人を幸せにする人になろう

市大日本史の杉本さんの講演記録

◆これ、全国の文化財の職に就いている人に、是非、読んでいただきたい!。購入希望がありまし たら、お申し出ください。坂井さんの『月間文化財』544(2009)も読まな(読めてません)。

久津川概報

◆こないだKR研、さぼりましたが、その時にできあがったものを、もらったようです。大枠を作る くらいで、実務は道上氏。みな原稿を分担し、とりまとめてくれました。

近鉄文化サロンも無事終わり

◆昨年12月の都市史学会のネタそのまま。そこに上町窯のデータを積んで・・・。和気清麻呂君が水路 を掘って神崎川に連絡した。そのあと、難波津が、土砂堆積もあり後退していく、というのは間違いらしい。神崎川河口部に遺跡が表れてくるのだろうが、それはいつなんだろう。前に兵庫県考古博で特別展があって、そのへんをやっていて図録も買ったはずだが、出てきやしない。
◆天満・船場の遺跡遺物は途切れることなく続く。むろんかつての独占から、尼崎から兵庫あたりに湊も発達してくるのだろうが、そういう諸遺跡と比較し、時間軸をそろえてならべながら、大阪湾岸の交易と、それぞれの港の特質を考えないといけませんね。そういう論文もあるのかもしれませんが、わたしは知りません。

1983年

◆深い意味はありませんが、朝日新聞の土曜版で、1983年にはやった歌がランキングされていたので・・・。入学した年です。が、テレビなし、電話なし、風呂なし、キッチンなし、の1万数千円の下宿でした。同じ時に、も一人隣に下宿し、岡山朝日のやつで、テレビの音が聞こえてきました(彼には黒曜石で指を切ったとき、SOSを出し、医者に連れて行ってもらいました)。
◆そんなんで歌番組も見ないし、ラジオをどこまで聞いていたかもわかりません。世間のはやりなど、ほぼ無関係な暮らしでした。
◆新幹線にのったこともなく、まして飛行機に乗ったことも、外国に行ったこともありません。自分の子供のことを考えると、四半世紀でもだいぶ変わります。
◆はじめて新幹線に乗ったのは、おそらく3回生くらいで、大垣夜行の人民列車で東京国立博物館に行きました(なんか企画展をやっていたんでしょうね。日本考古転?だったのかな)。朝4時頃?過ぎ?に着いても、開館まで時間をつぶすのが長かった。6時になると上野公園にラジオ体操をやる人が集まってきたが、その先もまた長かった。上野駅周辺に、24時間やっている店なんかもほとんどなかったと思う。ピンク映画館はやってたかもしれませんが。
◆はじめて飛行機に乗ったのは、研究所1年目だったか。山形の庭園の測量に駆り出され、帰り、本中さんが飛行機で帰ろうと、急遽、そうなった時(小Uさんもいたから、1年目じゃないな)。
◆そしてはじめて外国に行ったのは、研究所4年目かなんかで、M・O・K・Uさんのかばん持ちで行った中国瓦調査でした。名古屋空港から、中華航空で北京入りしたのだった、と思う。
◆まったく深い意味はありません。

佐久は豊かだ

◆で、佐久に抜けたら田植えをやっていました。むこうに名峰がある。なんやっけかな、蓼科山と 思ったが、あれが浅間山なんですね。ふもとは軽井沢。それを抜けるのが碓井峠。これを越えたことがないから頭に入っていないんですね。
◆佐久平は豊かです。小諸はその上か。そして、文化庁に行く直前に、上田のなんとか博物館(美術館)に瓦を見に行ったが、上田はさらに北、地峡部を越えれば善光寺平という北辺にあるのですね。勉強になりました。
◆JAXAの臼田のアンテナは、佐久穂町とあるあたりから西の山深くに上がっていったところ。野辺山は、最高地点の駅というので有名だが、小海、南牧と、千曲川を下り、川は東にそれていく先 に、八ヶ岳から張り出した高原が立ちふさがっており、ここを線路で上がっていくのが大変なのだそうです。で国立天文台は、この高原の南のへり近くにある。帰りは南下して山梨県のインターからでした。
◆昔、茅野からバスに乗り、八ヶ岳に上り、とにかく東に清里駅まで歩き(もちろん登山地図はもっていましたよ)、小海線に乗って南回りで白馬駅にたどり着き、駅で泊まり(宿泊施設がある)、翌朝から今度は白馬に上って降りてきて、糸魚川経由で京都に帰ったことを思い出す。テルちゃんらの代の考古研の旅行に参加し、解散後のことだったと思います。
◆それと、昔、山梨のなんとか遺跡という縄文の遺跡調査に3日ほど参加したことを思い出します。その時は、身延線だったのかな。

辰野、そして塩尻と岡谷

◆昔、信州ワイド周遊券で、長野県をまわっていた時、この三角が面白かったことを思い出す。こ ないだ行ったとき、だいたい、こういう三角になってういたことは思い出したが、泊まる塩尻はどこやねん、諏訪湖はどこやねん、ということは思い出せませんでした。
◆実は伊那谷をちゃんと訪れたことがありません。飯田市も。昔、これは文化庁時代の職場旅行の帰りだったか、なんかの出張の帰りだったか、とにかく飯田線に乗りたくて、丸1日かかって浜松に出たことがある。天竜川駅で乗り換え。乗り換え時間の短い時間に馬刺しを食べた。
◆中央道では中津川から東へ飯田に向かい、恵那山トンネルで抜けるわけだが、中山道はその西背後の谷あいを通っているのですね。奈良井宿も。馬篭には市大の研究室旅行で行ったが、おそらく中央道で行き、ちょこっと北上したのだろう。木曽の谷を味わわなあかん。

ついつい

◆今日もまた行楽日和です。大学の学童保育。
◆考古学をやるには、人間の暮らしに理解や興味がないとダメですね。こないだ佐久の平野を走っていて感じました。

どうやったら阿倍を退陣に追い込めるか

◆前事務次官が省内で検討した際のことを発言。「なぜいまになって、現役の時に抵抗せよ」、 「よくやった」、と両方があるという。両方正しいのだろう。現役時代に首相の意向をつっぱねてほしい、それはその通り。だが、そうもいかないのも事実。やはり、なかったことにはできないと声を上げた、これもまた勇気のいることと認めたい。文書には、かかわった職員名もあるという。前事務次官の個人的なアサハカな行為もまた暴かれ叩かれ、いじめ倒されるだろう。それはそれである程度、予想の範囲内だろうし、予想以上のバッシング(あるいは無視?)になろう、それは甘んじて受けるしかない。ある日、ホテルで死んでいた、といった松本清張の小説のようにならないことを祈る(さすがにそこまでアカラサマな証拠隠滅はしないだろうが)。
◆普通の人々は、そうだったんだろうな、と事実として受け止める。が、省内を調べたが確認できなかったとか、これは公文書とはいえないとか、アカラサマなスットボケが、まかり通るいまの日本社会のおかしさである。検察官の一人一人はどうなっとるんか。文科省に乗り込んで、書類をおさえてほしいものだ。あまりにも政治家に働きかけて便宜をはかってもらうことが、当たり前すぎる世の中を作ってきてしまったんだろう。
◆南スーダンから自衛隊が帰国したとか。日誌を書いても捨てられますよ。捨てていいのか。森友にカケに、これだけの馬鹿にした答弁が繰り返されながら、追い込めない・・・。絶望的ですな。

誉田御廟山

◆結局、単位長があるかないか、よくわからなくなってきたが・・・。いずれにせよ。テラス幅が基準 ということはない、ということか。単位長の考え方の基礎にはなっているが、これは斜面に盛土していく上で必要なのだが、テラス面は算出基準であったとしても、実際には個々に決めて、裾部径の調整に使っているようです。
◆またさぼってしまった。
◆火曜日・水曜日は岸和田古城の本を読みあさり、昨日今日は墳丘の割り付けの検討をして、脱線が多くなってしまった。
◆ほんとは庄内式の年代について反論するための勉強をしたいのだが、やめておこう。

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プロフィール

HN:
前方後円墳が好き
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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