人を幸せにする人になろう

敦賀から木ノ芽峠を越えて今庄へ5

◆ずんずんと下っていく。この長さがかなりきつい。
◆ようやく二ツ屋集落が現れるが、自動販売機もなし。 この間、雨宿りをのぞけば休みなく歩いてきたので、小休止。
◆やっと鹿蒜のメインの東西方向の谷に出る。二ツ屋の南からの谷が合流する地点には上新道の村がある。かなり大きい。交差点近くに自動販売機を発見。が、近づくと、どうも古そうで、こりゃダメかなと100円を入れるが、案の定、落ちてきた。すぐ東には下新道の村がある。

敦賀から木ノ芽峠を越えて今庄へ4

◆新保を抜け、現道と交差し、それを横切って山道に入ったのは9:30くらいか。ところどころ、北陸自然歩道の巨大な看板があり、峠まで1.6キロとかの標柱もある。谷底に木の芽川が流れ、谷もけわしくなる。
◆峠についたのは10:15くらい。山道の草を刈ってくれていて、その葉っぱが新鮮で、昨日あたりに草刈りをしてくれたのかなと思っていたが、峠の茶屋におじさん3人が座っていて、これが草刈りの格好であった。われわれが登る直前に草刈りをやってくれていた。
◆この峠には福井藩の指名した?前川家が茶屋兼番人となり、このあいだまでおられたそうだが、おじさんたちの話では81歳で亡くなられ、閉まってしまったとのこと。福井県側はスキー場となっていて、そこから北陸街道をたどる道も調べておいた。ちゃんといけるかどうか不安で、いざとなったら、北国街道に下ることも考えていたが、なんとか行けそうである。峠から尾根に近い道を北上すればよいとふんでいたが、不安になり、スキー場施設の管理道路に下り、そこから二ツ屋への道を下る。

敦賀から木ノ芽峠を越えて今庄へ3

◆8時ごろ、獺河内にさしかかった頃から雨。ちなみに朝、敦賀駅のコインローッカーに荷物は預 け、コンデジくらい。傘も持ち出さなかったのは大失敗。かなり濡れながら、北陸道が川を越すところで雨宿りを10分から15分くらい。雨雲レーザーをチェック。再び歩き出す。
◆葉原に至る。小学校が跡地になり、二宮尊徳像がある。役所や小学校の統廃合が、この国をだめにしている。葉原を北上すると旧北陸本線となるが、北東に向かう。木ノ芽峠ふもとの新保をめざす。このへんが標高300mで、木の芽峠は630m で、約300mの谷沿いの山登りである。
◆新保でまた雨が降ってきたので、バス停の小屋に逃げ込む。歩き始めたのは9:15くらい。ここは、天誅組の変(1863年、8月17日に五条代官所を襲撃、9月27日壊滅)、生野の変(10月12日、すぐに瓦解)に続き、1864年の3月27日に筑波山で決起した天狗党の乱が、最終的に武田耕雲斎ら1000人ほどが京都をめざし、岐阜から越前大野を経由し、敦賀をめざすが、最終的に12月17日に降伏した場所である。

敦賀から木ノ芽峠を越えて今庄へ2

◆北陸街道については、奈良時代は山中峠を越え、海岸線を通るルートだったそうだ。 それが830年に木ノ芽峠越えのルートが開発され、紫式部もここを通ったのだとか。
◆6:30スタートする。巨大な新幹線の新駅の工事が行われている敦賀駅の北側を東に進み、6:45踏切を横断して線路の南にまわり、木ノ芽川に出 て(下の写真)、そこからは基本的に川沿いを進む。天気は曇っていて熱くないのはよいのだが、雨が降ってきそうである。
◆7:25樫曲。当初は越坂を抜ける正式ルートを考えていたが、木ノ芽川沿いの国道476とする。旧北陸本線のトンネルなどが、まとめてなんとか遺産になっていて、その看板があちこちにある。道路となっているトンネルもひとつくぐる。現在はこれらは日本遺産になっている。

敦賀から木ノ芽峠を越えて今庄へ

◆しばらく前から、伝健になった南越前市今庄に行こうということになっていました。2日の夕方に ある宴があり、その日に行けるところまで行っておく、という話に進む。そのうち、プチ伊能旅をしようか、という話になる。伊能旅とは、定年退職後、1年、日本を歩きで放浪するという前々からの計画。で、1週間くらい前から、敦賀から木ノ芽峠を越えて今庄に行くというプランを考えるに至る。実際に調べてみると、4~5時間くらいで、たどりつけなくもない。

だいれき部会報告

◆当日になりました。パワポがひととおりできたのが、今朝6:15でした。 結局はしかし、提出資料は、必要な図面を作るところまでで時間切れとなり、文字レジュメは、1頁目に目次をつける程度になりました。画像は、はじめのところあたりの、レジュメ用に筋を書いていたものですが、こういうのもまったく資料に組み込めませんでした。
◆また御墓山の評価について、うろうろしていましたが、改めてやってみると、陵山でええやん、という結論になり、中期は扱いませんでした。
◆久しぶりに阪急に乗り、神戸大学にでかけました。1435から1535まで1時間ほどしゃべりまし た。こういう機会をもらって勉強すると、いろいろ進んでいくものですね。前から考えてきたことについて、大きく変更は要しませんが、設計を考えることで、根拠を与えることができるようになる、というところでしょうか。佐紀陵山型は、わりあいと指摘でき、早くからやってきたゆえに、ちゃんと詰めていなかったことなどが、明確になりました。
◆さて、7月のことを考えなくてはなりません。まずは6月末までの科研の終了報告。7月は、中四国前方後円墳研究会の準備会の構想発表、古文書プロジェクトの近代文書の資料紹介、考古学研究会関西例会の発表と、休ませてはもらえません。でも、ここ数日のあとかたづけから。

8月攻勢

◆次は久津川中間報告書です。8月にあらあら作ってしまい、秋以降仕上げていくイメージで進めたい。

専業主婦率

◆いちばん多いのは奈良県、次いで大阪府。
◆いま、学会開催時にベビーシッターが必要となっています。
◆有期雇用の研究者は、やりがいの搾取である。
◆昔、山崎室長が、朝、紙にマジックでやることを書き上げて、それを消していた。同じことをやってます。その日に処理できることばかりではないですが。

2022年6月19日、なんとかワーキング

◆翌日は、大阪歴博で、13:30からある会合。3本の話題提供の最後の1本もかかえていた。資料自体は数日前に作ってしまっていた。午前、大会報告の準備をと思いつつ、家でだらだらしてしまい、昼過ぎに谷町6丁目に向かう。16:00過ぎ終了。
◆この間、電車の中で、とにかく発表資料に書き込むことのメモを作っていた。終了後、職場に来て22時まで作業。御墓山まで到達した。なんとかなるかな、と。細かい詰めはぎりぎりまでとして、とにかく迷惑をかけない範囲で、なにがしかの発表資料を作ること。

2022年6月18日、藤澤さん個展

◆この日しかなく、京都に車で向かう。朝からやってるものと思いきや、12時からになっている。 この日、カミサンは12:48の新幹線で八戸に向かうことになっていて、午前に個展を訪ね、出る予定だった。京都まで行ってしまって、三条通の茶店で少し時間をつぶし、11:30くらいなら入れるかもと行ってみると、入れました。何年振りかはわからないが、お元気な様子でした。
◆けっこう売り物の絵は売却済みになっていて、うちのカミサンは残ったものから1点、購入していました。ばたばたと12時前に辞し、地下鉄に向かい、八戸に向かいました。
◆こっちは、1430時から大学院入試説明会があり、13時過ぎくらいには職場に来て、1415からZOOMを空けておけということだったので、最初に説明する内容を準備して、時間を待つ。
◆それが終了し、次は1830からの大歴臨時委員会。
◆なかなか大会報告の準備の時間が取れません。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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