人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
ベルギーの旅(4)
◆19:08のTGVがブリュッセルに到着したのは、ほぼ21時でした。かなりの線数のレールがある。
いったい何番線まであるのだろうか。向こうに高い塔が見え(これは最高裁判所の建物のよう)、ランドマーク的存在。ホームはきれいなもの。国鉄の駅では、ブリュッセルには北駅・中央駅・南駅があるようだが、南駅に到着。いろんなところに向かうターミナル駅としては南駅みたい。
◆ホテルは駅すぐ横のイビス。駅の東北から道路を隔てた向かいだが、驚いたことに信号がない。横断歩道があり、勝手に歩行者は渡り、車は止まる。
◆予定では、ここに2泊する。明日5月5日はブリュッセルを見てまわり、5月6日に朝から会場であるオステンドへ向かうことになっている。オステンドで2泊3日、8日夜にブリュッセルに戻り泊、9日午前の飛行機で、今度はブリュッセルからオランダ・スキポール空港経由で戻ることになっている。
◆ホテルは駅すぐ横のイビス。駅の東北から道路を隔てた向かいだが、驚いたことに信号がない。横断歩道があり、勝手に歩行者は渡り、車は止まる。
◆予定では、ここに2泊する。明日5月5日はブリュッセルを見てまわり、5月6日に朝から会場であるオステンドへ向かうことになっている。オステンドで2泊3日、8日夜にブリュッセルに戻り泊、9日午前の飛行機で、今度はブリュッセルからオランダ・スキポール空港経由で戻ることになっている。
ベルギーの旅(3)
◆シャルルドゴールは15年ぶり。なんにも憶えてませんけど
。TGVでブリュッセルに向かう。 TGV、これなんて読むんですかね、テゲベですか。18:48発なので、だいぶ ある。が、あんまり空港内に店がない。PAULというファーストフードみたいなやつが多い。飛行機内で2食し、最後のやつは到着2時間前くらいだったし、あんまりお腹は空いていないが、ビールを。
◆5番線だかの表示がやっと出て、1号車というのでホームの端まで行き、乗り込む。座席は固定で回転しない。シートはでかく贅沢。片側1列、反対側2列の、計3列。1列席の前後の指定ではあるが、シートが回転しないので、向き合えず個々。また進行方向に対して後ろ向きで発車する。が、途中、リエージュで長く止まったそうで、そこからは逆向きに走り、進行方向に向いていつの間にか走っていました(睡眠中)。窓の外の風景は、ひたすら田園地帯。
◆5番線だかの表示がやっと出て、1号車というのでホームの端まで行き、乗り込む。座席は固定で回転しない。シートはでかく贅沢。片側1列、反対側2列の、計3列。1列席の前後の指定ではあるが、シートが回転しないので、向き合えず個々。また進行方向に対して後ろ向きで発車する。が、途中、リエージュで長く止まったそうで、そこからは逆向きに走り、進行方向に向いていつの間にか走っていました(睡眠中)。窓の外の風景は、ひたすら田園地帯。
ベルギーの旅(1)
◆カミさんの学会発表に同行しベルギーに(いちおう自分の課題もあるのですよ)。5月4日発、10日朝着予定。3日、大学で仕事をして、帰ろうとしてメールチェックすると、『市大日本史』の校正が7本くらい来ていて、とにかくダウンロードし、プリントし、家に戻る。旅行の準備といっても簡単。それから市大日本史の校正の仕事をし、スキャナーはないのでデジカメで撮影し、印刷屋に送り、寝る。
◆翌日、7:24分の電車でと思っていたが、出るのがやや遅れ、車で関空に向かう。順調だったが、8:27、岸和田の料金所を抜けてしばらく行ったところで車が止まる。GWおそるべし、やっぱり電車にしとけばよかった!・・・と思ったが、もう遅い。が、これは事故渋滞だった。泉佐野と泉南の間で2㎞と確かに手前で表示されていたのを思い出すが、それが伸びてきたらしい。これはまずい。パトカーが何台も現場へ向かう。
◆たぶん9:00頃、関空道分岐までたどりつき、そこからはスイスイ。その分岐箇所で「ここで出よ」の表示が立てられている。阪和道は完全ストップか。「ここで出よ」と言われても、分岐点の先に数珠つなぎの車がある。どうやって出るの?。あ~あ、GW5月4日快晴、行楽日和、みなさんの予定は大きく狂うことになるのだろう。関空道への連絡のところ、対面側も阪和道へ入ろうとする車が延々と止まっている。引き返したくてもバック不可。関空道も同じ。
◆りんくうタウンの駐車場に入れ、無事、空港にたどりつく。
◆翌日、7:24分の電車でと思っていたが、出るのがやや遅れ、車で関空に向かう。順調だったが、8:27、岸和田の料金所を抜けてしばらく行ったところで車が止まる。GWおそるべし、やっぱり電車にしとけばよかった!・・・と思ったが、もう遅い。が、これは事故渋滞だった。泉佐野と泉南の間で2㎞と確かに手前で表示されていたのを思い出すが、それが伸びてきたらしい。これはまずい。パトカーが何台も現場へ向かう。
◆たぶん9:00頃、関空道分岐までたどりつき、そこからはスイスイ。その分岐箇所で「ここで出よ」の表示が立てられている。阪和道は完全ストップか。「ここで出よ」と言われても、分岐点の先に数珠つなぎの車がある。どうやって出るの?。あ~あ、GW5月4日快晴、行楽日和、みなさんの予定は大きく狂うことになるのだろう。関空道への連絡のところ、対面側も阪和道へ入ろうとする車が延々と止まっている。引き返したくてもバック不可。関空道も同じ。
◆りんくうタウンの駐車場に入れ、無事、空港にたどりつく。
市大日本史も大詰めで
◆5月3日、憲法記念日。小松山合戦のイベントに集まってきているらしい人を横目に、大学へ行
き、市大日本史その他。今年は約50頁減。このためか、いつもよりスタートが遅かったにもかかわらず、もう終盤に近づいている。じゃじゃこしい原稿がそう多くないこともある。また、サバティカルで授業なく、常に校正返りに即対応できたこと、入稿のテクニックの進歩など、いくつかあるのだろうが。
◆ともかくも、いつもより約1週間早くカタがついた。とはいえ、まだ終わりではない。個々の校正とともに、全体に目を配る必要はあるし、目次もこれからだし、完全校了まで気を抜かず・・・。
◆明日から海外逃亡します。だから急かしたわけでもありませんが、前にGWに丹後で測量していた時も、いないことを前提に対応してきた。早め早めに越したことはありません。
◆ともかくも、いつもより約1週間早くカタがついた。とはいえ、まだ終わりではない。個々の校正とともに、全体に目を配る必要はあるし、目次もこれからだし、完全校了まで気を抜かず・・・。
◆明日から海外逃亡します。だから急かしたわけでもありませんが、前にGWに丹後で測量していた時も、いないことを前提に対応してきた。早め早めに越したことはありません。
中谷美紀の生まれ故郷へ
◆そして姫路から実家の宝殿に戻ったのでした。で、志方城に連れて行ってもらうことに。観音寺
というお寺。神吉城もそうですが、織田方に敗れたあと、お寺になってい
る。あとで調べてみると、志方城も本来はけっこう大きく惣構だったとか。いや~ぜんぜん知らなかった。どこまでわかっているのでしょうね。うちの中世史軍団に調べてもらおうか。
◆そして櫛橋氏の末裔の方が、4人の墓をまとめた墓石を立てている。もともとは別々にあったんですかね、それを片付けたのですかね。ちょうどこの日、大河でここ志方城が落ちた。
◆志方は、というか、加古川もカンベエに便乗し、「光のふるさと加古川」という幟を用意し、立てている。そして、真新しい看板がある。
◆そして櫛橋氏の末裔の方が、4人の墓をまとめた墓石を立てている。もともとは別々にあったんですかね、それを片付けたのですかね。ちょうどこの日、大河でここ志方城が落ちた。
◆志方は、というか、加古川もカンベエに便乗し、「光のふるさと加古川」という幟を用意し、立てている。そして、真新しい看板がある。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。