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弁天塚古墳の現在

◆弁天塚。南に前方部をむけるのか。後期古墳のように見えます。京都の片平大塚古墳というのだったか、イメージはそれに近い。
◆グーグル画像により計測すると58m。南朝尺の38.6歩。削り込み分を考えると、40歩60mくらいか。後期古墳で前方後円墳となると、6世紀前半かもしれません。

弁天塚古墳

◆前方後円墳。近世末には墳丘が良く残っているようだ。いま東大寺という寺院が立つ。大正7年に住吉の別地点から移転してきたらしい。おそらくその際に削平したんだろう。もし石室などが出ていれば、新聞に載ったりしておかしくない。すでにそれ以前に削平されていたのかもしれません。墳丘の高台にお寺はあり、墳丘はまあ残っている。規模は50mくらいか。位置づけをする材料はない。

二本松古墳

◆6世紀後半の円墳。いまはなし。明治末年に石室・石棺が発見され、馬具などが出土している。東博のHPで見ることができる。発見時の新聞記事があるようで、それをまず見ないといけません。馬具などを資料化するなどのことは一切されていないようである。

2026年1月24日(土)帝塚山古墳

◆すみよし歴史案内人の会の求めによる見学会。10時現地。
◆南海高野線の帝塚山駅を降りると、古墳前におっちゃん・おばちゃんが集合していた。


もひとつ

◆渋谷―築山。これは王寺町の講演会の時にやった。未発表。そのあと、巣山・島の山と。そうか、『和泉市史』に図を出したかもしれない。
◆いずれにしても築山は段築構造からすると、渋谷向山を受け継ぐ。そして重ねると、けっこう枠組みがあっている。副系列が馬見・築山へ継承されるのは確かだろう。が、陵山もまた向山を受け継ぐといまのところ考えているわけです。そうでなく、陵山が別のところから来ているという納得できるものがあれば、また考えなおします。
◆まあ若いもんがやってくれればいい。わたしは設計ではかなわないので、姿形でしかやれないので。

渋谷

◆実寸です。主系列が墳頂の仕上がりを踏襲するのに対し、渋谷は長い。これは桜井茶臼山以来の副系列の仕上がりの継承なんでしょう。

陵山と向山

◆苦しいのでしょうね。なんか緑が自動的にCMYKの色でなくなりますね。
◆3段2段(4段3段)の墳丘がなくなる。それが断絶を意味するのかもしれないし、3段に仕様変更して続くのかもしれない。いまの考え方は右図の通り後者である。

佐紀陵山

◆結局のところ、佐紀陵山はどのように成立したのか、これが問題。
◆右図は墳丘長あわせ。宝来山と陵山は近似する時期だと思うが、陵山が宝来山の類型墳とはいえないだろう。前方部墳頂の細さがやはり気になる。宝来山は行燈山を受け継いだ前方部墳頂の長さや開きがある。墳丘長における前方部相対長も長い。
◆またこれらは墳丘長であわせたものだが、実寸となると、宝来山は170歩で、陵山は150歩(この図は145歩)である。前方部墳頂のイメージもさらに差が顕著となる。そして墳丘長150歩は副系列で継承されていく。
◆で、陵山の墳丘はどこから来たかとなると、渋谷かと考えたわけだ。これは苦しいのでしょうね。それはわかっている。向山と陵山をつながず、渋谷はそこで終わり。陵山が新たにできる、のかもしれない。考古学研究の段階ではそうのように考え、陵山は五社神から分岐する、そう考えていたわけだ。しかし現時点ではそうはいかない。

仲津山

◆次は仲津山です。実寸同士。修論時は周濠輪郭も含めてやっていたはず。

宝来山―五社神の系列関係

◆次は五社神。やはり前方部墳頂のスケール観は似通っている。前方部上段をさらに高めているので、幅は狭まっているが。そこへもっていくための前方部の形状も、ほぼ重なっていることも読み取れる。修論の時にやってたな~、と思い出す。
◆再び地盤の高低差の大きい地点への立地で、なかなかに難しい問題もある。後円部径を20歩、前方部前端を20歩、それぞれ拡大したと考えたことがある。170歩を210歩にしたのだと考えている。
◆それはともかく、これもまた、主系列墳の墳頂の仕上げ方を受け継いでいるのではないか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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