人を幸せにする人になろう

同じように書いていきたいところだが

◆そうもやっておれないので、以下、その後の概略。
◆12月26日は1日クンツゥルワシ。午前、夏休み中だが、小学校の発表会。学校から遠いところの子は来ていないが、卒業した6年生を含め、各学年が集まり、作文の読み上げ、寸劇、歌。それから博物館の見学(この日は掃除の日)。夕方近くに遺跡現地(紀元前8世紀だったか)。夜はまた呑み会。そこでNHK特集のDVD。これはわかりやすい。なぜにここクンツゥルワシの博物館ができあがったか。東大大貫先生が苦労してそこまでのことをやり、地元の人たちが運営するに至った経緯、といったことがよくわかる。
◆12月27日は、オート3輪でサンパブロに出て、カハマルカ行き乗り合いバスに乗る。途中、エンジン不調で下ろされ、乗り換える。カハマルカでは、まず昼食を取り、アルマス広場あたりから、アタワルパ皇帝が幽閉された小屋というものがある入口を見るなど(入っていない)、少し町歩きをしてから、タクシーでオツゥスコ墳墓遺跡(横穴墓です)に。市内に戻り、17時発18:20着の飛行機でリマ。ペンション当山にまず入ろうとするも空港からのタクシーが大渋滞で動かず。そのまま、この日、リマ在住の協力隊員等との呑み会会場であるワカプクジャーナ遺跡脇のレストランへ。賑わっていて、予約なしで入れると思いきや、少し待つ必要があり、ライトアップされた遺跡外周をめぐり、戻る。4人が集まり、われわれ3人あわせ7人で楽しく語らう。このうち高橋さんが勤務するパチャカマック遺跡を、明日午前に訪ねることが決まる。
◆12月28日は、南へ向かいパチャカマック遺跡へ。これはなかなかのもんです。遺跡博物館ができたところなのだが、また新たにリマ市内にある考古学・人類学・歴史学国立博物館の、考古部門を独立させた国立博物館を建設することが決まったとのこと。高橋さんの案内でまず博物館で説明を聞き、続いて遺跡を解説してもらう。通常の観光客は入れない修復作業をやっているインカの神殿についても、所長のOKをもらって入れてもらった。リマに引き返し昼食、そして国立博物館。インカ時代はほんの最後の方の部屋で、はるかに古くから多くの文化が展開したことがよくわかる。そしてワカプクジャーナを再訪。英語とスペイン語の解説グループに分かれ、時間をずらしながら見学ツアー。遺跡脇のレストランで1杯ひっかけ、リマの中心セントロへ。もう日が暮れている。それからスーパーに行き、みやげものを買う。レストランで晩飯。そして空港へ向かい、充実したペルー旅行が終わったのでした。リマ発は29日の1:10。

12月25日クンツゥルワシの夜は更けて

◆レベッカさんの店に、やはり海外青年協力隊でサンパブロの専門学校で栄養教育に入っているハ ルナさんが入ってくる。もうひとりサンパブロに男の隊員がいるのだが不在で、今日の晩は、ハルナさんも加わって、博物館脇の部屋でクリスマスの宴となる。こちらではチョコラータ?を作り、パウンドケーキで祝うのだとか。ワインも買ってくれている。それにレベッカさんの店でクスケーナビールも買い込む。
◆ペルーの海外青年協力隊はシニアも含め94人?が、いまいるようである。いろんな職種で、あちこちにいるのだが、サンパブロ2人、クンツゥルワシ1人の3人は、比較的近傍にまとまっている方だと。いろんな話を楽しくしたが、多くは忘れてしまった・・・。途中、ポッキー問題、環状線問題に(クイズです)、文系3人が頭を絞りました。気がつけば2:30。

12月25日いよいよクンツゥルワシへ

◆リマ15:35発、いよいよ北部カハマルカである。カハマルカは、ピサロがやってきたとき、 ここでインカ皇帝が捕らえられ幽閉され、その部屋いっぱいの黄金と引き換えに解放される約束が反故にされ、殺害された町である。皇帝位継承をめぐる分裂もあったらしい(勝利した直後だったよう)。クスコの陥落はその後。
◆16:30過ぎに到着。虹が出ている。そこからタクシーでアルマス広場へ行き、米ドルをソルに換金し、またタクシーで乗り合いバスの乗り場へ。ペルーでは米ドルでも支払いできるところが多く、基本はドルをもち、適宜ソルにすればよい。とはいえ、ほとんどの支払いは照屋さん任せである。
◆17:30バスは出発し1時間40分かけてクンツゥルワシにむかう。いわゆるバン、10人程度を積んで サンパブロ・クンツゥルワシ方面に向かう。サンパブロの町あたりから、それぞれの家の前とかで、少しずつ客が降りていく。クンツゥルワシ村に着いたのは19:10頃。ちなみに、この村の元の名はラコンガ村(今は遺跡名の村名としている)。
◆クンツゥルワシ博物館の迎えにあるゲストハウスに入り、それから食事をしにレベッカさんの店へ。翌日、カハマルカ泊とする選択肢もあったが、本日・明日とクンツゥルワシに2泊することにした。おかげでゆっくりすることができた。このゲストハウスに何室かあり、その一部屋に照屋さんは住んでいる。村で飲食ができるのは2軒くらいだそうだが、食事はほぼレベッカさんの店で取っているとのこと。もう日が暮れた時間だが、そこにむかって歩いていると、村の人たちが口々に「マス~ミ」と寄ってくる(すっかり村になじんで受け入れられています)。

12月25日クスコからリマへ

◆サクサイワマンからホテルに戻り荷物を積み、11:10空港に着く。走れと。12時のはずが、11:30とも11:45分とも・・・。理由不明だが、早くなったの か?。リマまで1時間20分程度。飛行機からの眺めを楽しむ。
◆リマに近づくと海が見え、ほぼ1年中雨が降らず、砂漠地帯の沿岸部が見えてくる。海まで砂漠のなかを流れが続く川もあれば、両岸にオアシスのように緑地が三角形に広がる河川もある。そして890万人が住むリマ市街が見えてくる。13:10着陸。
◆14時頃、空港内で昼食。ピラミッド形のごはん。米食は日系移民が始まって以降と聞いたように思う。もともとはジャガイモ・トウモロコシ・マメ・肉、というところだが、いまは稲作がすっかり定着している。

12月25日サクサイワマン遺跡

◆10:40頃着。降りたところの土産物屋でトイレを借り、遺跡に入る。4遺跡共通券しかなく高いが いたしかたなし。入り口がもう1か所あり、そっちまで行った方がよかったのかもしれないが、手前で降り、谷筋を登っていった。
◆サクサイワマン遺跡は「砦」とされる。実に見事な石垣である。石が粒ぞろいに大きく、いくつものオレをもつ。ガイドブックによれば22回のオレがあるのだとか。そして3重になっている。平面図を見たいものである。現地の説明板はほとんど見なかったように思う。この3重の石垣で囲まれた高台があるが、それとは離れて別の岩場の塊のような高まりがもひとつあり、また上がってきた谷筋のむこうにも遺跡は広がっているよう。かなり広大である。スペイン人に反旗を翻して2万人が籠城したのだという。しかし敗れ、城壁も崩されたらしい。

◆頂上からクスコ市街を見下ろす。ここはクスコ近郊というより市街地のへりにある。サク サイワマンの丘陵の両側に谷があり、川がクスコの盆地に流れ込んでおり、これにはさまれる細長い三角形が、インカ時代以来のクスコの中心部のようだ。
◆遺跡は調査され、石垣も補修がなされ、観光地としてきれいに整備されており、観光客も多い。リマ行きの飛行機が12時なので、ややせわしないが空港へ向かう。クスコはもうちょっとゆっくりと町歩きをしたいところである。博物館もいくつもあったのだが、日曜休館のところも少なくなく、これにて離れる。

12月25日クスコの太陽神殿跡

◆エルソル通りを南に進み、サントドミンゴ教会に。ここがインカ時代首都クスコのコリカンチャ (太陽神殿)があったところ。黄金にあふれていたらしいが、スペイン人はすべての金をはぎ、建物を壊し、インカの石垣に教会を建てたという。写真では黒っぽい石垣が見えるが、その左手は円弧を描く。目当てだったこの道沿いの伝統織物の展示館は休み。で、タクシーでサクサイワマン遺跡へ。

12月25日クスコの中央市場

◆7:30朝食。卵いるかと聞かれ、目玉焼きにしてもらう。ホテルを出て、まち歩き。まずは市場へ 向かう。インカミュージアムは日曜日休み。カテドラルにキリスト生誕を祝う人たちが入っていき、アルマス広場では掃除部隊が活躍中である。
◆市場では、まだ開いていない店もあり、店開き中というところ。1/4くらいは飲食店で、朝食を食べる人々が多い。売り場をひとめぐりすると、果物、ジャガイモ、トウモロコシ、パン、肉、臓物・・・。ここでフェルトの帽子を買った。それと黄色いパンツがひるがえっている。なんでも新年を黄色いパンツをはいて迎えるのだとか。

12月24日クリスマスイブのクスコの花火

◆クスコに近づいたポロイ駅で降りる。20:23着。3時間半あったのですね。新幹線のぞみの東京・ 新大阪の方がずっと短いわけだが、まあムーミンの話などで飽きることはありませんでした。前にも書いたが、市街まで線路は引いたが、いまは客車はポロイ駅止まりになっている。降り立つとみなクスコ市街へ行くので、ここでもまたタクシー屋の客引き。フィンランドのマリアのホテルも遠くなかったので、一緒に市内へ。クリスマスイブで観光客のみならず人がごったがえすクスコ市街へ。まあ坂道が多く、一方通行も多い。石敷きで真ん中が溝になり、両側の家屋沿いの歩道部が高い市街地の道は、前にスペインで見たのと同じである。とにかく盆地でホテルも傾斜地にあって、放射状の道を下り、同 じ高さの弧状の道に入っていく。
◆ホテルに入ると、コカ茶が運ばれてくる。荷物を置いてアルマス広場に出かける。0時と同時に花火が上がるとも、そうでないとも情報が錯綜。どこともスペイン時代の町はこの広場があり、カテドラルがあり、市庁舎がありと、共通した景観を示す。とにかくそこにテントの店が山ほどに出ている。いつものに加えクリスマスイブということにもよるんだろう。そこを横切ってインカ?の踊りが見られるステージのあるレストランにたどりつくも、今日最後のステージは終わったところで見られず(21時30頃には入ったか)。23時前後にアルマス広場を再び横切るが、店の片づけが進む。いわゆるインディヘナの人々などは、まわりの村々から車にいっぱい売り物 (織物など)をもって売りに来ているのだろう。
◆ロケット花火などを打ち上げる人たちもいるが、どうも大きい花火をセットしている様子がないな~、と言いながらホテルにたどり着き、部屋に入ると花火が始まる・・・。外に出ると、あちこちで打ち上げられているらしく、遠くのものもある。もうちょっと粘っていてもよかったかなと思いつつ、寝る。

ペルー犬

◆というやつ。毛がない。

12月24日フィンランドのマリア

◆ホテルに戻り預かってもらっていた荷物をもち、帰途に向かう。いま世界中の人がスマホをもって いて、みな同じようにパラパラやっている。そして、ホテルの向かいにINTERNETと書いた要するにゲームセンターみたいなものがあり、村の子供がたかっているの見ると、なんだかな~、と。小さな村だが観光地で潤っているんでしょうね。こんなものまであるわけです。
◆帰りのペルーレイルは、エクスペディションというやつ。16:43発。これらはすべて全席指定で、やはり4人席で、乗り込んできたのはゴツイ白人女性。フィンランド人という。そこで頭を駆使して、フィンランドの話にもっていく。アホネンはウケました(むこうからは葛西の名前が出る)。湖が多いという話や、教育費0の話、ムーミンの話、バルト海の話、セウラザーリ野外博の話、などなど。クスコに着いての別れ際に、こんな楽しいことはなかったと、メル アドを交換しました。なんでも大学生22歳で、貧困対策の勉強をしているようでした。

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プロフィール

HN:
前方後円墳が好き
年齢:
52
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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