人を幸せにする人になろう

で今井町

◆12時50分くらいに今井町にたどりつく。一族勢ぞろい。イノンドカフェでカレーを食べ、そのあと日本酒を買いに行くというので同行する。東側に広瀬 家?というのがあり、重文になっているところで、いまはここだけが営業している。出世男、香具山、などの日本酒を作っている。むかいの漬物屋にも寄る。
◆そのあと、おふさ観音に行き、解散。

遊郭

◆10年前にも案内してもらったが、それは市が買い取ったものの、見学希望者には公開していた段 階。その後、耐震補強工事をして、2018年1月に全面公開が始まったという。解説はシルバー人材センターの人たちとのこと。ひととおり解説してもらい、3階建ての建物を見せてもらう。1924年の建物で、いまは登録文化財にもなっており、昭和33年3月まで営業していた、という。
◆調べると、GHQの指令で公認の売春規則が撤廃されても、名前を変えて(特殊なんとかとか)、実態は続いたと。戦後、国政に女性議員が参加し、何度も撤廃の法案が提出されるも、それを否決してきた。それが自民党が票を維持するために、売春防止法を認めることになり、一転して、転業や廃業のための猶予期間を置いて、昭和33年3月で廃止となる。まだ生まれていないとはいえ、その少し前までは、まだ江戸時代だったわけである。
◆奈良県で3か所あったという。そのうちのひとつがここ。まだ建物がよく残っている。空き家もある。飲食店などに活用できれば、いいのでしょうが。

箱本館紺屋

◆前来たときは入らなかったような。紺屋川の水路が東西に通る通り。郡山城下町は、江戸時代で は奈良町に次ぐ都市だったろう。町の規模も大きい。が、まあ昭和50年代以降はすたれてきている様子がよくわかる。昔ながらの町屋を数えると、どのくらいのこっているのだろうか。ガイドマップでは10軒くらいが挙がっていた。
◆紺屋は、よくできた展示施設、プラス藍染めの体験ができる。入っていくと、藍の葉を発行させて「すくも」を作ること、いま「すくも」を作ることのできる技術者は10 人いないという話を聞く。そして「すくも」から染料にする作業をやっている。藍の花というのを知る。

2019年7月7日、大和郡山

◆昼に今井町なので、午前中どこかに行こうということになり、大和郡山に向かう。9時前には着 き、車をとめて、まずはお城に向かう。10年ぶりくらいか。職場の見学会で行くも、あんまり覚えていない。市役所の向かいの城跡公園入口あたりに、全体の説明看板がほしいですね。城と城下町の絵図、いまとの比較、など。
◆2年前の2017年3月に、県史跡郡山城の保存整備事業が竣工したらしい。草が繁茂する石垣や堀を見ながら大手から入る。そうするとむこうにきれいになった天守台が見え てくる。柳沢文庫の脇を通り、本丸に入る。天守台のひとつの隅部の上半を解体修理したらしい(柳沢文庫の動画を見るのがもっともわかりやすい)。天守台から展望する。薬師寺東塔の素屋根が見え、平城宮朱雀門の素屋根も見える。
◆柳沢文庫に入る。保存整備工事にともなう考古展示が多くを占めるようになっている(以前のことを覚えているわけではないが)。これは公益財団法人、郡山市立ではない。とはいえ、郡山城や城下町の全体像がわかるような展示がほしい。1960年にできたものだが、手狭であるし、市と財団とで将来像を考えていいのでは。

寝屋川と枚方丘陵

◆明治の地図の等高線で描かれた山は「枚方丘陵」でいいんですかね。淀川に突き出た先端が枚方宿。いまこの丘陵上は家だらけ。が、かつては交野郡と讃良郡を区切るものであった。赤は旧道、京街道・枚方街道・東高野街道。青はいまの行政界、門真、森口、四条畷、大東など。緑が鉄道(交野線は入れてませんが)。学研都市線と京阪で、駅の位置に丸をした。茶色が国道。1号線と171号線、それと清滝街道。第2京阪は太いのでわかりますよね。
◆まあ、明治の地図を見ると、けっこうな丘陵が張り出して、河内平野を画している印象を受けますよね。太秦や高宮廃寺が高台にあることは知っていても、「こんな山だったのか」と、地図を見るとまあびっくりなわけです。こういう話をしていると、カミサンが職場から写真を撮って送ってくれました。
◆ああ、7月6日の20時43分、土曜の夜もとっぷりと暮れました。帰ろか。明日は今井町に行きます。

久津川車塚2019

◆城陽市教育委員会が実施する、2019年度の久津川車塚古墳の発掘調査は、8月1日開始、お盆の13・14日は休み、現地説明会は31日(土曜日)、終了9月6日予定とのことです。
◆わたしは、あまり関係しない方がいいようだ。

2019年7月1日は網野銚子山

◆免停なので、大阪から10:12こうのとり5号?で福知山、はしだて3号に乗り換えて網野へ。京都か ら来たTさんと合流。一度、旧網野町役場隣の会議室に入り、すぐに現場へ。うちの院生らも見学したいというので、見せてもらう(別にレンタカーで移動)。いや~、下段・中段・上段のすべてのくびれ部が、きれいに出ております。まあ、狙い通りです。スロープになっていますし。9月くらいに現説になるでしょう。みなさん、これ見といたらいいですよ。現場写真は控えておきます。
◆そのあと、今年度というか、昨年度分の繰り越しの整備事業の進捗を見る。昨年は災害復旧が優先されて、事業が繰り越されたのでした。前方部墳頂に保護土をかぶせる。墳丘のえぐられて傷んでいるところを補う。後円部側の周濠の舗装表示、といったところです。
◆墳丘はきれいので、あまり人工的に手を加えない。周濠部については、畑地だったところを表示する。あと畑に接して削り込まれている裾部に土を補っていく。樹木は、少しずつ伐採し、シルエットが下からよく見えるように、間引きしていく。

俊徳丸

◆以下、ウィキ。

河内国高安の山畑(現在の八尾市山畑地区あたり)にいたとされる信吉長者には長年子供がいなかったが、清水観音に願をかけることでようやく子供をもうける。俊徳丸と名付けられた子は容姿が良く、頭も良い若者で、そのため四天王寺の稚児舞楽を演じることとなった。この舞楽を見た隣村の蔭山長者の娘・乙姫は俊徳丸に魅かれた。二人は恋に落ち、将来、一緒になることを願うようになった。しかし継母は自分の産んだ子を世継ぎにしたいと願ったため、俊徳丸は継母から憎まれ、ついには継母によって失明させられてしまった。さらに癩病にも侵され、家から追い出されてしまい、行きついたのは四天王寺であった。そこで俊徳丸は物乞いしながら何とか食いつなぐというような状態にまでなり果てた。この話を村人から伝え聞いた蔭山長者の娘は四天王寺に出かけ、ついに俊徳丸を見つけ出して再会することとなった。二人が涙ながらに観音菩薩に祈願したところ、俊徳丸の病気は治り、二人は昔の約束どおり夫婦となって蔭山長者の家を相続して幸福な人生を送ったとされる。それに引き換え、山畑の信吉長者の家は、信吉の死後、家運が急に衰退し、継母は物乞いとなり、最後には蔭山長者の施しを受けなくてはならないような状態になったという。

◆で、俊徳道というのがある。なんでこんな話をというと、河内鋳物師の話が出たので。とはいえ、ネットでは出てきませんね。

カミサン語録

◆世の中でいちばん大事なことは人間力。
◆コンサルに投げるのでなく自分で考える。

◆京都府では、長岡京市と京田辺市で募集があるのだそうです。若狭市のNさんから電話がかかってきて、1人採用するのでいい人があったら受けさせてくれと。地域の文化遺産を活かす仕事に、どんどん若き優秀な後輩に入ってほしいと思います。

で6月30日、大歴大会

◆9:30前に会場入り。大阪城の個人報告の司会をやれと言われてやる。Y先生と伏見城の原稿の話 をする。ただちにメールすべし。
◆総会。午後は、考古部会の土器の話を聞く。懇親会で報告者と話し、加東市から来てくれた公平君とも話をする。終了後、市大関係者で関大前駅の飲み屋に二次会に行く。

プラグイン

カレンダー

06 2019/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
7 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新記事

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
55
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索