人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
清水町の保田紙
◆旧清水町に行った目的のもうひとつは、和紙の産地だから。徳川頼宣が紙を作らせたのだとか。赤玉で食事をして、「和紙の体験館わらし」に向かう。清水温泉というのがあり、その手前に「あさぎり」という物販+飲食店がありコーヒーを飲む。そこで、和紙製品を2つほど購入する。「和紙の体験館わらし」は紙漉きを申し込んでいるわけではないが、どこだろうと、その奥へ進み、駐車場に車を入れて施設の方に入っていく。
◆そしたら、おばさんに待ち構えているような格好で招き入れられる。この方、鈴木孝代さんといい方。ここ旧清水町の和紙は保田紙というのだが、かつて400軒あった紙漉きは全部なくなり、ただ一人、この人が復活させ、保田紙を守り続けている。
◆そしたら、おばさんに待ち構えているような格好で招き入れられる。この方、鈴木孝代さんといい方。ここ旧清水町の和紙は保田紙というのだが、かつて400軒あった紙漉きは全部なくなり、ただ一人、この人が復活させ、保田紙を守り続けている。
有田川を下る
◆いまは平成大合併で有田川町となり、下流部は有田市(箕島)。
◆きれいな川が流れ、それにそって国道が続く。この川は有田川?、有田川でした。カミさんの実家から、驚くほど近い。26キロくらい。山越えではあるが、簡単に南の有田川水系に到達できる。
◆旧清水町の中心部に到達する。赤玉という店で「わさびすし」が買えるし、食べることができる(大和八木駅内・橿原神宮前駅内でも買える)。そこに到達。わさび寿司定食で、うどんのセットを猪肉香椒麺にする。そしてあまごのお造りを単品で注文する。赤玉という店は、70年くらいになるというが、食べながら、若い大将とカウンターのなじみ客の話を聞いていると、新しく大将が店を始めたようである。
◆きれいな川が流れ、それにそって国道が続く。この川は有田川?、有田川でした。カミさんの実家から、驚くほど近い。26キロくらい。山越えではあるが、簡単に南の有田川水系に到達できる。
◆旧清水町の中心部に到達する。赤玉という店で「わさびすし」が買えるし、食べることができる(大和八木駅内・橿原神宮前駅内でも買える)。そこに到達。わさび寿司定食で、うどんのセットを猪肉香椒麺にする。そしてあまごのお造りを単品で注文する。赤玉という店は、70年くらいになるというが、食べながら、若い大将とカウンターのなじみ客の話を聞いていると、新しく大将が店を始めたようである。
旧清水町へ
◆一旦、紀の川側に戻るため国道480号線を梨木峠のトンネルを抜けたが、旧清水町に行ってみようということになり、引き返す。カミサンの実家の長谷宮から、貴志川を渡って山を越えて旧花園村(かつらぎ町飛地)に向かう。清水町はそこから谷沿いに下ればいい。目的は、わさび寿司。柿の葉寿司ではない、わさびの葉で巻いた寿司のこと。有田川の特産とわかったのは数週間前だったか、それを買いに行こうと。
◆旧花園村に抜ける。ここまでは来たことがある。が、そこから旧清水町へ下りたことはなかった。旧清水町は旧花園村から下って行った場所だったんだ、と学ぶ。数年前、旧清水町出身の学生が日本史コースにいて、演習では旧清水町の遺跡をまとめてもらった記憶がある。有田川の上流部だということはわかっていたが、近いイメージはなかった。しかし、旧美里町いまの紀美野町から山越えで南に行けば、そこが旧清水町でした。
◆旧花園村に抜ける。ここまでは来たことがある。が、そこから旧清水町へ下りたことはなかった。旧清水町は旧花園村から下って行った場所だったんだ、と学ぶ。数年前、旧清水町出身の学生が日本史コースにいて、演習では旧清水町の遺跡をまとめてもらった記憶がある。有田川の上流部だということはわかっていたが、近いイメージはなかった。しかし、旧美里町いまの紀美野町から山越えで南に行けば、そこが旧清水町でした。
2024年3月16日 公大日本史第27号編集開始
◆去年は3月2日に半分弱くらいの原稿を入れている!。今年は集まりは悪いし、入稿もこれからだ・・・。今日から4月いっぱい、またこの仕事ですね。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。