人を幸せにする人になろう

退院

◆父親が4日に入院しましたが、月曜日に話を聞き、手術をするということにしたのですが、本日、再度の手術についての説明があり、その話にもとづき、手術は見送ることになった。今日は、朝の話を聞きて取ってかえすこともできたが、姉・妹に任せた。こっちとしては、悪い場所がわかっていて直しておいてほしいと思ったが、むろん危険もあり、具体のいくつかの説明を直接ではないが聞いてみて、しないというのも理解できた。明日、退院するとのこと。
◆こちらとしても、そのままとすることの危険性等について、調べ、理解しておく必要がある。約半月の入院となった。

お寒うございます

◆12日の金曜日に病院の先生と話をする予定を入れていたが、新たに24時間心電図を取るので、その結果が出てからと、これが月曜日にスライドする。当初は、金・土で実家に戻る予定にしていたが、それがなくなり、日曜の晩から月曜の午前とする。
◆そんなんで金・土と仕事ができる。今日はセンター試験の第1日目。2つのことを1時間ずつ程度で片づけ、今日は大学史展示の仕事を残り時間、集中してやるつもり。この仕事も、後期の授業期間内で完了させることは難しくなってきた。授業期間内で一定の区切りをつけ、残るは3月末までにやっていくほかなさそうである。

いろんなメモ

◆みなさんはどんなメモやノートの使い方をしていますか。わたしの場合、ついに定まっていません。どんなところでも覚えが書き留められるよう、小さなメモ帳を常にポケットに入れる習慣は確立していますが、こと研究とか、例えばいまやっている大学史展示の関係とか、ノートは作るのですが、それが見当たらないこともあり、書き込みを続けていくことができない場合が多い。
◆ストックし続け、ノートナンバーを増やしていくべきものもあるし、解決したら切り取っていくようなもの、この2つがあると思います。種類を増やさず、ひとつにして、カバンに常に入れておくようにする、ということも手かもしれません。こうしたことは、みなが仕事をしながら必要に応じて自分にあった方法を作っていくものなのでしょう。わたしの場合は、こういうことを電子化するのは、やってはみたことがありますが、ノート以上にその時限りになり、まず無理です。ノートに手で書き込む方があっております。ノートPCは常時カバンにあるとはいえ、時や場所、状況に関係なく、メモ帳とボールペンさえあれば書き込める方が、
◆いや~、次々に仕事が押し寄せてきますわ。

まあそんなところで

◆5日には出勤し、1日、できるだけの仕事をして、土日はまた実家に戻り、家の模様替えを開始しました。そして本日8日(月)の祝日、職場で仕事をしております。優先順位を考え、できるだけコンパクトに仕事をしていく必要があります。
◆年末には、北海道大学の総合博物館を見学し、また小樽の町あるきをしていましたが、また機会をみつけてブログに書くことにします。
◆今日やろうと思っていた、あれとこれは、なんとか家でやっつけるかな。明日、娘が北海道に戻るので、今日はこのへんで帰るとしよう。

2018年となりました

◆みなさま、いかがお過ごしでしょうか。当方は、毎年のことですが、カミさんの実家、自分の親 元に、それぞれ同じように戻り、過ごしました。長男・長女は、それぞれ修論と卒論ですが、帰ってきて、4人で移動しました。右は、初詣に生石神社に行った時のもの。
◆一方、今年は例年と違うことが生じました。さいわい両方の両親ともまだ健在ですが、わたしの母が昨年末に要介護認定を受け、介護サービス計画を立てないといけません。通知が年末のことだったのでこれからですが、ケアマネージャーとます相談する必要があります。正月に帰った時にその相談をということだったのですが、年明けに今度は父が、いまのところ症状は軽いのですが脳梗塞であることが判明しました。詳しいことは控えますが、昨日4日は、朝から病院に行き、別の病院での検査をするよう紹介していただき、すぐそちらでMRI検査をしたところ判明し、即入院となりました。いまのところ10日ほどの入院が必要ということですが、治療と精密な検査ということになりました。
◆3日には、姉夫婦・妹夫婦ともども、実家の、手すりや、石油ストーブをやめるとか、IHにするとか、基本的に1階で暮らせるようにすることなど、必要な対応を相談していたところでした。大掛かりなリフォームはしないつもりですが、一定の工事も必要になると思います。一度にはいきませんが、急ぐものは急ぎ、全体として3月までくらいにはやってしまいたいと思います。
◆自分の親が85歳と80歳であることを、思い知ることになりました。姉が近くにおり、日常的に様子を見てくれており、妹もよく帰ってきてくれているようで、それに比べ自分はなるべく帰るようにとは思ってはいるものの、月1回も帰れておりません。が、いよいよ、そうもいきません。そういう次第で、これからは常に「帰れる時は帰る」というようにしていかなければなりません。

研究ノート

◆Yさんは、7世紀後半に現れる「常布」をはじめとする布の規格を検討し、そのなかで「1ヒロ(尋)=1.8m」との見方を導いている。しかし考古学の側では、「1ヒロ(尋)=1.5m」と考えられてきた。
◆大宝令では、唐大尺による長1丈3尺(3.85m)×幅2尺4寸(71.3㎝)の布を1常とする、「常布」が現れる。これは貨幣的な役割を果たす基本規格となっていたらしい。そして、こうした役割を果たす近似した大きさの布は、それ以前からあり、それが「常布」へと継承されていくとみている。改進詔第1条では、常布に対応する布の規格は、わずかに異なる長1丈2尺×幅2尺5寸というものであった。Yさんの1ヒロ(尋)の長さに関する議論は、以下のようなものである。
◆まず、改進詔第1条にある長1丈2尺×幅2尺5寸であるが、改新時の尺度は自明でなく実長は不明で、それを旧俗改廃の詔に現れる2ヒロ(尋)布と実態は同じと考え、これにより「1丈2尺布」の成立を説明しようとする(改新詔の尺は基本的に唐大尺とみて問題なく、そのまま実長を考えることができるが、それは措く)。
 (Ⅰ)改新詔1丈2尺布=布2ヒロ(尋)布と考える。
 (Ⅱ)2ヒロ(尋)の単位尺は高麗尺(35.5㎝)と考えられる。
 (Ⅲ)1ヒロ(尋)は手を広げた程度の長さであるから5高麗尺(1.775m)とみるのが妥当で、
   5高麗尺は6唐大尺でもあるから、
   2ヒロ(尋)=10高麗尺=12唐大尺(=3.55m)となる。
◆結論としては、貨幣的に流通していた7世紀前半までの2ヒロ(尋)(推定約3.5m)という規格の布が、改新詔において唐大尺に換算して、1丈2尺と書かれた、とするのである。
◆しかし、(Ⅰ)改新詔1丈2尺布=布2ヒロ(尋)布というのは、実寸に変わりはなく「近代的な」唐大尺で表記したものという理解で、それはひとつの見方であるが、断定はできないだろう。(Ⅱ)2ヒロ(尋)の単位尺を高麗尺(35.5㎝)と考えているが、これは誤りである。
◆筆者の結論は、1ヒロ(尋)は南朝尺の6尺1歩の歩数と同じであり、1ヒロ(尋)=1.5mである(これは別に論証するとして)。改新詔には布幅として唐大尺2.5尺が現れるが、これは南朝尺の3尺である(布幅に変化はないだろう)。したがって、7世紀前半に貨幣的に扱われた2ヒロ(尋)布は、5世紀以来の南朝尺による「長12尺(3m)×幅3尺(75㎝)」という規格であった。7世紀前半に導入され始めた唐大尺に換算すれば、長10尺×幅2.5尺という長さであった。これが改新詔を出す前のあり方である。
◆以上のことが妥当とすると、改新詔では、基準となる布の長さを約3mから約3.5mに、1.2倍にしたという理解が導かれる。つまり改新詔において、1丈2尺(3.5m)×幅2尺5寸(74㎝)という規格に変更したと考えられる

陵墓の仕事があった・・・

◆堺市博は、百舌鳥古墳群以降のところも展示替えされていました。道すがら、看板なども新しく なっており、「仁徳天皇量古墳」と。

富雄丸山

◆で、12月22日、佐紀陵山へ行く前に、日本一の大円墳、富雄丸山に初めて行きました。フェンス で囲われ、門扉には鍵がかかり、立ち入れないようになっていました。昔の報告では造り出し付円墳の可能性が示唆されていたように思います。
◆で、城陽に向かう間に院生1人と話をしていて、帆立貝形古墳と造り出し付き円墳の出現時期とか差について話をしていました。その区別論はもういい。帆立貝形は、既に別の墳形として考えるべしとの結論が出ていると思うが、規制された前方後円墳で、第2の前方後円墳みたいなもんなわけです。で、イメージは大仙以降とちゃうか。それ以前は、陪塚をはじめとする方墳。そして造り出し付き円墳か、と。例えば、播磨、中期中葉以降、前方後円墳がなくなって、多くの「円」が出てくるが、それは帆立貝なのか、造り出し付き円墳なのか。2者があったとして、その被葬者はどうちゃうのか。とても面白いテーマですね。ひとまずそれを区分し、時間軸でならべていったらどうなるのか、あれはこうでこれはこう、なんて答えは簡単でないにせよ、差を明確にする意味はあるだろうと思う。大仙ちゃうか、というのは、允恭段階で大幅に前方後円墳を規制するが、そこは新たに帆立貝形古墳を創出して、新たな格付けを生み出したのではないか、といったことが推測される。これ、卒論のいいテーマでは?。なんとかさんにピッタリでは。と。

12月22日は

◆佐紀陵山へ行きました。5分で終了。そのあと、城陽市に行き、残り4箱になっていたものの処理 をする。整理事務所で、円筒埴輪の接合をかなり進めていただいておりました。
◆で、埴輪のフォトスキャンをやったろうと、撮ったんですが、失敗・・・。根本的な失敗を犯した。できあがった3Dを見ればわかりますよね。外面がない・・・。理由はすぐわかった。撮った画像でリカバーはできるんですが・・・。

広瀬隆『日本近現代史入門』

◆一気に一読しました。これ、親類縁者一堂に配ったろか。是非、みなさんにも読んでいただきた い。
◆例えば、戦争をすると、勝たなくてよかったわけだが、要するに勝つためにはどうすればいいか、と考えないわけです。脳みそが多いほうがいいに決まっている。陸軍本省の作戦課とか、実際に現場にいる軍の作戦立案というのが、きわめて限られた人間により、合理的な判断がなされることはない。開戦ももちろんそう。勝てっこないのに、軟弱と言われるから、裏で行っていても、決定する重要な会議で発言しないとか。そこはむろん、反対しにくい状況はあるだろうが、そもそもそういう点も含め、大勢の頭を使い戦略を練り、といったいわば民主的な共同作業を進める、という素地がないわけです。
◆ついつい発言しましたが、是非、一読ください。で、上のこと、原子力発電をやめる、という今のご時世もまったく同じなわけです。これは自分を含めた現在のわれわれの課題。まったく変わらないまま、次のメルトダウンが起こるのとちゃいますか。福島にあといくらかかるのか、廃炉にいくらかかるのか、何にも試算していないわけです。リニアなんて、電気を食うだけ・・・。大阪はIR・・・。
◆右画像は、前に家にある昭和史の本から、できごとを書き上げていたもの。

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プロフィール

HN:
前方後円墳が好き
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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