人を幸せにする人になろう

2022年11月5日、相生

◆甲崎古墳という前期前方後円墳が発見され、意見を求められたことがあり、講演を引き受けたも の。なんとか資料を木曜日に出し、金曜日、パワポを整え、当日も直前までキャプションとかを補訂し、なんとか90分しゃべりました。この図は、資料を送ったあとで作ったもので、完全ではないが、当日出したもの。尺度の切り替えはTK216だろうと思います。

行燈山型前方後円墳

◆相生で甲崎古墳というのが見つかりまして、5日に話をしないといけません。その甲崎古墳というのは行燈山型と考えられ、播磨のほかの事例などを配列した図を作ってみました。

播磨の前方後円墳

◆ちょっと規模について並べてみた。

記事№5700 野田院後円部

◆善通寺市野田院古墳の報告書を見ていると、板石を実に見事に後円部の円弧に沿ってならべてい る。これで尺度をやるべしと。で、やってみると、出入りはあるが、ほぼ15歩(ちょい+)。15歩でもいいのかなと円弧を置いてみた。

2022年10月29日、考古見学会2

◆茨木市立文化財資料館。なかなかよかった。第38回テーマ展は、いいものをひととおり並べるもので、考古資料もなかなかよい。銅鐸鋳型のホンモノ、安威の石釧や将軍山の埴輪、太田廃寺の瓦、茨木城の建具など。企画展の水カン、もよかった。
◆最後は、七尾瓦窯によってから吹田市博。常設展もいいし、神崎川展がよかったです(図録を買い損ねた)。神崎川展 はでかく、企画展示室だけでなく、常設展の一部も入れ替えているよう。パネルに通し番号があり、常設展の一画から始まり、後半は企画展示室に続く。
◆焼き物のところの窯跡も、5世紀からの窯構造の変化を示しているのですね。地域の祭礼なども取り上げてあり、吹田の特質をふまえた展示として、よく考えられていることに改めて気づく。17時になり、外へ出るともう暗いが、ピンク火山灰の露頭があるとの表示があり見に行く。岸部駅まで学生を送って、終了。

2022年10月29日、考古見学会

◆後期、月1で予定は入れた。10月は予定決めが遅かったので、入れるとしたらここしかなく、参加 できない者もいたが、以前の高槻の続きで茨木市に行くことにする。930JR茨木駅集合。
◆追手門学院総持寺キャンパス、すごいわ(写真)。儲かるんですね。太田廃寺跡はそのへり。段丘の段差が大きい。太田廃寺は個人住宅の下なので、まだ残ってるんでしょうね。看板が新しくなっています。茨木市、頑張っている。太田茶臼山古 墳。うろうろする予定だったがやめる。前方部前面を拝んだので、それでよし。そこから、高槻の古墳。
◆それから茨木市に引き返し、紫金山と青松塚(青松のグーグルマップの位置は間違っています)。以前の警察病院、いまは豊泉家病院。古墳見学者にも配慮してくれているんでしょう、知っていれば行きやすい。が、うろうろ。
◆少し戻って、将軍塚と将軍山古墳の移築竪穴式石室。この移築石室、前は入れたようにも思うのですが、封鎖されている。追手門学院の学園祭でうるさい。
◆耳原古墳。帝人の研究所が解体され、いまは中に入れません。鼻擦古墳。この終末期方墳らしきもの、情報があまり出てこず、概要がよくわからない。調べてみないと。
◆海北塚(写真)。郡山宿本陣。これ国史跡なんですね。いまは公開を中止していました。

2022年10月27日、五箇荘南部むらあるき7

◆北花田を味わい、東まで出る。溜池が埋め立てられ、東小学校と公園になっている。南の船堂に 向かうが、これが道がないわけです。北花田と船堂の間、古い地図では竹やぶになっている。戦後、それぞれの村側からのミニ開発が進み、いまは家が立ち込めているが、開発単位ごとに完結しているから、宅地街路は北花田側や船堂側には出れるのだが、連絡する道は計画されていないので行き止まりばかり。しばらくチャレンジしたがだめ。東に出て溜池埋め立て公園沿いに南に下り、ようやく船堂に入る。
◆そして長尾街道に出る(写真)。
◆長尾街道の南は蔵前。ここは河内国だが、ひとまわりし、長尾街道を西に戻り、途中、真言寺院を見て(華表神社の真南)、駐車場にたどりつき、大学に戻る。2時間半程度、楽しかった。
◆いま道路では、ここから大阪市だとか堺市だとかの表示はありますよね。ここから摂津国とか、河内国とか、和泉国とか、そういう表記もしてくれればいいのに、と思う。

2022年10月27日、五箇荘南部むらあるき6

◆神社前の東西道路を東に進む。大きな南北道路にさしかかる。これが、ときはま線か。こういう ことに感動する。いつも車で行きかっていた道路、それが1921年の地図に現れている、このひとかたまりのようになっている集落域のなかでも、北花田と船堂の西側には集落域は広がっておらず田になっていた。そこを利用して南北道路が通されたんだ。このコの字形に見える集落域は、ときはま線で分断され、北花田は道の東なんだ。
◆で東に進むと、でっかい家がある。これはおそろしく広いです。

2022年10月27日、五箇荘南部むらあるき5

◆奥本の奥までたどりつき、東に折れ、宮村、いまの宮本に向かう。センターに華表(かひょう) 神社がある。掃除していた方に話しかける。なんて読むんですか?。音読みです、カヒョウ神社です、と。

2022年10月27日、五箇荘南部むらあるき4

◆長尾街道に面して五箇荘小学校がある。まずは
新堀ムラ。資料に新堀城というのが出てくるそうな。平凡社の地名辞典の関係個所のコピーをもちながらだが、そう書いてある。
◆北上すると奥村だが、いまの地番表記では奥本になっている。歩いていくと、奥村に入っていて、どこまでは新堀か、どこからか奥村か戻って確かめたりするのも楽しい。三好さんという大きい家があり、三好(政権)の生き残りか、という話も出る。 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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