人を幸せにする人になろう

トータルステーション(ライカ307)

◆2000年度末に買ってもらったトータルステーション(ライカ)は、我が社の調査に8年間、よく働いてくれた。測量だけでも、茶臼山・玉3・玉2・壇場山・メスリ山・摩湯山・G・神明山その他。むろん発掘時にも。で昨年11月に神明山古墳にもっていった時には動いたのだが、2月に玉1の基準点測量に行った時、据えて測距を押したがウンともスンともレーザーが飛ばなくなっていた。
◆年度初めに修理の見積もりに出すと、なかの基盤がだめになっている、54万円という数字が出て絶句。そんなひどい取扱いをした覚えはないのだが・・・。科研も落ちたし、これで秋以降の新規の測量は頓挫か・・・。とても54万出しての修理はできないと業者に返すと、中古品29万円はどうですかと返事があり、歴史学教室に相談したところ、自分の研究費でなく、教室共通予算で買ってもらえることになった。
◆本日、業者が来て、ライカとソキアをもってきたが、ソキアにするつもりでいたが、画面を見ていると、座標モードでの測距ができないようなので、シフティング方式で頭のすげ替えができないタイプと言うことでやめとこうと思っていたライカにすることにした。ライカは8年間、使い慣れているので、パネル操作も苦もなくできる。
◆平板4セット(プリズムアリダード)を整えてきたが、もう平板測量はやめようと思う。これまで、杭打ちにトータルステーションを使い、平板4~5セットで、200m級の前方後円墳を10日前後で測ってきたが、これからは複数のトータルステーションでやるつもり。実は昨年、自動追尾のソキアを加えたのだが(SRXまだ一切支払っていない)、これは衝動買いだったと後悔している。昔からつきあっている業者なので、分割でだらだらとでも許容されているのだが、しかし支払っていかなければならない。それより、自動追尾などいらないから、中古のライカを入れる方がよっぽどよかったのだが、仕方がない。
◆まあ、初代はよくはたらいた。もうちょっと安価で直せるなら、まだ使いたい愛着がある。まあ、昔のような15人とか20人を集めて合宿して測量ということは、研究費もないので難しい。身内で、2台のトータルステーションで、ぼちぼち測量するのがよいだろう。さあ、10月にむけて動かなければ。次のターゲットは松岳山古墳だ。

自転車通勤

◆テレビで東海道53宿を2人乗り自転車で踏破する番組があった。伝建になっているところを含め、けっこう宿場町は昔ながらの風情を残しているところが多いことに驚いた。都市部ほど変化が大きいのであろうが、多くの場合、ほぼ完全というものはないようだが、かなり古い家屋が残り、街道の雰囲気もよく残っていた。近世東海道をぜんぶ歩きたいとカミさんはよく言う。
◆で、1年前に考えながら無理とあきらめていたが、まじめに自転車通勤をしてみようかと、また考えている。

アートルーターセット

◆彦坂めぐみさんが取り組んだ玉手山1号墳墳頂部の朝顔形埴輪に石膏を入れ最終的な仕上げにかかってい4b6b46c7.jpgる。色塗りは所さんにまかせようと思う。ともかく、石膏を入れ、きれいに仕上げるのに、紙ヤスリを買いにコーナンに行き、そこで電動研磨器、ガラスも削れるものから、木工用、石用など、さまざまな研磨用針がセットになった比較的安価なものがあったので買ってきた。技術が進歩すれば、もっといい道具をということになるかもしれないが、まずはこんなものでいいと。帰ってきて、石膏の研磨のみならず、表面の清掃や仕上げに向けての手入れに活躍してくれている。アトリエで彫刻に取り組む芸術家のような気分にもなれるし、どっちかというと職人的な気分が味わえてとてもよい。この埴輪は即展示物になるような一級資料だ。彦坂さんのことを思い出しながら石膏を入れている。本日でだいたい、石膏は入ったし、朝顔の壺部の一度解体して接合し直した残余も、元の通り接合を終えた。

知っとこ

◆扇子職人、大阪の草履職人、もうひとつあったな。ああいう職人肌の仕事を見るのは大好きだ。オレも職人になりたいという願望はある。陶芸家か、大工か、ペンキ塗り、などにあこがれた時期があった。しかし、考古学も職人的なので好きだ。図面を書くこともトレースも好きである。ともかく、日本の伝統的職人の健在ぶりを見るのは、とても楽しい。あの草履は欲しい、と思った。

宝田恭子さん

◆歯医者で、アンチエイジングの本を出版し、講演に引っ張りだこの彼女の紹介。面白かった。顔の筋肉のマッサージなど、経験から産み出されたものであり、それは科学的にも裏付けられるもので、いかがわしいものではない。町の歯医者としての仕事を大事にし、そのなかで講演をこなす姿に感動した。むろん、笑顔を大事にする、鍛えることで笑顔と若々しい顔面を維持することの大切さも、なんとなく理解できた。むつかしい顔をしているよりも、すてきな笑顔を見せる方がよいにきまっているし、なにもしなければ使わずに垂れるだけの顔の筋肉を動かすことで、しまった表情をしていることもいいことだ。トレーニングで、明らかに変化することも驚きである。そしてそれとともに、なんかの教祖というわけでなく、共感する人たちからの要請に真摯にできるだけ対応していこう、そういう姿勢が好感がもてた。
◆なんとなく、フィットネスとか、なんかかっこよさを維持する目的みたいに思っていたのだが、そうではないのだ。健康はもちろん自分のためだし、自分がよりよく生きるためにやるのだということが、なんとなくわかった。健康に留意し、体を動かしていることで、むろん、これからも仕事をきっちりやる上での基礎だし、病気などの不幸を避け、自分で自分のことができる期間がのび、介護等の必要を軽減でき、死ぬときも無様に死なないで済む確率が高まるとすれば、それは自分がよりよく生きるためなのだ。よりよく死ぬためだ。また機敏に行動できるとともに、年齢をかさねても生き生きとした表情を維持し、老け顔になることなく、またこれにさわやかな笑顔があれば、自分自身、前向きに生きていけるだろうし、まわりにも好印象を与えることになる。
◆なにかやってみようという気持ちにさせる。

天安門事件から20年

◆1989年は激動の年だった。年初に昭和が終わった。平成元年である。ベルリンの壁崩壊も11月だが、6月の天安門事件である。
◆6月に20年を記念して朝日新聞で連載記事があり、うち切り取った2回分がある。
◆ひとつめは弁護士。天安門事件で投獄された人の弁護を1996年に引く受けたが、その頃、政治的事件の弁護を引き受ける者は2人だけだったという。その後、政府の監視や逮捕の危険にさらされながら天安門事件にかかわって逮捕された参加者や活動家の支援にのめりこむ。なぜ逮捕されないのかという問いに対して、「政治活動や言論活動をせず、中立的立場に立ち、目立つことはしないが、高い専門性をもち、検察官や裁判官を圧倒する法律知識をもって、不当性を徹底的に追究するという。それから最後の言葉も良い。「中国が民主と法治を求めるのは歴史の潮流だ。道はでこぼこで曲がりくねっている。しかし、誰も、どんな組織もこの流れを止めることはできない」、と。その信念に共感する。圧倒的な共産党支配のもと、時間はかかるかもしれない。しかし、中国人民は立ち上がるであろう。
◆ふたつめは新聞記者。胡耀邦追悼式で学生と部隊がにらみ合う光景をみながら、海外紙が報道しながら1行も書けない。本社幹部と対立し、社内で議論しても無駄、指導部との対話を求める記者の署名を集め、それが5月11日に実現する。そこで報道禁止令が記者の誇りを傷つけ、深い恥辱を感じていることを訴える。さらに指導部と記者との座談会のテレビ中継も決定されるが、11日に対応した政治局常務委員は失脚させられ、中継は幻に終わり、その記者も左遷される。1994年に復帰、再び2006年に歴史教科書の記述を批判する論文が発端で、停刊処分を受け、抗議文を発表、再び更迭される。「記者になった頃、先輩の報道が恥ずかしかった。社会に役立つどころか、災難をまき散らしていた。若い記者は私の行動をきっと評価してくれる」、と。


韓流と日韓関係

◆わたしは韓流にはまったクチだ。冬のソナタのDVDも買った。大阪城ホールでのチェジウのドラマコンサートに行った・・・。
◆この韓流をとても歓迎している。いちばん近い国でありながら、かならずしも仲がよくない日韓を確実に近づけたと思う。おれは、小さい頃、母親から「あそこは朝鮮人が住んでるところだ」とある家を指さされたことを思い出す。親の世代は、朝鮮人を蔑視し、また根拠なく怖いといった刷り込みが為されている世代だ。ヨンサマ!と言っている世代よりもやや上かもしれないが、しかし、あまり変わりはない。隣国のことをなにも知らなかったオバサンたちが、ドラマを見て、韓国に出かけて行き、ハングルに取り組み、確実に韓国理解が進んだ。東方神起ファンなどの若者もそうだ。
◆むろん文化的な差はあるが、しかし極東の隣国で、家屋や食い物や、むろん顔つきも、共通する。韓国に行って、調理の仕方は違うが、食ってるモノには差はないなあ、と思った記憶がある。世界のなかでは文化的にも近く、異質な文化という感じはない。理解し合いやすいと思う。都市部の生活など、東京や大阪となんにも変わりはない。
◆アジアの隣国としていい関係であって欲しいと願う。政治的にもそんなに対立軸はない。竹島問題くらいだ。これもメンツと資源がからむが、日本海に浮かぶどおってことのない小島のことにすぎない。ひとまず棚上げにすればよい。在日米軍・在韓米軍があって、アメリカの影響が大きく、また拉致問題でも共有課題をかかえている(むろん対北朝鮮ではまったく同じというわけでないが)。
◆過去の問題は水に流せることではないが、現在の日韓は、もっと近しい関係になれると思う。両首脳ももっと頻繁に行き来し、経済的なこともあるが、東アジアの恒久平和について政治的にも歩調を同じくして取り組めるはずであろう。人的交流や文化的交流が深まっていることは、確実なベースになりうる。隣国故に、また過去の問題もあり、韓国の日本へのライバル視も不可避だろうが、なにか互いに距離を置いているように見えるのだが、もっと協調していくことができるはずだと思う。

カシュガルのこと

◆ウイグル自治区のカシュガルで、ウイグル族の住居を壊して再開発を進め、それに反対する運動が起こっているという記事があった。これもこないだの抵抗運動への対策なのだろう。上海などでの都市部でも、旧来の居住区を政府が強制的に立ち退かせていることは有名だ。立ち退き交渉はあるが、反対していても、どこかの時点で強制される。それと同じ事が、目的は違うのだろうが、カシュガルでも実施されているわけだ。工場用地にするといった都市部の目的ではない。これは民族対策だ。文化的にも封殺しようという中国政府の強圧的行為。
◆別のテレビ番組で、ウイグル独立運動をやっている女性が紹介されていた。先の紛争も、彼女が煽ったことと中国政府は敵視している人物だ。暗殺されないことを祈るばかりだ。

夏の旅行―鹿児島―

◆予定通り8月9日に鹿児島にむけて出発した。別途、アルバムに整理しているので、ここでは行程表のみを示そう。
◆8月9日(日) 朝4時に起き、50分発、近畿道、中国道、山陽道。4台ほど前で玉突き事故、巻き込まれずホット。11:40壇ノ浦PA、ラーメン、12:10分発、九州道が福岡-太宰府間通行止め、下に降りて筑紫野ICで再び乗る(14:20)。このころから外は晴れ。ストレートにえびの(16:30)。食料品を買い込み(地鶏のタタキが最高)、高原にあがる。バンガローは、くたびれているし、カビ臭い。バンガロー・テント組みあわせて10組くらい。18:00から風呂。めし。焼酎「五大王」なくなる。新たに台風9号が発生(佐用町で水害)。夜、外に出て雲の切れ間から星空。鹿がうろうろしている。
◆8月10日(月) 朝、散歩、韓国岳にむかう人々。簡単に朝食を済ませ、高千穂河原に出発(08:12)。既に降りてきた人もいるが、ほぼわれわれと同じ頃に集まってくる人々が多かった。08:46登り始める。立木のある森を抜けると、火山灰噴出物の流れに沿った登山道で、一気にヘリまで。途中、直子、脱落。丈はすいすい。桜島がちらり。中岳が側面に見える。御鉢に着いたときは火口がよく見えたが、みるみる南からガスが迫ってきて、完全に覆われる。直子は、すぐ近くまで来ていたが、もう無理というので引き返す。さくらさくら温泉(10:50)で汗を流す(昼飯も)。それから上野原縄文の森に。月曜日休館だが、ここに来た目的はシラス台地の解説をするため。みんなに2万5000年前にこの高さまで全面埋もれたことを説明。それから大隅半島を東南に横切る。大崎は遊泳禁止、宮崎県串間に足を伸ばし高松海水浴場で遊ぶ。そこから、南下し、内之浦の温泉、公営でけっこう広い。そこから、どこに泊まるかでゴタゴタしたが、内之浦のトイレのある展望台に決め、夫婦2人はテント、子供らは車の中で寝る。背中に虫が入ってきてモゾモゾ、なんだと思ったらカブトムシだった。
◆8月11日(火) 朝、湯をわかしてインスタントラーメンを食べる。06:50発。内之浦のJAXAで写真を撮ったあと、辺塚海岸をめざすが、痛恨の失敗。一気に辺塚にむかうも、着いたがなんのことはない海岸(08:30)。郵便局で聞くと、内之浦にも辺塚がある(それだ!)。そっちは写真でもすごく美しい浜辺でウミガメが産卵に来るという。しかしもう引き返すことはやめよう。佐多岬をめざす。9:30頃到着。本州最南端の岬を制覇した。それから根占をめざす。途中、薩英戦争の砲台あり、写真撮影。根占海岸で海水浴。海は荒く波乗りが楽しい。風呂に行き、昼を食べて、15:10のフェリーで指宿山川港へ。COCOはしむれ。鹿児島に向かう。直子がこの日については、鹿児島のホテルを予約していた(4人で1.2万円)。天文台通りで食事をし、ふとんで寝た。
◆8月12日(水) 指宿へ南下し、砂蒸し温泉。けっこう楽しい。中国人旅行者多く、あんまり熱くないと文句を言っている。10:25には出て、そこから枕崎へ向かう。池田湖、開聞岳を見ながら、枕崎に入る。とたんに町全体がカツオ臭い。鰹丼を食う。それから吹上浜へ行くが、ちゃんと調べていないので海水浴場は不明、サーファーはいるが海水浴場が見当たらない。ここまでがアバウトながら計画していた範囲。そっから先はどうしようかと相談し、熊本で泊まることに一応した。曇っていたが阿蘇に登る。視界がないほどだったが、牛や馬を見て子供は喜んでいる。へんな外国人がいる。熊本市街のおそらく有名な黒亭というラーメン屋で熊本ラーメンを食べ、泊まるところを考えたが、このまま帰宅することにする。運転を交替しながら、翌朝9時頃に家に帰り着いた。静岡で地震があったのはこの8時前のこと。カーナビのテレビを見ていたら、「いま地震で揺れています」と・・・。出発前日には酒井法子が逮捕され、水害・地震と天変地異が多発した期間でした。

オープンキャンパス

◆数日前、この4日で仕事を片付けたい!という記事を書きましたが、ぜんぜん。本日6日と明日7日はオープン5b579b2d.jpgキャンパス。今年は担当でないので、時間はあると思っていたが、昨日5日も、午前に学情の展示を片付けたあと、午後はずっとオープンキャンパスの仕事をするはめになった。追加のパネル作成、のれん、名札、スライドショーの画像編集で22:00までかかった。
◆本日、午前、日本史のブースは誰もいない。塚田さんに頼まれて、最終的なディスプレイはほとんどやった。で、昼前からは、埴輪の展示。1号墳の朝顔形埴輪は数年前から毎年出品しているが、今回は、報告書に向け、石膏入れをやっつけなければならないので、していなかったこの仕事を、オープンキャンパスで片付けることとし、その実演をネタにすることとした。会場入り口の展示台のところで昼から16:00までずっと石膏入れをやっていた。おかげでかなり進む。明日もやれば、写真が撮れるところまでいきそうだ。若杉君、あとはあんたの原稿だ。
◆貧乏家族旅行は、おれもカミサンも仕事を残したまま、出発することになりそう。やめれば、『ヒストリア』216号の特集の仕事も安泰だが、この機会を大切にしよう。不安は残るが、しゃーない。ネットカフェで泊まって仕事しようか、とも話をしているが、どうなることか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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