人を幸せにする人になろう

子供らが帰ってきて

◆15日。4回生の娘は、富山大学で開催された日本哺乳類学会でポスター発表をやって、そこから(かどうかは知らんが)バスで、朝梅田に着く。ポスターを見せてもらった。以前に採取し大学にある60体?のヒマラヤのマウスの分析らしい。ちゃんとしていた。でも、この人、ほんとはタコなどの頭足類の研究がしたいので、大学院は理学研究科でなく水産学研究科?の大学院に進む予定。キャンパスは札幌でなく函館だそうである。
◆夜、修士2年の息子も帰ってくる。いつものように3人で飲み屋でやっているところに合流。この人は、8月に台湾の学会で、英語での口頭発表と、別にポスターもやったという。就職。品川勤務になるらしい。
◆そこからの3連休。台風も来る中で、子供らを連れて、両祖父母宅をまわっていました。

2017年9月15日(金)千早赤阪村

◆午後2時から、玉手山古墳群と松岳山古墳の話をする。4回講座の1回目を担当。南河内の前期古墳 を勉強する機会にとも思っていたが、余裕なく、玉手と松岳の話・・・。前に作った資料を刷り、パワポを見ながら話の流れを確認。12時にでかける。ずいぶん長いこと通らなかったが、丹治から富田林に抜ける国道を南下、これ、そのまま水越峠を抜ける一本道なんですね。車を走らせながら、南河内もけっこうな広さがあり、それぞれの地域地域がある、という当たり前のことを感じる。
◆1時間前くらいには着き、資料館を見学(写真撮影ダメ)。泉屋の鏡のレプリカが3面あった。そういえば、撮りに行ったような記憶が・・・。2回は民俗資料だが、凍豆腐の一大生産地であったということを知る。
◆体よりも頭が疲れ切っていて、なかなかちゃっちゃかと言葉が出てこず・・・、16時までかかって、なんとか最後までたどり着いた。

2017年9月14日(木)

◆参加者。城陽市担当者、工藤さん、自分、長友さん、阿部(市大M2)、大澤(市大M1)、園原 (立命M1)、合田・松井(市大3)、前田・三谷・山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、上野(奈良大2)。
◆17-1トレ。朝から元興寺文化財研究所によるパッキング。図面の点検等。断ち割りの埋め戻し。
◆17-2トレ。埴輪据え付け完掘→写真撮影→取り上げ→
◆レンタカーに市大から運んだ生活道具・測量機材などバンに積み込み。昼前に記念写真。昼食後、
元興寺によるウレタン充当、14:30の見学者対応をお願いし、自分は車で、市大生+池口・山崎は13:14久津川発で大学に向かう。15時過ぎ、倉庫に荷物を運び、15:30解散。
◆2017年の久津川現場は、これにて終了。参加者のみなさん、ほんまにおつかれさんでした。

2017年9月13日(水)

◆参加者。城陽市担当者、工藤さん、自分、長友さん、阿部(市大M2)、大澤(市大M1)、園原 (立命M1)、田口(奈良大4)、合田・松井(市大3)、山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、上野(奈良大2)。
◆17-1トレ。継続図面完了。列石のエレベーション6列完了。陸橋上面礫平面図書き足し完了。陸橋側面、調査区西壁沿いの断ち割り。白い粘土は地山とみてきたが、礫を使 うところでは粘土を入れて礫を叩き込まなければもたないとの指摘を受け、当初から断ち割りを考えていたものの、見送り気分だったが、実行する。下半分は、混礫ガチガチの地山、その上は、上層の白粘土の下は淡い小豆色土となり、やはり盛土なのか、と。しかし掘り進むと、混礫地山の上の粘質土は、いくつかの層に分かれず漸移的に色合いが変化し、やはり地山だとの結論に落ち 着いた。写真を撮り、図面を書き足す。これも完了。一応、その部分のFSもできるよう標定点を打ち撮影もした。
◆17-2。取り上げる埴輪1個体の十字割ほかの図が完了したので・・・
〔葺石調査〕橋本さん
〔訪問〕杉本さん+宇治市ご一行様。近藤さん。

2017年9月12日(火)

◆参加者。城陽市担当者、工藤さん、自分、長友さん、阿部(市大M2)、大澤(市大M1)、園原(立命M1)、田口(奈良大4)、山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)。
◆朝、6時前くらい大雨。ひとまず午前中はなしとする。9:00、少しましになる。雨がやんで安定するようなら10時くらいからシートを開けるかも、と連絡。城陽へ向かう。が、雨は降り続いている。10:15城陽着。しゃーない。改めて昼まではなし、とする。
◆宿舎近くのガストでJムークの原稿を書いている。12:20くらいだったか、現場から学生が到着しているとの連絡をもらい、かけつける。シートを開けて、作業を開始。ほぼ14時頃、再び雨がそこそこ降り、止みそうにもない状況だったので撤収する。
◆17-1トレ。図面の続き。ブツの雨による影響からの回復。サンプリング。南壁東端部の検討とFS 写真。ほぼ攪乱。左側の鉄管は、掩体壕時代のものか?、戦後のものか?。
◆17-2トレ。埴輪の据え付け精査の続き。深く据えてある埴輪は、全体の布掘りに加えて、図面描く。
〔葺石調査〕橋本さん

2017年9月11日(月)第7週

◆参加者。記録しておらず。
◆17-1トレ。図面続き。土壌サンプリング。陸橋基部礫面清掃→撮影→FS用撮影。鐙?の西から別モノ出土、だが痕跡に近い。久しぶりに図面を書いたのは、この日だったか(途中でストップしたが)。
◆17-2トレ。埴輪据え付け精査(十字割り)→掘り下げ→図面記入→レベリング。
◆17-3トレ。南壁の清掃→線引き→FS用撮影→1/10層位図。マシンでのP5の標高を誤って入力していることが判明。でも10㎝違う(その後、原因は解消される)。
 〔葺石調査〕橋本さん(平面図コピーを渡したのは、この日だっただろう)

西壁と北壁の画像

◆現地説明会の朝、補足の写真をいくつか撮り、なんとかヌケのない画像をえました。

2017年9月10日(日)宇陀松山(5)

◆引き続き南下。千軒舎というまちづくりの拠点施設へ行く。公開しているのは、薬の館とここく らいで、あとはみなちゃんと居住しているわけです。宇陀松山は、信長次男の信雄を初代とする宇陀松山藩の陣屋城下町なのだが、4代目が財政政策をめぐって重臣を惨殺し自分も自害したという。それで5代が、丹波栢原へ転封となり、以後、天領となる。こうした宇陀の歴史を学べるガイダンス施設がほしいところ。また、今回は城攻めはできなかった。城はもっと早い段階では廃城となり、春日神社のある一帯に陣屋があったという。
◆久保本家で日本酒「初霞」を購入。酒蔵カフェにも入りたかったが、飲めないので入らず。町の南端まで来たので、1本西の街路を通って北上する。
◆途中、お茶を飲む。そのあとお城時代の西門を見て北上。南へ転じて、薬の館まで戻る。
◆そのあと道の駅に少し立ち寄るも、わんさかといるバイク野郎含め、多くの客があふれていたが、まちの観光客はそれほど多くはなく、まばら。静かでよいのだが、ここまで出かけても、現国道から中に入り、まち歩きをする人は少ないのだ、と感じる。まあ、観光客であふれるよりも、少しずつ認知されていくのがよいのかも。

2017年9月10日(日)宇陀松山(4)

◆次に国史跡という「森野旧薬園」に。もともと本葛を作って商売をしていたが、何代目かが徳川 吉宗が全国に薬園を置くという際に、この家の6代目かが奈良山間部の薬草採取に功績があり、ここに薬園が開かれたのだという。背後の山に、いまも多くの薬草が植えられている。全国に置かれた江戸期の薬園で残っていたのがここくらいらしく、大正に史跡になった。入園料300円。森野吉野葛本舗から入っていく。
◆薬園はそこから斜面を登っていくのだが、その前に、ここの本葛の工場が勉強になる。「水飛」と表記されるが、水晒し場があり、資料館も付随する。本葛を買って帰る。葛切りを作ってみよう。

2017年9月10日(日)宇陀松山(3)

◆宇陀松山に入る。「大宇陀」というのは1942年に町村合併で新たな行政区の名前を「大宇陀町」として以来の新しい地名らしい。なんとなく、越中八尾と似ている。南北にのびる街並み、その規模などが。
◆2006年に伝建になる。最初に薬の館に行く。 細川家。道修町の藤沢薬品初代の母は、この細川家から嫁いだ女性とのこと。薬看板など、資料がよく残る。→「きみごろも本舗」で「きみごろも」を買う。和菓子屋で地元の銘菓を食べるのも、まち歩きの楽しみのひとつ。
◆昼頃、お茶でもと入った「あゆみ家住宅」でランチを食べる。おばちゃんが話好きで、食事中、話をしていました。例えば、冬、桜井から榛原の途中で、近鉄電車の窓ガラスが、曇るんだそうです。

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プロフィール

HN:
前方後円墳が好き
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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