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人を幸せにする人になろう

久津川測量図

◆3月1日、午前と宮崎に行く間に、ひととおりトレースする。
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2016年2月29日久津川車塚

◆自分、原田、大澤、吉村、安藤。龍神様が暴れ雨との天気予報。9時の現場では雨が落ちていた。 なんとか昼まではやるかと始め、藪のなかでもあり、なんとかやれ、そのうち雨も止まる。最初はP205で残り部分をやる。D5の紙の西南部分の空白も、フラットで、レベリングと、1本ほど等高線を入れて埋めたような気もします。その後、P207に移動し、まずは茶畑E4。だいたいフレームは取った。紙の範囲外も、周囲の街路をめぐらせる時にやればよい。これで昼。
◆ガストで昼飯を食っていると、雨が激しくなり、14時まで待機。まあそのあとは上がっていく雲模様だったので、再開。マシンの位置のD4に立て、線路、北側の竹藪との境界、畑地の境界などなど、輪郭を入れつつ、レベルを落とし、等高線も何本か入れる。D4は完了し、D5の紙に変え、東の道路沿いの周堤の高まりを入れていくが、再び降雨もあり、16:20頃には撤収したように記憶する。
◆老いると、ぐったりです。まあけっこうきましたよ。今日のように、南半分は開けているので、楽。踏切近くまで一気にやれるだろう。問題は竹の密生する北半の線路沿いである。これはちょっとボランティアさんの伐採を入れてもらい、なんとかするほかない。あと2日あれば、終わるかも知れませんね。4月はじめの学期開始までに、なんとか終わってしまい、測量調査概報の作成に進みたい。

打ち合わせアンド打ち上げ

◆14時から城陽市の整理室で、来年度以降の予定、今年度の図面のトレース分担、遺物の洗浄や注 記の予定、月1回の打ち合わせ兼勉強会の予定など、参加者で確認しておくべき事項を打ち合わせる。
◆場所を移動して城陽飯店で17時から打ち上げ。21時過ぎまで、楽しく思い出話に花が咲きました。現場中、作成された、「そうだ、○○を粉砕しよう」といったポスターなど、各種遊び画像をストックしておいてほしい。測量調査概報に掲載しよう(行政用ではありません)。

2016年2月28日久津川車塚 記事№3200

◆自分、長友、道上、木下、安藤、伊藤
◆今日は久津川発掘の整理作業の打ち合わせ、その後、打ち上げとなっており、午前中のみの測 量。刃物がやってきたので、行く手をはばんでいた竹その他の伐採をかなりやり、P205にずっといたが、徐々に周囲へと広げる。史跡になる前の様子はちゃんと知らないが、畑地か、その区画があり、境界溝がめぐり、ところどころに高まりがある。全体はきわめてフラット。その境界の溝の輪郭もなんとか入れていく。

2016年2月27日久津川車塚

◆自分、道上、園原、土井、木下
◆まずP204に立て、道路沿いの園路一体を測量する。P205に据えて昼。午後、P205で測量するも、竹に阻まれる部分も多い。ちなみに、今回、図面を管理していないので、日々の範囲を写真に撮っておらず、正確ではなくアバウトである。
◆天気予報ではあまりよくなかったが17時過ぎまでやる。最後、新たにP206とP207を2本打つ。

2016年2月26日久津川車塚

◆本日より4日間、線路より東の測量。初日は陵墓立入りのため不在。道上・土谷・木下・伊藤・土 井。P203・204・205が26日に打設した新規杭。
◆聞くところによると、まずP200でいま少しやり、次に203に行くもまわりは伐採した竹の牙城があり稼げず、東の道路沿いの高まり(周堤部)のP204に移ったとのこと。

2月26日渋谷向山

◆第9回目、12箇所目の立入り。今年もまた立入りの世話役。前日夜、なんとか40部の資料を印刷 し、かばんにつめて持ち帰る。帰りの電車で資料を見返していると、過去の調査区を記入した図のトレンチ番号などがなぜだが飛んでいる。帰ってから、再度、玉1の報告書を読み返して予習をしておこうと思っていたが、資料の作り直しである。で、読みながら、所見を記入してなんとかA3の資料を作り直し、朝、コンビニにPDFを持ち込んで印刷。
◆比較的早目に出て桜井まで行き、巻向駅から歩いて到達、茶店で時間まで待機。1時間弱前くらいに現地入りして、みなさんの到着を待つ。予定通り13時から2時間の予定でなかに入る。いろいろと考えるところがあったが、復元案という形でまとめる必要がある。感じたのは、周濠を造り上げている土塁こそ、近代の陵墓の象徴だ、ということ。目隠し的に土塁をめぐらせ、内側を濠状に整えている姿、これが渋谷向山古墳だけでなくどこでもそうなのだが、古墳の当初の姿をゆがめてしまっていて、それを取っ払った、修陵前の田 畑の姿にリセットして、そこから調査区の成果を理解していかなければならない。
◆造り出し、造り出しなんでしょうね。入れてくれませんでしたが。これ手前の平坦面から上面までは1.5mくらいかもしれないが、濠底からすれば、かなりのボリュームの土壇になる。
◆終了後、天理に移動して検討会、その後反省会。

さて2月25日

◆国公立前期入試。構内はひっそりし、研究室で仕事をしています。明日の陵墓の資料作りがメイン、それと夕方の会議を欠席するうちの日本史学会の委員会に提出する資料作り、28日の久津川の会議に出す資料も、とは思うが、どこまでいきますか。

寺山と鉢伏山

◆去年の7月に自宅から撮った写真のよう。晴れ渡り、寺山は雲の帽子を被っている。その右のポッ コリが鉢伏山である。この山並みの向こうが飛鳥である。

2月24日 大阪市→久津川

◆午前に大阪市の豊臣石垣の会議があり出席する。終了後、金曜日からの測量にむけて、久津川車塚古墳の下見。線路の東側に手をつけた最後の測量は2014年12月27日で、その後、西側の2回の発掘に入り、中座していた。杭はちゃんとあり、計測しても問題はなかった。初日の金曜日、わたしは不在なもので、院生に任せることになるので、その1日、作業がちゃんと進められるよう、見に行った。
◆線路際はブッシュまたブッシュで、ちょっと草刈りを入れないとしんどい。なので、やりやすいところを南へ攻めていくこととし、3本の新規杭を打設しておいた。
◆この間、電車のなかで古市・百舌鳥古墳群の被葬者論の原稿を書いており、ほぼ完了した。ちょっと分量が多くなったので、図を入れ込み、文章をかなり削らないといけない・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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