人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
都出先生の訃報
◆7月18日にお亡くなりになったと、20日の立命シンポの時、和田先生から伝えられた。
◆1983年に大学に入り、勉強を始めたら、先生の「農具鉄器化の2つの画期」とか、「古墳出現前夜の集団関係」とか、もうひとつあったように思うが、いろんなところで引用されているのに出くわし、コピーした。都に出るという、比呂志も含め、名前からして強い印象を受ける。ツデ先生なんですね。いま東博のえらい人になったK君は「トデ先生」と言っていたことを思い出す。
◆5月に乙訓の古墳をまわった時、参考文献を集めると、妙見山・寺戸・元稲荷など、ここでも史林の概報で都出先生は出てきた。で、8月。物集女車塚の発掘に行った時、京都考古学研究会というのがあり、都出先生と新納先生がチューターをしているという。物集女車塚は、立命や橘などのキョウコウケンのメンバーで掘っており、都出先生は長法寺南原をやっていたので、新納先生が向日市の方と指揮していた。で、みなで南原の現場の見学に行った時、初めて都出先生をお見かけしたわけだ。
◆そのあと、大阪の国民会館?だかで帝塚山主催の古墳の講演会があった時、墳丘の1:1:3とかいった段築の発達過程の発表をされていたのを、参加して聞いた記憶がある。1985年の楯築にもおそらく来られたのだろう(その時のノートが出てきたので、見返せばわかるかも)。1988年の東京の講演会のことは書いた。いま前方後円墳をやっているのは、この講演を聞いたことが大きく働いている。同年10月の播磨町でのシンポジウムで討論の進行をされていた。
◆話をさせていただいた最初はいつだったんだろう。覚えていない。
三角縁の話を関西例会で報告した時なのかもしれない(いつだったか)。とはいえ、やはり1989雪野山ですね。
◆首長系譜の断絶の論文。これは待兼山論叢だったか。いただいた抜き刷りは今でも宝です(ダンボール箱に詰めてしまった)。古墳時代史のダイナミックな展開を、ケーススタディを通してあぶりだす。基本的方向を示していただき、これにもとづき、それを墳丘から検討するという自分の研究をやってきたように思います。先生、わたしも、日本史教室に考古の教員として新規採用され、なんとかここまで継続して来れました。先生にはまったくおよびませんが、少ないとはいえ、わが社からも、卒業生が文化財の世界で頑張ってくれています。先生のお導きに感謝申し上げます。
◆1983年に大学に入り、勉強を始めたら、先生の「農具鉄器化の2つの画期」とか、「古墳出現前夜の集団関係」とか、もうひとつあったように思うが、いろんなところで引用されているのに出くわし、コピーした。都に出るという、比呂志も含め、名前からして強い印象を受ける。ツデ先生なんですね。いま東博のえらい人になったK君は「トデ先生」と言っていたことを思い出す。
◆5月に乙訓の古墳をまわった時、参考文献を集めると、妙見山・寺戸・元稲荷など、ここでも史林の概報で都出先生は出てきた。で、8月。物集女車塚の発掘に行った時、京都考古学研究会というのがあり、都出先生と新納先生がチューターをしているという。物集女車塚は、立命や橘などのキョウコウケンのメンバーで掘っており、都出先生は長法寺南原をやっていたので、新納先生が向日市の方と指揮していた。で、みなで南原の現場の見学に行った時、初めて都出先生をお見かけしたわけだ。
◆そのあと、大阪の国民会館?だかで帝塚山主催の古墳の講演会があった時、墳丘の1:1:3とかいった段築の発達過程の発表をされていたのを、参加して聞いた記憶がある。1985年の楯築にもおそらく来られたのだろう(その時のノートが出てきたので、見返せばわかるかも)。1988年の東京の講演会のことは書いた。いま前方後円墳をやっているのは、この講演を聞いたことが大きく働いている。同年10月の播磨町でのシンポジウムで討論の進行をされていた。
◆話をさせていただいた最初はいつだったんだろう。覚えていない。
◆首長系譜の断絶の論文。これは待兼山論叢だったか。いただいた抜き刷りは今でも宝です(ダンボール箱に詰めてしまった)。古墳時代史のダイナミックな展開を、ケーススタディを通してあぶりだす。基本的方向を示していただき、これにもとづき、それを墳丘から検討するという自分の研究をやってきたように思います。先生、わたしも、日本史教室に考古の教員として新規採用され、なんとかここまで継続して来れました。先生にはまったくおよびませんが、少ないとはいえ、わが社からも、卒業生が文化財の世界で頑張ってくれています。先生のお導きに感謝申し上げます。
2025年7月31日(木)新しい車になる
◆13時に三木のホンダカーズで納車。なので、まず関学に行き、新三田駅前のスタバで和泉市史の原稿を書いていた。12時にカミサンを乗せて三木に行き、受取る。古い車は25万キロ走行。よき相棒でした。
◆で、今日はそのままどこかへ行くこととし、出石に向かう。
出石着は1530。旧鋳物師の家を町が買い取り資料館にしているところを見学。1630を過ぎ、土産物屋も蕎麦屋も閉めているところが多かったが、開いていた蕎麦屋で皿そばを食す。2007年以来か。辰鼓楼を見て、出石城を望み(小出→仙石氏)、17時には出る。国道426号線を出石川沿いにさかのぼり、丹波国境のトンネルを抜け福知山に。福知山から近畿道舞鶴線で三田経由、国分に戻る。
◆永楽座の歌舞伎を見たいものである。
◆で、今日はそのままどこかへ行くこととし、出石に向かう。
◆永楽座の歌舞伎を見たいものである。
2025年3月30日(水)カムチャツカ地震
◆いろいろ仕事を考えてはいたが、結局は個人研究室の片づ
けに明け暮れる。まず机に積み上げていた本類の処理。図書館に入っている本か、そうでない本か、山口さんに調べてもらってと思っていたが、部屋をすっきりさせるため、朝8時過ぎから自分でやった。重複しているものは基本ステ。入っていないものは図書館の本として登録に出す。
◆本は日通が箱詰めするので、重複していても身近に置いておきたいものだけを厳選して、本棚にまとめていく。書類やファイルは分量を見ながら、まとまったものから箱詰め。4箱ほど詰めたか。ちょっとしたもので、現物は捨てても残したいものはスキャンしてPDFデータにする、などもしている。
◆両サイドの本棚とも、けっこう進めた。
◆阪神タイガース、後半戦4連勝でM39。
◆本は日通が箱詰めするので、重複していても身近に置いておきたいものだけを厳選して、本棚にまとめていく。書類やファイルは分量を見ながら、まとまったものから箱詰め。4箱ほど詰めたか。ちょっとしたもので、現物は捨てても残したいものはスキャンしてPDFデータにする、などもしている。
◆両サイドの本棚とも、けっこう進めた。
◆阪神タイガース、後半戦4連勝でM39。
2025年7月29日(火) 構内の現場
◆市文協が解散し、大阪府文化財センターが調査。卒業生のOGの
K瀬さんが担当。掘り上がったので見に来てくれとの連絡を先週受け、本日、見に行く。出ている煉瓦建物について、米軍接収時のものとの見方であるようだが、諸記録ではそのような建物はない。
◆現場を見ると、大阪商科大学キャンパスにする際に、畑地の上に50~60㎝くらいの砂が入れられ、その上には15㎝くらいの粘土層、そしてアスファルトの舗装面という状況を見ると、米軍は、既に地上げして整えられた地面に建物を建てればよく、大学時代の建物を米軍が取り壊したと考える方がいいのではないかと思った。いまから開学時の建物配置図を調べてみよう。
◆調べてみました。写真はS17年の空中写真。黒枠がアバウトながら調査区。煉瓦建物はなし。大阪商科大学の建物でもなさそうである。
◆そうすると、1945年かその前か、日本軍が使用していた時期がある。その時のものではないか。
◆現場を見ると、大阪商科大学キャンパスにする際に、畑地の上に50~60㎝くらいの砂が入れられ、その上には15㎝くらいの粘土層、そしてアスファルトの舗装面という状況を見ると、米軍は、既に地上げして整えられた地面に建物を建てればよく、大学時代の建物を米軍が取り壊したと考える方がいいのではないかと思った。いまから開学時の建物配置図を調べてみよう。
◆調べてみました。写真はS17年の空中写真。黒枠がアバウトながら調査区。煉瓦建物はなし。大阪商科大学の建物でもなさそうである。
◆そうすると、1945年かその前か、日本軍が使用していた時期がある。その時のものではないか。
最後の和泉市史
◆地域編もテーマ編も終わり、最後の巻、全体としてまとめたものが来年度に刊行される。10月までに通史編の原稿を提出することになっている。市史編纂事業は2000年の赴任より前に始まり、石部先生と広瀬和雄氏が担当で、横山編や松尾編にはかかわっていない。執筆分担は池田編から(刊行2011)。その後、テーマ編(2013)、信太編(2015)、(近世・近現代のテーマ編)、府中編(2024)まで、計4冊にかかわる。
◆和泉市史は勉強になった。とくに古代史の古いところ、茅渟宮とか茅渟県、根使主や茅渟県主についての、文献史側の見方は大いに参考になった。そして水利調査にかかわり、現在の地域開発の起点が6世紀にあることを学ぶ。4世紀くらいまでは考古学でこちらが考えてきたことだが、5世紀史くらいからは文献古代史とあわせて考えることが必要だ。淡輪の理解もそうである(第3系列としての西陵古墳の意味づけも)。そうやって考古学だけからみたものでなく、地域の歴史として総合的に考える訓練をさせてもらった。
◆新しいことはないが、市史編纂を通して考え、市史に書いてきたことを全体としてまとめる機会が最後にある、ということだ。平易に手短に。とはいえ、市教委が分担執筆している部分については、多くの調査成果など十分に吸収できているわけでなく、それを読み込んで全体をさらに考えるという、さらなる勉強が必要だ。
◆和泉市史は勉強になった。とくに古代史の古いところ、茅渟宮とか茅渟県、根使主や茅渟県主についての、文献史側の見方は大いに参考になった。そして水利調査にかかわり、現在の地域開発の起点が6世紀にあることを学ぶ。4世紀くらいまでは考古学でこちらが考えてきたことだが、5世紀史くらいからは文献古代史とあわせて考えることが必要だ。淡輪の理解もそうである(第3系列としての西陵古墳の意味づけも)。そうやって考古学だけからみたものでなく、地域の歴史として総合的に考える訓練をさせてもらった。
◆新しいことはないが、市史編纂を通して考え、市史に書いてきたことを全体としてまとめる機会が最後にある、ということだ。平易に手短に。とはいえ、市教委が分担執筆している部分については、多くの調査成果など十分に吸収できているわけでなく、それを読み込んで全体をさらに考えるという、さらなる勉強が必要だ。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。