人を幸せにする人になろう

2019年10月14日、同女

◆12月の陵墓シンポの打ち合わせ会議に京都に行く。祝日、朝早くから八木まわりで京都に行き、今出川まで行き、喫茶店2か所で仕事をする。同志社の学生が昼飯を食べにくる。私学では祝日も授業をやっている。
◆14時から会議。大仙前方部石室の短甲は、本邦唯一のまっキンキンとのこと。そもそも前方部の中段にあるという埋葬施設の場所が、ふつうはおかしい。前方部前面があんなに整っていることについて、明治期の修理が考えられているという。それはそれで事実がわからんのか、というところだが、堺市立図書館に文書があるらしい。

ああ、また仕事が

◆懸案が解決し、少し気が楽にはなっていた。が、またぞろ、いろんなことが。府大・市大が一緒になる新大学設置申請にかかる書類関係。『難波宮と大化改新』の初校が出て、わたしのところにはぜんぶのゲラ1通が送られてきた。不統一箇所をなんとか。自分の本の再校(もうちょっとなんですけどね~)。140周年展。ヒストリアの念校も来た・・・。

難波宮南面大路近くの石組溝

◆大阪市文協の『葦火』を見る。南面大道の東側溝推定ラインの5m東で、立派な石組みの南北溝が 検出された、と。推定道路心から東へ21.2mなのだとか。これが側溝とすると幅員42.4m、高麗尺6尺(35.5にしとこう)1歩[2.13m]で割ると19.9歩です。20歩の道路とちゃうんでしょうか。
◆すぐ横に掘立柱建物があり、遮蔽がなく建物が来るのはおかしいので、道路側溝ではないとみている。でも、もしかしたら、この「建物」、L字の折れる塀かもしれませんよね。石組溝の西に遮蔽施設があるわけでもないし・・・。まあ、道路側溝そのものの石組溝かもしれない、ということだろう。

鍵屋

◆わいわいやっていると、枚方まであっという間でした。鍵屋浦に乗り付けられればいいのです が、近代以降の淀川治水で巨大な堤防ができ、距離が離れてしまっている。河川敷ではマラソンが行われていた。
◆鍵屋に移動し、学芸員から説明を聞き、みなで食事。ビールも。展示を見てから、淀川資料館に移動。京阪で京橋に移動し、二次会となる。
◆鍵屋の竈を見る。ごはんを炊くお釜、隣は汁物を作る鍋C?、その横には 湯釜。おお、河内鋳物師3点セットだ。

2019年10月6日、淀川周遊

◆5日はKR研。
◆6日は、大阪歴史演習の履修生らの誘いで、八軒屋浜から枚方までのクルーズに。朝、9:45集合。10時に出発、ガイドさん1人と、歌を歌う人1人。すぐに大阪城が見えてくる。手前は京阪電車。いや大阪城天守閣はかなり近いですよ。大川に面した台地先端に築城したことがよくわかる。
◆淀川が北に曲がり、左に造幣局が見えてくる。せんぶ館が見えてくる。ほどなく毛馬閘門。三つの水門があるとの説明を聞いたが忘れた。新淀川の方が高く、大阪側から 入り、閉じられ、淀川からの水が導かれ、次第に水位が上がっていく。10分くらいかかるのかな。淀川側のゲートが開き、、船は淀川へと進む。すぐ淀川大堰。
◆おおさか東線の鉄橋。貨物船時代は片側しか線路がなかったが、旅客用となり複線となる。
◆船の様子の写真もどうぞ。

吉野彰さん

◆おめでとうございます。吉野さんは考古研の先輩とのこと。
◆2015年に、大学のサークル考古学研究会の同窓会をやると、1960年に創設した人などが言い出し、世話役の1人となり、準備会に出ていた。その時、ノーベル賞候補になっている人がいると聞かされた。それが現実となった。
◆名簿を整え、出欠確認などやってました。使われていましたね。めんどくさいけど、まあ、いやいやでなく、お世話してました。結局、10月4日に骨折し、参加できませんでしたが。吉野さんは、さすがに出席ではなかったと思いますが。
◆100万分の1の話は面白かった(1/10の6乗)。技術開発のさまざまな発想や取り組みが最終的に実現する確率は100万分の1。あてもんみたい、ととられるかもしれないがそうではないと。諸段階があり、1/10が6回なんだと。第1段階で10にひとつくらいのところを突破する、その繰り返しだ、という話です。また、20年前くらいからの動向をふりかえると、技術の世界で10年先がおぼろげながらも予想しうる、その時に必要になるものを考える。ゴールを設定する、という話も興味深かったですね。いわゆる再帰的ということともかかわる。こういうのが必要になってくる、それをやるんだ、やれるはずだ、というゴール設定という認識が、パワーになり現実化する、ということでしょう。卒論・修論も同じですね。こういうことが考えられるはずだ、やればできるはずだ、それをめざすという明確な目標をもたせ、自分を暗示にかける。実際の到達点はともかく、そうした目標を掲げて取り組むことが重要ですね。
◆昨日、紀美野町に急遽行くことになり、家にはないテレビで会見の様子を見た。むろん直接面識があるわけでもなく、世界もまったく違うわけだが、こっちも嬉しくなる。

喜界島から

◆お久しぶりです。厳しい夏が過ぎ、喜界島も朝晩はだいぶ涼しくなってきました。いかがお過ごしですか?
◆早いもので、喜界島の歴史民俗資料室にて勤務を始めてから、1年が経ちました。資料の整理や、来館者への対応、各集落での出前講座、学校見学の対応などの業務に励んでいます。
◆特に学校見学については、毎年子供達が資料室へ来て、昔の民具資料を見ていくのですが、これまではただただ自由に見学させて帰すだけであったところを、資料室での授業・案内をさせてもらうことで、子供達が昔の喜界島について、より理解を深めてもらう機会を作って頂いております。昔のことを、新鮮に楽しく学んでくれる子供達の反応を見て、改めて郷土教育の面白さを実感しています。学校をはじめ島民の皆様にも、もっともっと資料室を活用して頂きたいです。
◆また、この夏、資料室主催として初の夏季特別企画展示、「太平洋戦争と喜界島」を開催しました。島にお仕事の関係で赴任し、戦跡の調査をしている方がおり、その方が島にいらっしゃるうちに、ということで、このテーマでの企画展になりました。喜界島は、島の小さな面積のなかに、戦跡がとても充実しているということで、島の戦跡をまとめた地図などを作成しました。また、企画展で使用したパネルやパンフレットなども、今回手がけさせて頂きました。印刷したものを先生に郵送いたしましたので、ぜひご覧になってください。
また今年、埋蔵文化財センターのパンフレットも作成させて頂きました。こちらも一緒に郵送致します。こちらは最終の確認をさせてもらっておらず、ちょっと気に入らない出来になってしまいましたが…笑。
◆イラレを一通り覚えたので、それが非常に役に立っています。現在は、資料室のパンフレット、及び資料室と埋蔵文化財センターの共通パンフレットなども作成中です。そちらも完成致しましたら、ぜひご覧になっていただきたいなと思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。
◆今年、おそらく最後の台風が本州に向かっていますね。年々、災害の規模が大きくなっています。ご用心ください。それではまた!

なんで

◆河内鋳物師について、ストックしてきたものが、フォルダごとなくなってしまっていることに気づく。ああ。しゃーない。

藤原大極殿院の記事

◆新聞に記事が載りました。 藤原は藤原として・・・。たしとしては、難波 宮の「内裏前殿」を大極殿とよぶ議論につながってくれれば、と。

造山

◆先のように、上石津の後円部直径が本来よりも小さく見積もられ、その結果、前方部相対長が長 くなる。仲津山と上石津が墳丘の割り付けからすると関係があるかもというのも、その結果であろう。仲津山の問題は、かつて大いに悩んだ記憶があります。
◆造山、前にもやはり出したと思いますが、復元案は問題が多い。赤と青がわたしの復元案。元図がN先生のもので、一部、緑にしてみました。
◆上段裾の緑は、テラス面ですよね。中段の裾は、西側(左)にあわせていますが、くびれ部、とくに後背側は墳丘内に食い込んでくる。下段は一見するとあっているように見える(裾が傷んでいるから)。これらに対し、自分の赤と青は・・・。要するに、作山と同じで、丘陵軸に載せる主軸方向と、直交方向で正円になっていないのです。施工に際しては、主軸側、短くなる直交方向側で、異なる丁張りをしているわけだが、設計上はどっちか本筋かという問題です。尾根上に墳丘を載せる前期古墳以来、主軸方向こそ設計通りに実現させ、直交方向は尾根側面となり設計通りにはいかず、自然地形にさからわずに小さくなる。
◆なので、中段でいえば、N先生は直交方向で復元円を描くが、わたしは主軸方向、すなわち両くびれ部位置と後背側の今見える墳丘斜面を尊重して円を引いています。造山の場合、中期古墳だが最大限自然地形を利用しており、O点の移動もあり、北側、後背側の斜面長が長くなっているだろう。いずれにせよ、中段と同様、下段も直交方向の現状裾にあわせて復元円を引けば、設計上の後円部径より小さくなってしまうだろう。なので、造山も後円部:OP=1:1.5ではなく、後円部の復元径が大きくなる分、1.5より短くなると考えられる。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
55
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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