比較しなければならない。のみならず『魏志』東夷伝にある、もともと男王がいたという「其国」は、漢文の読み方はわからんが、素直に解釈すればヤマト国なんではないか、と思うのだ。

安福寺石棺のスキャン画像ができました

c3d68712.jpg◆メールで画像が送られてきた。さらに少し注文をつけた。最終版は今少し先か。できあがれば、またリーフレットを作ろう。
◆なお、こうした画像、新納先生と話をしていると、データを処理するところまでは共通するが、陰影図にするには、すこし技術がいるのだそうで、確かに仕事をお願いしている共和さんは、自分のところならではの技術をもっている、と言っていた。新納先生はそれを知りたがった。新納先生も、石室のスキャンをやっているが、牧野のような陰影図にはできないのだそうで、石室画像として牧野の画像は「いままで見てきたものでは一番」と褒めていただいた。
◆技術のことはわからんし、企業秘密というところか。
◆ちなみに、和歌山大学で技術開発をやっている計測方法がある。1ヶ月ほど前、やっぱりオレの都合がつかなくて行けなかったが、市大の遺物を供出した。廉状紋や櫛描流水紋がギトギト入っている弥生土器の破片などを提供した。そのときの計測画像を見せてもらったが、なかなかのスグレモノだった。文様面1面の画像で、これを裏側もデータを取って、破片として立体にするには、まだめんどうなのだろうが。
◆これはまだ考古の業界には知られていないと思うので、そのうちにきちんと紹介したいが、とにかく簡便なのだそうだ(和大に行けてないので、ようわからん)。で、石器なんかは、実測しようとすると素人にはまず描けないのだが、報告書で示す場合に、線描き図を出さなくても、正確な陰影図という客観的な画像を出せば、こんなのが出土しましたと報告するには十分ではないか、と思った次第。

教員免許講習

◆昨年から実施されている教員免許更新講習で、2年目の今年、日本史の教員4名が55人の教諭に講義をおこなった。この講習、民主党はもうやらんと言って、1年で終わると思いきや、2年目の実施となり、日本史にお鉢がまわってきた次第。
◆楽しくやった。反応もよかった。まあしかし、どこの世界にもいるとはいえ、変な人もいる。見た目や雰囲気で決めてはいかんが、顔つきや格好が変だったり、最後、試験も担当したが、答案を書き上げて部屋を出て行くとき、ふつうの人は一礼して退出するが、まったく無愛想であったり・・・。どこにでもいるとはいえ、学校の先生やろ?と思ってしまう。
◆めんどうや、と思ったが、こういうのもいい機会ではあるな、と思った。うちの近世史の先生は、高校の教科書の記述の変化を取り上げていた。1992年までは士農工商えた非人、だが1995年で大きく代わり、2009年度の教科書を示して、この間の近世の身分社会についての研究の深化にともなう変化を取り上げている(テキストを用意させられるんです。それを見て・・・)。先生は、基本は習った段階の認識がベースで、教科書の変化にも対応してはいるだろうが、一般的には学校業務に忙しくなり、なかなか先端の研究を学ぶ余裕もなくなると想像する。いまはこう考えられている、というのを、こういう機会に知ることは意味があるかなと。
◆だが、教員ってアマタいますよね、全国に。当然、研修みたいなものもあるんとちゃうの。ほんとはそういうところでやるべきなんだろう、とも思う。研修って、しかし制度とか生徒のケアとかが中心で、教育内容にかかわるものは少ないのかね。

アイセルシュラホール

◆岡ミサンザイ古墳の脇にある。2回くらい行ったことがあるような・・・。1回目は文化庁時代に古市古墳群の追加指定の協議で行ったような・・・、2回目は藤井寺市の市民講座で1度話をした。で、どうも2回とも展示施設の記憶がほとんどない。だが0ではないので、見たのだが、時間がなく駆け足だったのだろうか。
◆で、初めてゆっくりと見たわけである。生涯学習施設で、2回に展示室がある。国府の旧石器から始まり、西墓山の出土状況レプリカがデーンと座り、まわりに埴輪や鉄器やらがならんでいる。津堂の水鳥形埴輪も、ここにあるのがホンモノ。
◆奧のコーナーでは、井真成。南側にまわると、古市古墳群が暫定一覧表に記載決定ということで、パネルを主とした特別コーナーになっていた。航空写真がとてもきれいである。
◆だが、人は来ないんでしょうね、電気がついていないのである。よく見ると、受付のような一画があり、おばさんが2人いた。「すいませ~ん電気お願いしま~す」と頼む。
◆また同じようなことを言うことになるが、ここも、ほとんど知られていない。藤井寺市役所のあたりにあればいいのに。

東洋大姫路の校歌

◆盆に実家へ返る。妹もおり、姉の家族もそろい、にぎやかに宴。で、お義兄さんと、原巨人の話も意見が一致したが、そのあと相撲や高校野球の話に移り、東洋大姫路が全国優勝した時の話になる。東邦の1年生ピッチャーとの決勝で、サヨナラだった。準決勝は今治西と。いちばん高校野球をみていた時期のこと、実によく覚えている。豊見城高校とか、箕島とか(星陵との延長17回の話とか)・・・。見ていただけでなく、姉がその頃高校野球にハマっていて、アサヒグラフかな、大会終了後のグラフ誌を買っていて、そういうのを見ていたというのが大きいのだろう。
◆で、東洋大姫路の校歌を、義兄と歌う。覚えているのである。「書写を仰げば萌え立つ緑・・・」、で豊見城高校の校歌は?、一所懸命思い出そうとするが、最後のところは出てくるのだが、出だしが思い出せない。いまネットで調べたら、なんでも出てくるね~。「国場の川の果てしなく/流れて遠くゆくところ・・・」、そんなんやった!
◆実家へ帰ったのは15日で、14日まで大阪にいたが、14日は朝から大掃除となった。カミさんの結論、お盆に大掃除をするのはよい、洗濯物が早く乾くからと。オレはといえば、洗濯モノを干すのと、ベランダの掃除、それと不要なものをとにかく捨てる。ちょっとばかしモノは少なくなったかな?。
◆さてと、明日の教員免許更新講習の準備をするか。

風呂めぐり

◆奈良の「虹の湯」以来、温泉というのかスーパー銭湯というのか、にハマっている。最初はそうでもなかった。カミ013e3e44.jpgさんと一緒に行っても、すぐに出てきていた。ひとつは散髪。国分駅前の1000円の散髪に行ってたけれども、いきなり倍にしやがったものだから、温泉の1200円くらいの方がよっぽど安い。それとやっぱりサウナやね。水風呂と交互に入る。だんだんはまり、今は、毎週行ってもいいと思う。毎週、600円とか800円とか、実にささやかな楽しみではないか。
◆こないだは和歌山の「野半の里」というところに立ち寄る(カミさんの実家に寄った帰り。稲はすくすく育ち、穂がたわわに実り傾き始めていた。)。酒造りの古い建物を改造したもので(違うらしい、野半酒造店の敷地であることは確かだが、風呂場の建物は海南の老鶴酒造の和蔵というのを移築したのだという。)、なかなか風情がよい(サウナはなかったが)。で、こないだは堺の「祥福の湯」。ここも「延羽の湯」と同じでパチンコ屋とセットだが、風呂はとてもよかった。
◆で、次はアカスリやな、と思った。いろんなコースがあり、前は「そんな金出して」と思っていたが、1.2万円出して90分フルコースでもいいと思った。そこまではいかないが、3500円くらいで、アカスリしてもらったら、きっと気持ちいいに違いない(未体験)、と。
◆この手の温泉めぐりブログもたくさんあるらしい。こっちは★印をつけてまわろうとは思わないが、近場でいろいろ行ってみるのは面白かろう。
◆ま、自分の腹を見ると、少々、情けなくはあるが・・・

安部晋三って

◆安部晋三って、なんであんなん、なんだろう。どうしたらあんなヤツが育つのだろうか。韓国併合100年に対する首相談話、宮内庁にあった朝鮮王室の儀式書の返還に、なんでいちゃもんをつけるのだ。
◆安部晋三の発言を聞いていると、個人補償の話につながる虞があると。だが、菅首相もそれは1965に解決したことになっているとの理解だ(それで済むかどうかは別)。それをのぞけば、何に反対するのか。謝るのがイヤ、っちゅうこっちゃ。頭を下げたくない、結局そういうことだろう。日韓併合は合法だ、何も悪いことをやったわけではない、と思っているに違いない。あいつも、首相の時は村山談話を尊重すると言ってたんだけど、本心は違うということ。
◆ところで、しかし、個人補償とすれば、中国に対する方が大問題だろう。数字は知らない(数字がすべてではない)が、日本となった半島に対して、戦争被害者の数は、圧倒的に中国人が多いだろう。中国共産党は、帝国主義日本が悪いのであって、個人補償を放棄するという(不確かかも)、まったく寛大な対応をしてくれたことに、日本人は深く感謝すべきである。日本が中国でやったことに対する賠償をちゃんと積算すると、とんでもないことになっているはずである。
◆そして安部とか田母神とかを使うテレビ局。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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