人を幸せにする人になろう

伝建、柳井の白壁のまちなみ

◆正式名称はともかく(「金屋」が入っていた)、伝建として、コンパクトながら、中心街路の一定の長さの範囲で、あまり新しい立替建築のものがなく、両側とも白壁の町屋が続いている。

柳井茶臼山古墳

◆まあ、4世紀第2四半期なんでしょうね。3段・2段はもうないはずの時期。墳丘のあり方は、王墓を規範としつつ模倣する場合の姿を考える上で、ひとつの事例になるのかもしれません。
◆「柳井水道」という言葉がでてきた。いまひとつづきに見えるものも、もとは島で間に海が入り込んでいたのだという。

平生町白鳥神社古墳

◆3月28日(土曜日)、まず平生町白鳥神社古墳に向かう。後円部がざっくりと削られ社殿が建っている。ここから出土した遺物は、いま平生町の資料館で展示されているのだが、新型コロナで閉館。

2020年3月27日、山口・広島に向かう

◆この日、結局は博物館のことはできず、メール対応で、いろんなことをして終わっていく。科研の残額処理も、今年度はまだ引っ張っており、この日、なんとか対応を図るが、これでなんとか使い切ったことになるのだろうか。週明け、30・31日までいきそうである。
◆山口県に向かう。

2020年3月24日、卒業式

◆府立体育館での全体の授与式はなし。田中記念館での文学部・文学研究科の授与式は行われる。 例年、1人1人に学位記が手渡されるが、この日はコース・専修の代表者のみ。このため、終了後、例年はないコース・専修での1人1人への学位記の授与となる(日本史・世界史合同)。
◆そのあと、日本史であれば、各時代で予定が組まれているのもあるようだが、今回はだいたいは、しばらく歓談して終了。考古は1階の136室にあつまり、長崎堂のカステラを切り、お茶となる。今年度の4回生は3人でしたが、2人が卒業しました。M2はいませんでした。最後、みなで記念写真。

2020年3月21日、子供ら帰る

◆この日、朝から宝殿へ。長男は15時に姫路駅というので迎えに行く。それから土山の病院へ。もう少し反応がよかった時に、一度、帰ってくるよう言っておけばよかった。10分。夕方、娘が函館から帰ってきて宝殿で合流。母と家で食事をして、この日は泊まり。
◆翌日、今度は娘を病院に連れていく。そして、そのまま紀美野町へ向かいました。既に書きましたが、彼岸の墓参りです。
◆この日、わたしは56歳になる。

2020年3月19日と23日、久津川西側面スウェデン式サウンディング

◆前方部側面の墳端を検出すべく側線3本。それと前方部陸橋を追求するために史跡地の西端にそっ ての南北側線で行われました。

3月18日、和歌山日赤から中谷病院へ

◆岳父は90歳になる。特養に入っていたが、食べられなくなる。で、腎臓のこともあり、しばらく 前から日赤に入院していた。原因は違うが、嚥下できないのはまったく同じ。いまは点滴だけです。それでも声を書ければ、返してくれる。そういうコミュニケーションがささやかながら成立しているのを見ると、うらやましくなる。うちの父の場合は、それができない。
◆で、まったく同じく療養病院への転院が3月18日でした。
◆22日は、12月に亡くなった岳母の彼岸の墓参り。家はもうだれも住んでいません。が水仙が美しく咲いています。

石人山

◆石人山に行く。測量図が作られていた。これ復元し、何と似てるか、やらんといけませんね。
◆それから八女福岡の伝建をめぐり、帰ってきました。

で2020年3月15日、岩戸山

◆久留米駅前に泊まり(客はまばら)、今年度の研究費で行こうとして、ぎりぎり3月になってやっとこさ赴く。14日、宝  殿の実家に行くが、晩御飯を母と食べたあと、姫路から新幹線で久留米に向かう。
◆翌日、レンタカーで南下。念願の岩戸山古墳。30年ぶりくらいでしょうか。前の記憶はほぼない。ふ~ん、こんなんなんや。新しくなった資料館に行く。それから八女古墳群めぐり。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
56
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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