人を幸せにする人になろう

子供は自ら育つ

◆安倍銃撃事件、で秋葉原事件を起こした人の死刑・・・。親が悪いわな。通底するところと個別で異なるところはむろんあろうが。小さい子供はかわいいもんです(早く孫がほしい)。すること、ほほえましい。なぜにスクスク育たないのだろう。
◆親がいじりすぎる。干渉しすぎる。駅前は塾だらけ。勉強やってれば褒められる、ひずんだ社会。子供に必要なのは無限の時間と、本人が面白いと思うものに対する没頭。1人の木だ。芽生え、太陽に向かってのび、枝葉を伸ばし、成長していく。それを親は見守っていればよい。肥料や水をやることもない。大地や光や空気のなかで、自分で育っていくのとちゃいますか。邪魔しないことだ。敢えていえば、親は大地か。親の養分を吸い取ったらいい。

男女格差

◆まずもってジェンダーギャップという言葉が気に入らん。ステークホルダーとか聞くと、「それなんですの」と聞くことにしている。カタカナ語の氾濫。
◆カミサン曰く「なにから手をつけていいのかわからない」
◆だいぶウチも女性教員が増えましたが。
◆金曜日に、ひとつ授業をしなければならないことになり・・・。博物館法改正の話でもしよかなと。

笑うしかない

◆わたしは墓はいりません。焼却処分。
◆昨日か、もひとつ前で、ガンになった夢を見ました。けっこうウロ来ておりました。強くは生きられません。まずは人間ドック。

纒向学研究第10号が来た

◆1冊、送られてきました。読み返す。もう頭が忘却なので、書いている時に頭に入っていたことが 抜け、読んでても、字ずらを追うだけですが・・・。結論図を示しておきます。
◆で、ぱらぱらめくっていると、桃核など、C14の論文が3本あり、Intcal20では、庄内3式が210年から240年というのが導かれた、とある。画像にあげたわたしの現時点の結論は210年代から230年代。知らんけど、ピッタシやん。

ちょっと別件

◆土曜日の関西例会で、文化財保存活用地域計画、の話が出た。こないだ、6月に文献史の人たちとの研究会でもしゃべったが、考古畑の文化財担当者は、地域文化財を、指定・未指定にかかわらず総合的にという場合、やはり記念物や建造物、民俗などとなる。遺跡、寺社、城館、近世・近代の建築物、そして祭礼などをイメージし、パッケージを作ろうとする。が、近世文書などは、念頭にないのでは。近世文書は、埋蔵文化財のように保護規定がなく、代替わりで家をつぶす場合に、良心的な人は資料館や本庁の文化財担当に、一度、見に来てくれと伝える。そんなことお構いなしの家屋のつぶしや、資料の廃棄もある。初めから骨董屋に話をもっていく人もいる。そっちサイドから、こんな文書ありますが買いませんか、と話が来る。
◆もとい。文献担当は博物館や資料館勤務で、文化財保護行政にかかわることはあまりない。上記のような所蔵者さんから、選択し、古文書やモノを引き取るのは、文化財保護の仕事をやっているという意識はないだろうと。法律にしたがった行為ではないから(文化財保護法はエエモンを指定して保護する法律に過ぎない)。それがようやく未指定のものも、となってきたわけだが、まだまだ近世文書は条例により指定しようかという場合は行政の保護行為になるが、ほとんどのものは、法律外のところで、学芸員の価値判断で、博物館・資料館として収蔵するという法律外の行為である。
◆この時に話をしたのは、埋蔵文化財もひとつの柱かもしれないが、近世文書をいかに把握し保存を図るかが、文化財保護行政の半分くらいの仕事ではないか、ということ。いま文化財保護行政にあたる考古畑出身の担当者に、そうした意識はないだろうと。
◆一般のひとたちの関心は、おじいちゃん・おばあちゃんの時代に始まり、近代、近世。古い遺跡が好きな人は別にいる。それも大事だと総論は賛成でも、いまの自分たちの生活とは直結しない。これは縄文以前はという話でもない。理念的につながっているとは言っても、弥生や古墳や奈良時代も、中世荘園も、いまとは直結はしない。やはり近世に地域社会が強固になり、そこに近代産業化が進み、産業構造なども変わり、戦後の人口増と経済成長で地域が活性化し、そしていま後退局面にある。
◆近世文書の豊かさ、それを残さないと、いまもちゃんとある近世村の歴史はわからなくなる、ということ。遺跡が破壊されるということと同様に痛みを感じないといけないことだ。地域計画、指定・未指定にかかわらず地域文化財の総合的な保護と活用という場合、近世文書がすっぽり抜け落ちているとすれば、これは困ったことだ。完全な抜け落ち。形あるもの(古文書もモノではあるが)、不動産的なもの、そういうのが町づくり、観光資源化、地域のウリとしてわかりやすいのは事実。が、そういうものが、実際のところ何だったのか、どう使われたのか、どういう意味をもっていたのか。考古資料と同じ、外形的な説明はできても、内実はわからない。地域に残る不動産的文化財や祭礼等の民俗文化財も、文献資料があれば、はるかに豊かな内容を与えてくれる。失ってしまえば、用途を終えた外形的な把握にとどまる。文献資料を軽んじてはならない。
◆文献史の人たちも、これまで文化財保護行政にかかわることが少なかったと思うが、そういう世界に食い込み、対等にわたりあう、そういう志向性をもつ人材を生んでいくことが大事。

日本の基幹産業だった紡績業

◆1960年代まで、日本の基幹産業だった紡績・繊維。各地に大工場があり、雇用があり、ニチボー 貝塚バレーボール部のように、会社のスポーツも盛んだった。高度経済成長を支えた。いま、それら大工場が廃止され、跡地が切り売りされ、レンガ建物など、一部の施設が記念館になったり、観光施設として飲食店などへ転用しての活用が図られている。やりたいのは、おおさかにあった、大紡績工場のかつての姿を確認したい、1961年の地図に落とし込みたい、というもの。まずはしかし、どういう会社があったのか。そういうことを調べていくにも時間がかかる。
 ◆さいわい、広瀬隆の本に図があったのでそれを組んでみました。鐘紡など、東京系をはずし、大阪にあった会社をひとつひとつ確認し、第1工場、第2工場など、すべてチェックしてい くこと。画像はニチボー貝塚です。

2022年7月24日(日)、和歌山

◆今週は、カミサンの和歌山の実家に行き、窓を開け、空気を通す。書斎に『黄金の日々』があったので、もって帰ることにする。いま院演習で、中世史の1人が今井宗久の文書を読んでいるので。我孫子に鋳物師を集めるという話もあって・・・。この城山三郎の小説自体は、当時までの通説にしたがっているが、いまは違う読みもなされているよう。いま残っている今井文書、五箇庄の代官になったのは確かであろうし、そのなかで、塩魚の税をめぐる1件はそのひとつだし、もうひとつ吹屋の問題があるということ。これは河内鋳物師でも五箇庄鋳物師にかかわる点で興味がある。
◆天誅組の本もあって、しばらく読む。伴林光平について。前に、国学者で陵墓探索をやった人で、天誅組にかかわって処刑された伴林、明治に宮内省に入って、引き続き陵墓探索をやっただれそれ、という対比的に紹介している記事を読んだことがあったので。
◆午後から出勤しようかとも考えていたがやめ、和歌浦の玉津島神社に行く。神社の由緒の説明看 板を読むが、和歌の神社というのが、あんまり正面から取り上げられていない。ソトオリ姫が和歌の3神の1人として祀られているという話を聞いたので。
◆こんがらがっていて、調べてメモを作らないといけないが。紀貫之が古いんだ。古今集の序文とやらを見ないといけない。で、蟻通のはなしはいつできるんだろうか。枕草子に「社は」というところに蟻通神社の話がある。で世阿弥の蟻通は、 紀貫之は和歌の神社である玉津島神社にお参りに行く道すがら、蟻通神社のところで雨にあい、歌を詠んで、通してもらったという筋になっている。以上、断片的で、不確かな知識です。国文の世界では研究があるのだろうな、と思いますが、一度、調べてみよう。
◆和歌浦の訴訟の話もちゃんと知らない。これもざっと知っておく必要がある。鞆と同様の景観問題なのだろう。でみ結局は道路が通された。行かなかったが海水浴場では音楽ががんがん流され、不老橋をわたったところには、貸会場施設などができあがっている。絶景ということで日本遺産になったそうだが・・・。

2022年7月23日、関西例会

◆7月15日くらいから準備にかかった。が、復元図をやり直すこととし、ト レース図、既往の調査の落 とし込みなどに、えんえんと時間を費やす。資料は20日締め切りで、なんとか21日に出す。復元図をようやく仕上げたのも21日。こういうの、これまで作っていたものと大きく変わるわけではないが、ちゃんとやるとすると元データにあたる必要があり、かなり時間がかかる。既往の調査の位置落とし、調査成果の理解は、どこかで、やれることはやり(位置が正確でないのはやむをえない)、以後はこれでいくと、完全版を作ってしまわないと、同じような作業を繰り返すことになるだけですね。
◆そこからパワポを作り、過去の調査の写真から使うものを選んでいると、これまた時間がかかる。前日の22日(金)、これでは間に合わないと宿泊届。うとうとしながらも朝方までやり、1時間半くらいは寝たかな。起きてまた続き。だいたいできたのが11:30.
◆そこから穴がないかをチェックし、補い、そんなことをやっていると、完成は13時開催直前の12:45となる。だいたい画像をみながらしゃべれるが、必要なしゃべりメモをパワポに記入してた。で、直前にパワポを開くと、発表者ツールにならない。いつも授業で使っているとそうなっているのだが、全画面表示にしかならず、あせる(スライドショーにしてから右クリックなのね)。あきらめる。けっこう動揺するも、気を取り直し、思い出し出し、しゃべれると言い聞かせ、なんとか発表した。
◆Y町K氏の発表を聞き、終了後すぐに職場を出て、家に帰る。Amazonプライムで映画を見る。

2022年7月17日(日)、加古川

◆母親の面会に行く。1組2人まで10分というもの。いつ、こういうのが解消されるのだろうか。元 気そうにしていた。月1回くらいは行くようにしたいもの。これが14時。午前は神戸に行き、六甲山に上る。初めてでした。大観光地で、やたらいろんなものがあり、それぞれ駐車場があり。その店をめざす人はそれでいいのだが、眺望を見に来た人のための公営の駐車場はないものか。
◆六甲山の山の上に雲がかかっているのはわかっていた。上まで行っても、まだ晴れておらず、神戸の街・海は眺められませんでした(写真)。そのあと買い物。そして加古川。
◆面会後、姉のところに行って、月末の法事の打ち合わせをして帰ってくる。
【追記】この時の施設に面会予約の電話を入れた時も、コロナ感染者が増えているので、いけるかな~と心配していたが、この時はOKだった。が、直後、姉から、また面会禁止になったとの連絡をもらう。

2022年7月16日、和泉見学会

◆考古の見学会。9:30みさき公園駅。天気はなんとか。
◆①西陵。縦断し、北側のテラスをまわって戻る。途中、作り出しに。②西小山、あいかわらずどこにあるかわからん。③淡輪公民館。が、埴輪の展示ケースが、ない。公民館の人に聞くと、孝子駅近くの資料館にもっていったのでは、と。④淡輪駅に戻り、車をおいて、ニサンザイ古墳。そのあと車で道すがら陪冢を見る。で、⑤岬の歴史館。あんまり考古のモノは並んでいないが、まあ、ある。西陵の甕の須恵器片があった。民具のところに鞴があった。それと多奈川瓦の展示がまとまってあった。⑥淡輪に戻り、道の駅から遠望。やはり岬高校ま で上がらないと、大阪湾と古墳の眺望はできなさそう。
◆⑦海会寺。埋文センターは開いていると思っていたが、土日休館になっていた(前は開いていたと思う)。⑧歴史館いずみさの。なんと府文化財センターが指定管理になっていて、館長はSさんだった。企画展ごとに作成した簡単なパンフレットが充実していた。そのあと、昼飯だったかな。⑨貝塚市歴史展示館(旧ユニチカ貝塚工場事務所)。
◆⑩久米田古墳群。⑪久米田池。そこからすっとばして、⑫弥生博。今日から企画展。
◆終了後、禅寂寺(坂本寺)、明王院(池田寺)、で終了。1人を和泉中央で下ろし、2人を和泉府中まで送る。

プラグイン

カレンダー

03 2025/04 05
S M T W T F S
1 3 4
6 7 8 9 10 11 12
14 15 16 17 18
21 23 24 25 26
27 28 29 30

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新記事

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索