人を幸せにする人になろう

久津川の課題

(1)囲形埴輪据え付け部の完掘→フォトスキャン
(2)後円部・造り出し北辺の墳端の検討
(2)葺石立面の陰影図作成指示
(3)埋葬施設の調査のゴール
陥没坑(棺内)は? そこを控えて両側の埋土を墓坑底まで掘り切るか
※いまの黄色を基調とする埋土が埋葬儀礼面かも、と思い始めています。それより上の赤みを基調とする埋土とは異なり、両側で高さも一致するような・・・(壁沿いを下に割らないの明確にはなりませんが)。

(4)テラス面の完掘
(5)終了予定
5日図面開始(5・6・7・8・9・12・13・14日)/現地説明会資料作成 14日現場作業終了→打ち上げ 15日宿舎清掃・器財清掃・生活関係器財の大学への引き上げ 16日通いの清掃(教授会で欠席) 17日現地説明会

2016年8月29日(月曜日)久津川車塚

◆雨の確率高し。が、午前はなんとかなると。参加。城陽市担当者。自分。阿部(市大)。木下(立命)。泉・田口(奈良大)。相馬(近大)。今季でいちばん少ない・・・。
◆(1)埋葬施設は、現状の清掃と写真。釘を6本打って座標を入れ、フォトスキャン用の 写真撮影。(2)カコイラは取り上げ継続。昼前に槽形埴輪を確認。完全でなく大きく2つの破片(さらに2つ3つになっている)が下層から出土した。ピンピンで風化せず、焼きもよく硬緻。樋状の窪みのある短辺部。もうひとつは内部を十字に仕切る突帯があり、これもピンピン。で槽の高さも変えてある。めっちゃ写実的なんとちゃうか。(3)テラス面。3人なので、上から仕上げよと。葺き石の目地だし、石のない撹乱部の掘り下げ。調査区の整形など。大きい2石は動いていると思っていたが、調査区上端部の葺石(幅の半分はない)に続く傾斜下部の葺き石はさらに残りが悪いがそれでも南壁沿いのものはイキかなと。そうするとずいぶんと傾斜が緩く、それからすると、考えていたよりも西に基底が来て、大石の上の方のヤツは据わっているのかな、と。葺き石斜面の下半部は、まだ転石が残り、撹乱内部も掘り切れていないが、もうちょっと。
◆テラス面は葺き石がカッコつけば、テラス面そのものの礫出しをして樹立埴輪のところまで進むことである。
◆昼前から雨が降り出し、中止とする。みな弁当をもって宿舎へ。自分は研究室へ。

平面図の準備

◆まあ今日は午後は雨で・・・。昨日のどっかから、葺石陰影図を切り出し、図面の準備をしていまし た。いいところまで行っていたのですが、最後、2枚ほど残っていたのでやり、カラープリントも2セットやりました。A3です。

あかん大坂城のことをやっている場合ではない

◆とはいいつつ、土曜日、そして日曜日の午前、大坂城の図をいじる。別に新しくなんかいうわけではなく、既存の成果を学びたいだけなのだが、これぞという図がないもので。

陥没抗の埴輪

◆いやフォトスキャンの埴輪画像のことです。全体の合成、これでもTIFF160メガあり、そのへんの 重さの問題はつきまといますが、そこから埴輪の部分を切り出してみました。それぞれに位置座標も高さも存在する。まあ十分な画像ですね。

2016年8月26日(金曜日)久津川車塚

現地説明会は9月17日(土曜日)です。
◆参加。城陽市担当者。自分。長友。道上・阿部(市大)。三浦・大澤・コンマ1・安堂・木下(立命)。泉・田口(奈良大)。相馬(近代)。来客:京丹後市文化財保護審議会。文化庁文化財調査官+京都府保護課+フランス人3人。
◆寸止め班。朝からどうやってこの先進めるか、ず~と考えていた。深掘り底面の精査、両断面 の線引き、底部での陥没坑確認、段下げ、etc。昨日は、ねずみのややネチョネチョした土がまんなかにあるというところどまりだったが、底面のデコボコをなくしフラットにして丁寧に削り検出。底面で直線上の落ち込みラインが2本通り、その西側では、外側の墓坑埋土に近いがやや相違するかと思われた土があり、底面に3本の線を引く。陥没抗の真下ではなく東にずれた位置であることにも悩む。よくわからんので、畦沿いにサブトレを入れる。やはり明瞭な東2本は下に下っていくが、西側の境界線の差は認識できず。東2本の内部を10㎝程度深掘り。両側の高い墓坑埋土面のうち、西側だけ畦沿いにサブトレが入った不格好にしてしまった。最終的には底面の畦沿いを全部サブトレで抜いた方がいいかもしれない。棺幅部の深掘部の壁であるが、東側は垂直に落ち箱形木棺の壁かな、と。が対する西側は角度をもった斜面で、なんでちゃうんやろ。まあ、もう、終わりたい。
◆カコイラ班は、図化した埴輪はすべて取り上げ、下層にかかり、最終面に残すものは残し、それいがいの遊離したものは、大きいものは位置を落としながら取り上げてくれている。これももう少し。取り上げとその下の探り、転石のはずしも並行しており、そのまま最終的な掘り上げ作業でもあり、注意を払う必要がある。
◆テラス面の班。調査区上端で転石やと自分が言っていた石たちは生きている、ということになり、乱暴な発言を反省。確かに攪乱で抜けがありつつも、いま残る石は差し込むように積み上げられ、相互にかみあっている様子が、石の間の土を除いていってわかるようになってきた。その角度からすると、裾部かと思われる位置にも攪乱が入っているのか、基底石がちゃんと座っておらず、むしろ基底石と思われる大型石材がそこから西に遊離して2個座っている。いずれかの時点で手が入って裾部の石をはずし動かされた、と考えるしかないかもしれません。葺石面および裾部などの石の抜け部分の攪乱は、攪乱なんだから幸い下が見えるわけだから、ガッツリと盛土面まで掘り下げ、抗の壁で盛土面をしっかりだし、そこに残存する石たちがちゃんと載っている、ということを見せないといけない。裾部も同じで(注意深く掘れば抜き抗が残っているかもしれないが)、攪乱でやられている状況を見せなければならない。
◆そこから墳丘外側では、円礫をできるだけ残すように流土を下げてもらっており、礫敷風になりつつあるが、まだまだ土が黄色い。埴輪が4本?くらい出てきた?のかな。そこからさらに西側はほぼ盛土面の露呈ということになろう。肩があり下がる。そのへんを自分は最終段階で削っていた。ヒストリアの印刷屋から電話がかかってきて、「ありゃまあ」状態になり、郵便局に電話をしたりして、現地ミーティングの時間に説明を聞いていないが(なので写真も撮れていません)、そんな状態で、ほぼ全体に遺構面に接近しています。
◆ちなみに埴輪の配列および葺石のツラからすると、調査区は後円部らしい。あちゃ~、くびれてない・・・、とほほです。拡張してちゃんと屈曲する部分を出さないといけません。そんなんで、まあ無理せんと、今年の調査区はきっちり掘り上げておき、拡張するのは次年度に置いておきましょか、という話も。確かに、あの図化しないといけない石の量を考えると、掘り上げまでで(図化はせず)寝かしておけばいいというのは、気持ちの上でかなり楽になれる。もう若くない・・・。
◆そんなんで4週間、頑張って掘ってきたので、この日は銭湯から戻り各人の荷物をまとめ、久津川駅近くの飲み屋で慰労会を行いました。

2016年8月27日(土曜日)

◆9時過ぎには研究室に座っております。大学人に休みはない。まあ、ぼちぼち残務を・・・

2016年8月25日(木曜日)久津川車塚

◆昨日の埋葬施設の写真をフォトスキャンにかける。できた。がシャドウ部があり、 朝、追加写真を撮り、現場に持ち込んだPCで合成する。最終的に25日、家に戻り、座標も入れ、いままでオルソ画像を作成していました。なんとか独力でフォトスキャンで画像を作りました(写真)。
◆朝、そんな作業をしつつ出発。参加。城陽市担当者。自分。長友。道上・阿部(市大)。大澤・コンマ1・安藤・木下・姿(立命)。泉・田口(奈良大)。相馬(近大)。来客:山口博さん。
◆埋葬施設班。工藤さん・自分・道上。第1Q。昨日、取り切れなかった埴輪の取り上げ。ゴツイ家形埴輪が上がってきております。最終、取り上げ番号103まで振ったのかな。
◆テラス班。長友・阿部・コンマ1・安藤・木下・姿・田口。第2Qに上に上がり、最初は ミニヅルで、後半は木下とバチで残る表土を叩く。第2列、ミニヅル。そして第3列と、われわれが荒掘りをして下に進み、調査区上端から列を増やして下げていく。午後はテラス面を離れたが、調査区上端で転石面が出てきて遺構に近づく。真ん中でも、もしかして立っている?と思われる埴輪を検出。表土直下ではなかったが、そろそろ遺構面が近づいたという感触をえた1日であった。明日は躍進?か。
◆カコイラ班。大澤・泉・相馬。ひたすら取り上げ。取り上げ後の土の始末、その下で出てきた埴輪片の書き足し、etc。いや~、いったい何番までいったのか、相当な作業量である。それと同時にカコイラ部に埴輪を噛みながら横たわる転石の除去などの作業も進め てくれている。どうやら、ここの囲いは、柵塀上端の三角のみならず、その下の上の突帯も外にむかって三角になっていることが判明した。本邦初でしょうか。80%くらいは取り上がり、下層もうかがっているが、いまのところ立っている埴輪はありません。槽もまだ拝めてません。もうひとがんばりです。
◆再び埋葬施設班(別名:寸止め班)。コンマ1を加えて、いよいよ幅70㎝として、墓坑横断の断ち割りに入る。遺骸頭部付近に相当するか。1m弱まで掘り下げる。レーダーによる墓坑の深さは1.6mだが、木棺の高さを考えると、そろそろ注意しないといけない。断面に鏡が!、という2回ほど見たことのある風景にならないよう。棺幅の平行する直線状の土層が見えてくるか?、あるいは被覆粘土か。明日には終わります、よ。
◆いや、3箇所とも佳境に入ってきました。できれば、来週の水曜日くらいまでには掘り上げ、全体清掃・写真・計測などを終え、その次の週には図面にかかりたいものである。

2016年8月24日(水曜日)久津川車塚

◆参加。城陽市担当者。自分。道上・伊藤(市大)。三浦・大澤・安藤・木下・姿(立 命)。泉・田口(奈良大)。相馬(近大)。
◆まず調査区の雰囲気を。写真左は、造り出し北辺の今回調査区と、新たに開けた中段テラス調査区の位置(赤)を示したもの。右は、そのテラス面から見た、造り出し北辺調査区と、昨年の埋葬施設部分の再発掘区がの姿です。
◆朝、全員、埋葬施設。写真に向けて、埴輪出し、陥没坑下げ、撹乱内の墓坑ラインの検 出、線引き、段下げ。断ち割り部の墓坑埋土下げ。調査区清掃。まあ、いろいろやりました。「なんとな~く」。おかげで、昨年、やることが多すぎる中で残していた埋葬施設まわりの課題をきっちりやっつけた感があります。噴霧器で色を出し、午後の写真も曇天で条件よく、なんとかイメージしていた仕上げまでこぎつけたかな、と。
◆午後、すこしだけ清掃の残りをやり、埋葬施設部分の撮影が始まり、ほっこり休んだ後、13:45からテラス面調査区を再開する。埋葬施設部分については、写真撮影後、フォトスキャン用の基準点打ちと測量および撮影(合成は今晩やってみます)。
◆この間、大澤・泉は谷間の埴輪片の図面を継続し、おいおい終了し、第4Qから?、相馬を加え、取り上げを始める。時間が・・・、ハニメート・・・。埋葬施設部分も、遺物の取り上げにかかり、8割方まで来た。
◆第4Q、テラス面は若い衆が掘り続けている。かなり表土下の流土が見えてきている が、まだ半々というところか(写真)。写真では切れてますが、手前の中段斜面肩部から下はけっこう黄色くなりました。明日以降、がっつり、と。

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プロフィール

HN:
前方後円墳が好き
年齢:
52
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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