人を幸せにする人になろう

横穴式石室と横口式石槨のレーザ計測データ

◆レーザ計測したデータを、以前にちゃんと集めておこうと作業しかかったが途中になっていた。 本日、ある必要から、ようやくフォルダにまとめることができた。21件あった。

2024年1月12日 健康診断

◆大学医学部で健康診断。

2023年1月11日 四分暦

◆漢代には、観測にもとづく以下の知識があった。
①1年:太陽のまわりを地球が1周して元の位置に戻る時間
    365+1/4日(365.25日)    今日:365.24220日
②1月:地球のまわりを月が1周して元の位置に戻る時間
    29+43/81日(29.53086日)今日:29.53059日
③19年で7閏月が入る→19年で235月 これについては、もう少し説明がいるが、いまはこのまま。
◆太初暦以前の秦・前漢前半のセンギョク暦や、前漢武帝が導入する太初暦を経て後漢代に復活する「後漢四分暦」も、1年を365日と1/4とする「四分暦」である。
◆四分暦は、①の(1月が何日かでなく)1年が365.25日であることを出発点とする。19年(=235月)は6939.75日となる。したがって19年が4順した76年で、940月=27759日となり端数がなくなる。その結果から1月の日数を換算すると、27759日÷940月により、29+499/940日、すなわち1月は29.53085日となる。
◆一方の太初暦は、②の(1年が何日かでなく)1月が29+43/81日(≒29.53086日)であることを出発点とする。(19年)235月は6939+61/81日(≒0.753)≒6939.753日となる。したがって、19年が81順した1539年で、19035月=34695日となり端数がなくなる。その結果からとして1年の日数を換算すると、34695日÷1539年により、365+385/1539日、すなわち1年は365.25016日となる。
◆太初暦の方がデキが悪く、後漢代に四分暦に戻る。
◆またセンギョク暦から太初暦への切り替え時に「超辰」がなされ、干支年が1年加わり、ずれる。ある年が辰年だったとして、翌年は未年になるはずだが、それを午年とする。これがいまの干支年である。干支年はこれで定まり、あとは60年で一巡して繰り返すだけ。以後の暦問題は、1年の月の割り方となる。

大歴1月例会

◆案内しておきます。

2023年1月10日

◆早いもので、はや10日。ちょっと低迷しているが、やれることをやるしかない。東京MER。

2024年1月5日、京都

◆930に京都信用金庫九条支店に行く約束だった。なんとか時間までに到着。1996年4月に入居するはずだったマンション、そのローンの残額を年末に繰り上げ返済した。で、抵当権をはずすなど、登記関係の手続きがあるり、これは書類上、実印をもって行かなければいけなかったので。
◆京都駅南は、その後、開発が大きく進展し、ショッピングモールとかホテルとか、すっかり様変わり。おかげで築30年に近づいているが、けっこう価格は高く維持されているのだとか。それだけの資産をひとつもっているということだが、早めに手放そうと思っている。
◆いまは落ち着いているが、結構、引っ越しを重ねたものです。1991H3、京都市左京区→奈良市青野町→京都市南区。1996H8が、上記物件の京都市南区(住民票の移動のみ)→千葉県松戸市。1997H9相模原市→2000H12堺市上野芝→2002H14大阪市住吉区我孫子→2005H17柏原市国分西2丁目→2009H21柏原市国分西1丁目、いまに至る。

2023年12月26日

◆対馬へ向かう日、来客があった。N大のM君、B大のT君。2人とも、久津川2022年に参加してくれた学生で、今年度卒業するのだが、2人とも就職が決まり、その挨拶に来てくれたのである。こんなことは初めてですね。特別なにかしたわけではない。彼らが、とても律儀な性格だということだろう。むろん、こっちとしてはとてもうれしいことだ。いろんな話をしていると時間が経過する。ごめんな、いまから対馬に行くのでと、切り上げざるをえなかった。歴史や文化を大事にする社会にするという同じ役割をもつ同業者として、ともに頑張ろう。

2024年もよろしくお願いします

◆30・31日と家の掃除をして、31日には子らが帰ってきた。購入品のおせちを食べ、しゃべってい ると時間が過ぎ、11:59となり、カウントダウン。明日もあるので、2時ごろには寝ることにする。
◆翌日は、ほぼ昨年と同じスケジュールとなる。11時に加古川・志方のお寺さんに、うちの兄弟家族が集合し、墓参り。そのあと宝殿の家で(姉の息子が住んでくれている)、家族会(去年はここでコロナのクラスターが発生)。そこで地震が発生し、酔いが醒めた形となる。姫路泊。ラーメン事件。
◆翌日、車を置いているので、電車で宝殿に移動。まずは高砂・生石神社に初詣(おみくじは小吉でした)。
◆今年 は姫路の書写山円教寺に行くことにする。電車で来て、また車で戻ることになるのだが。昔、子供の頃、来たのだとは思うが、小さすぎて記憶なし。なので実質的には初めて。大観光地ですね。ロープウェイで上まで行き、そこから歩く。摩尼殿、大講堂・食堂をまわり、戻る(のち、ここでロケが行われたラストサムライを見ました)。
◆そこから明石の魚の棚に行き、明石焼きを食べる。ついでに、鯛焼きと蛸せんべいも。長男夫婦の新幹線が1724なので明石を出て、阪神高速に乗るが、甘かった。十分時間的余裕はあると思っていたが、神戸市内は大渋滞で・・・。西宮あたりからは流れだし、遅れを取り戻し、当初の新幹線の発時間に近づいたが、それでも10分ほど遅れた時刻となった。神戸市内で、こりゃだめと、空席を見繕って新幹線を変更してもらった。空席なく、ずいぶんあとの時間になってしまい、申し訳ない。
◆そこから河内国分に戻る間に、羽田の事故が起こる。

2023年12月23日、近つで一須賀の資料を学ぶ

◆一須賀の資料を午前に見て、午後に研究会をやるというイベントに参加する。未報告資料の全体 を把握するのは、なかなか大変そうである。実質的な資料整理を進めつつ、参画者を増やしていくようなことを目指しているのか、と感じる。こっちも、見せてもらうだけでなく、何かやれればと思うが、そのあたりのマネージメントがうまくいくと、とてもいい場になるだろう。大阪大谷のNさんは、一須賀の墳丘測量を継続しており、われわれも役に立てることを考えよう。
◆発表を聞くと、百済からの渡来人の群集墳との感を強くもつ。
◆帰り、NさんとKさんを車で送って行くが、参加していたTさんが是非というので、葉室の釜戸塚に寄る。地権者の方が植樹していたので、断ってなかに入らせてもらう。葉室古墳群については、昔のスケッチ図みたいなものしかなく、測量ができればいいのですが・・・。とにかく、釜戸塚古墳の墳丘が驚くほど大きいことを体感する。そして、真ん中が大きく窪んでおり、これほどの凹部ができる横穴式石室はどんなものだったのかと・・・。

2023年12月29日、門司港

◆小倉から下関へ。下関のレトロ建築を見て(そう多くはない)、渡し船で門司港へ。門司には「門司港駅」の駅舎をはじめ、三井の建物と か、税関とかの建物がそこそこ残っており、港町のレトロな雰囲気がよく残る。商店街を歩き、和菓子を買い、昼飯を食べ、ミュージアムに行き、その展望フロアで地ビールを飲む。
◆小倉まで戻り、コインロッカーの荷物を出して帰途につく。

プラグイン

カレンダー

09 2025/10 11
S M T W T F S
1 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索