人を幸せにする人になろう

博物館は減っている

◆博物館概論の調査のために、社会教育調査のデータをダウンロード、それを入力して表を作った りと。昨年までのパワポ、データが古かったので、最新のものを参照したわけですが、なんとH27、博物館数が減少に転じています。

日本の林業と木の国

◆4月の新聞。切り取っていて、そのへんにたまっていたもの。日本は豊かな森林があり、林業があ り、製材屋があり、大工がいたはずだ。これぞ循環型産業。アジアの森林を伐採し、山を荒れさせ、輸入する必要はない。もっと木を使うことに法的な措置を講ずるべきでは。安かろう、という話ではない。

こういうの、どこかで常設してほしいもの

◆なぜだか柏原市に居住して、だいぶ経ちます。その柏原市が市政60周年だそうです。広報で11月3 日に、その頃の写真展を1日限りでやるそうです。こういうの興味あります。3日、足を伸ばすかどうかはわかりませんが。でも、1日ってもったいないですよね。大津市博には、どこかの壁を使ってそういうコーナーがありました。市役所とか、リビエールホールとか、一定の壁があれば、恒常的に掲示してもいいのではないでしょうか。

てきめんに物覚えが

◆人名等が出てこない、というのはト~の昔に始まり、いま、ここ最近、物覚えががっくりと落ちていると、感じる。ちょっとだけ前(5分・10分)に話をしていたこと、読んでいたこと、が、思い出せません。たばこの吸い過ぎもあり、脳みそがどっと壊れて行っているんでしょうか。痴ほうの日も近そうです。引退を考えないといけません。
◆こないだ土曜日、会議があって大阪歴博に行き、いま始まった企画展の招待券をいただいたの で、では見ようと。大阪歴博の企画展、あんまり見てませんね。かなりの展示スペースがあり、ずら~と資料がならび、パネルが貼ってある。こんだけ準備するのは大変だ!。戦前の大阪に、かくも多くの、貧困層救済等の支援団体があったことを知る。図録があるんかな、と思ったら、分厚い高そうな・・・、と、やめておく。あれだけの企画展示室を埋めれば、貼ったパネルや展示した資料類も膨大で、一通り収録しようとなると、そうなるんでしょうね。こっちとしては興味深い展示で、パネルを読んで学習したことを(既にほぼ忘れているが)、そのエッセンスを収録した16頁とか32頁くらいの冊子が300円とかであれば、買っておこうというところだが、そうはいかないわけです。

自分が何をしているのか

◆石岡市の方から講演会の資料を送っていただきました。前に資料を送っていただき、自分の書い たものを送ろうと、ちょっと準備したようにも思うが、出したかどうかが定かでない。たぶん・・・、出していないんでしょう。
◆すいません。ブログを見ていただいているようなので、この場をお借りし、お礼申し上げます。ありがとうございました。鹿子大塚山って終末期なんですね。円墳がずら~とならぶ、で、方墳が突然来る。岩屋古墳の写真も興味深いものでした。
◆わたしは、587年蘇我―物部戦争は、むろん王位継承問題が第1であろうが、前方後円墳の廃止と方墳化という蘇我氏、前方後円墳の継続ないし円墳化という物部氏、という対立軸もあったという見方をしています。円墳といえば栃木県壬生車塚がよく取り上げられるが(いまネットで見ると、石室がいい・・・、見たい、と思ってしまう)、この地域も円墳ですね。畿内では太秦が円墳が多いなと山城郷土資料館の講演の準備をしていて感じました。物部氏、って安直ですけど。で、遅れて出てくる方墳である茨城古墳40m、興味あります。

ご無沙汰しています

◆あまり調子は上向いてはいないが、こなしております。発掘終了後ですが、毎週木曜日の午後、2人の卒論生それぞれと、2時間程度ずつ、卒論指導を続けています。彼女らはまったくちゃんとしていて、それぞれ、その都度の報告にもとづき課題となったことや次はこういう分析をしてみたら、ということに応え、毎回、ちゃんと進展を見せてくれます。午後から始め、今日も18時前となりましたが、やりがいがあるので充実感があり、うれしいものです。
◆前期は資料の収集中でもあり、研究会の報告くらいで、個別はあんまりやってきていませんが、院生も含めて、いま少し個別に対面して話をする機会を増やした方がいいですね。やれば進めていける学生たちですから。
◆そんなんで、久しぶりにブログを書いてみました。後期、市大ミュージアムにむけての資料調査に調査員1人の雇用賃金が付き、わたしの指揮下ということになり、これを回していかなければならず、先週来、そっちの仕事がそれなりの比重であります。有能な人なので、きっちり仕事はしてくれます(ひとまず図書館の近世文書の現状把握から入っています)。ですので、こっちは段取りをつけていく仕事です。
◆この間、難波宮シンポ本の仕事も、こちらでやることをやって手を放し、印刷屋にあとは任せるため、先の3連休は結局はすべて『難波宮と大化改新』の仕事で暮れていきました。入稿作業は2日で終え、3日目は、冒頭の総論の原稿を書いていました(夏休み前からやっていたのですが・・・)。文献史の改新論の方はおおむね書いたのですが、難波宮の方は、以前に2回書評をやった時のものをベースにリライト、と思ってましたが、面白くなく、止まってしまいました。早く終わりたいものです。
◆ぼちぼち生きております。

いや~しんどい

◆10月1日に新学期が始まり、昨日の3日目でもう疲れています。仕事がたまり、あれもこれもせなという圧迫で、どよよ~んと。とにかく捌かないといけないので、物理的に時間をかけないといけないのですが、人間ですし、気が滅入ると何も手に着かないようで。メールもたまると茫然・・・。
◆せっせ、せっせと、いう回転にはなかなかなりませんが、今晩はバタンQでなく、ちょっと頑張ってみます。

京大吉田寮の保存問題

◆中尾芳治先生と別件でメールでやりとりしましたが、いま、表記の問題に、元寮生として関わっておられるようです。

真田山旧陸軍墓地

◆こないだの大歴委員会で話があった件。NPO法人のブログに記事が上がりましたので紹介しま す。http://sanadayama.blog.fc2.com/blog-entry-32.html

2018年9月19日(水)~21日(金)、府中合同調査

◆今度は日本史の合宿。いよいよ府中の調査。府中は5つの町会があり、聞き取り調査が中心。初 日の午後は、2年前の肥子の時におよそめぐった、この地域の水路の未確認部分をめぐっていた。
◆最終日の報告会の時に配布した図を示します。明治の地籍図段階の府中の地籍は、院生が事前にトレースしてくれていて、黒線の範囲。これを見ると、条里大区画の4単位であることがわかる。伯太は1単位だったし、とくに芦部の時に芦部町域が1単位であることに驚いたのと同じ。府中でいえば、和名抄では上泉郷と下泉郷だが、江戸時代では上泉郷は限られた範囲となり、上條郷と下條郷という名前に変わっている。府中は上條郷の東端部の4区画分が村域となっているわけである。
◆江戸時代の村々が基本的に中世にさかのぼるとして、その村域というのは古代の行政区画と無関 係に自立した村としてそれぞれの領域をもつように思いこんでいたが、そうではないわけです。古代に郷域ができあがり、それが維持されていく中で、生活単位もそれにしたがうものとして形成されるわけです。7世紀の法隆寺郷が軽部郷の一画を割いて与えられるように、庄園なども郷のなかで、しかも36町大区画を基準に所領の区分などがなされていくのであろう。
◆芦部村1区画、府中村4区画という区画がいつどのように設定されるかという問題である。10世紀に名田ができてくるあたりに遡及するのではないか。現代につながる集村の成立は中世とされるが(そうでなくさかのぼるとの意見も)、それは古代のこうした条里地割の大区画を基礎とする単位の中で形成されてくる、と考えられるのではないだろうか。そのへんは、ぜんぜん研究史的なチェックはできていないが、感覚的にはそう感じる。近世村の領域は条里に規制されているのではないか、それが中世やら近世にできあがってくるのでなく、その前のより古い時期にこそ、こうした地割にもとづく領域の原型があったと考える方がいいだろうというのが、いまの見込み。
◆府中でいうと、4区画の原型が、近世初頭までに出入りが生じ、泉大津の豊中のものとなるエリア、上泉の伯太の領域となるエリア、逆に、上泉郷や軽部郷にも府中域が拡大して、検地帳が3冊に分かれることになるのであろう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
54
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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