人を幸せにする人になろう

ゲツゲツカースイモクキンキン

◆3月2日の日曜日、朝9時、また研究室です。しばらく昨日の余韻にひたる。そうそう、懇親会後のことを。21時頃に終わり、3人でもう1軒。OさんとAさん。楽しい→ついつい呑み過ぎ→八木から五位堂行き最終→そこからタクシー→ブログを書く→飲み過ぎると早く目が覚める→5時起き→出勤。
◆昨夜のことをもうひとつ。懇親会終了時、M大学のY氏のご挨拶。が、お前の通説とする理解は古くって、みんなそんなこと考えてない、みたいなことを言われ、カチンときて・・・。酔いの勢いもあって、じゃあ辞書を書き換えてくれ、そうなってないやないか、みたいな大変失礼な発言を繰り返しました。表に出たところで頭は下げましたが、これは嫌われますね。反省しております。NHKの会長と同じ。本音だが、控えた方がよかった。
◆もうひとつだけ。7世紀史における意義のところは時間なく省略した。それはいいのだが、質疑の ところで追加発言が冒頭に認められ、その時に言っておくべきだったこと。1週間前の改新シンポでは強調したことだが、6世紀後葉に全国的な前方後円墳の廃止令が断行されていることと、むしろこっちなのだが、7世紀前半にそれまでの集落を一斉に立ち退かせて田地開発をやっていること、そういうことができる段階に到達している、その上に改新がある、ということだ。で、そうした転換がもっとも鮮やかなのが大阪市長原遺跡なのである。『和泉郡条里』でも図を示したが、長原古墳群→タンボみたいな図になっていたので、パワポでは集落を赤で示して、田地への転換を強調した1枚を用意していたのだが、見せる機会なく終わる。それを出します。大阪市のTさんの労作のおかげです。

たぶん

◆自分にとっては異業種の他流試合で、まあ反発は免れないと。「こいつは誰だ」というところ(お前は前期古墳とちゃうのか、というのも、先週も今回も聞いた)。それはそれでいい。問題は、自分 の言いたいことが、説得的にひとまず出せたかどうか、だ。が、まあそこそこは達成したらしい。
◆それならよい。T大学のS氏やレキハクのN氏は、さすがに第一人者で質問をいただくこと自体ありがたいし、指摘は明確だ。一方で、そうではない反発は、そもそもその質問に対する反論を発表したんだけどな~と思いつつも、それはそれで受け止める。
◆自分としては、この話は2012年の秋に終わっている。条里が7世紀第3四半期にはじまり、後半のなかでできあがっており、面的施工だということは明白な事実で、それへの反論につきあうつもりはない。五十戸域の方はといえば、反論必至だが、領域だとかそうじゃないとかの議論を継続するつもりはない。受け止めて考えて下さいというほかなく、あとは文献史の方での議論に任せたい。この世界で次にやりたいことは、河内の条里復元と郷域復元という実態の世界。理屈の空中戦より、イラレで、誰にも追随できない資料を作りあげることの方が、よほど有益だし、線を引くことで気付くことはいっぱいある。これO大学のNさんが、「鏡の写真しか見ないで図を描かないから研究が進まないんだ」といったことに通じますね。
◆そして和泉や河内などの歴史的展開にこそ興味がある。令の規定がどうのこうの、ということに立論上ふれたが、もういい。それは任せる。ただ、こう教えられたから、それが常識だからというのはやめてもらい、郷ってホントはどうなんだろうと、それぞれが考えて欲しいもの。
◆眠いので寝ます。第2日は欠席します。来週の大阪城石垣の準備をします。

条里制古代都市研究会大会を乗り切る

◆28日夜、宮崎から帰ってくるまでの間で、だいたいは作った。あとは、当日午前で仕上げてと 思っていたが、資料はちゃんと届いているか、ということが不安になる。メールチェックすると、案の定、京大に送ったが、ダメということがわかる。1日朝、カミサンに「尋ねておいてメールも見ず、勝手に送りつけるなんぞ、めっちゃ失礼」と言われる。資料がないのはまずいので、会場に届けられることがないとすれば、再度、刷るしかない。
◆で、大学に行き、ふたたび150部を刷る。水曜日に刷ったやつは、和泉の地図は両面カラーにしたんだけど・・・、まあしゃーない。事務局長のY氏から電話をもらい、すいませんでしたと謝り、でも、再度刷って準備できてますからと回答。あとは持っていけばいいわけで、これでカッコはつくと一安心。西大寺まで電車の中でパワポは直し、とくだんの問題なくスタート。
◆けっこう勇気のいる発表だったが、逡巡していても始まらない、ぶつけるほかなし(死して屍拾う者なし)。いちおう学会発表で、アジルのでなく「淡々と」と言い聞かせつつも、ついつい・・・。




あすは条里制研

◆パワポ作りは最後近くまできた。いま28日の23:00。残りをやっつけよう。明日は家から出撃して もいいのだが、午前、大学で最後の調整をしてから行こうか。画像ネタを仕入れて出張に出たが、あった方がいい画像はほかにもある。
◆資料は無事届いているだろうか。ちと不安。受け渡しができておらず、行ってみると資料がない、ということがありませんように。発表は気合いを入れつつ、大阪市のSさんに怒られないように、淡々とやることを心がけよう。

「地下式系横穴」の覆屋施設

◆この用語は、本日定められたもの。なんでも墓室の構造は地下式横穴なのに、そこに横穴の墓道 がくっついたもので、まあ大分類としては横穴墓なのだろうが、区別が必 要といった議論がなされていた。検出された横穴群を巨大な覆屋をかけて露出展示している施設で、恥ずかしながら初めてでした。

勉強が足らん

◆まあ、西都原に行って柳沢さんと重藤さんの話を聞いていると、九州という地域独自の考古学の 世界を感じる。それだけの歴史的経緯や色をもつのはむろん、調査研究の蓄積に裏打ちされた独特の世界があるように思える。
◆とにかく、まあ、石室や横穴や地下式横穴の形態にもとづく、地域の世界や、地域間関係やら、ついていけない理解や認識の深まりがある。せっかく、宮崎に行かしてもらえるのに、もっともっと、そうしたものを学ぶ必要がある。例えば生目とか。
◆西都原自身、もっと勉強せなあかん。むかし九州を一周まわって古墳を見たが、そういう見てやろう勉強してやろう、吸収してやろうという意欲がいる。もっと外へ出ないとイカン。
◆写真は13号墳。むかし調査中に見せてもらった記憶がある。

西都原

◆今年もこの季節。柳沢さんと重藤さんとご一緒する。27日16:15伊丹発、リムジンバス、空港、飛 行機の中、ず~とパワポ作り。宮崎市内のホテルに入ったのは18:00。19:00から食事、そこそこビールを飲む。戻ってきてからパワポ作りで、2:00頃まで?。さすがに1:30をすぎると急速に眠くなる。
◆昨年からの201号墳は横穴式石室は見つからず(鬼の窟だけか)、周溝に地下式横穴。竪坑の入り口がわずかにのぞき、閉塞の石が見えている。面白いのは陸橋。あんまりオープンにしてはいけないかもしれないので、このくらいに。
◆それから西都原古墳群の次期整備事業計画の説明を聞く。調査・整備・博物館事業と、なかなか余裕なく回転していることへの柳沢さんの警鐘の話が昨夜も出た。調査や整備は永遠に続くくらいの対象地、すぐすぐ結果が出るわけでもない。とはいえ、大きな話、中期的な構想、当面の計画設定など、考え方をまとめておき、10年ごとくらいの区切りくらいで練り直すなど、目先でない議論が必要だろう。が、現実的には日々の業務が忙しそう。整備事業とは別に、広大な史跡地を使った、さまざまな試みや事業など、イベントを含めて、遊びや普及部分での市民参加による事業展開も育てていくべきと思うが、そういうシカケをやる余裕はないみたい。古墳の基礎的な資料整理その他、市民学芸員を育てるべし、という話をする。
◆むろん花見や散歩やジョギングなど、市民は勝手にいろんな利用をするわけで、それでいいわけだが、遺跡に即した整備、博物館運営などは、やっぱりオカミがやることという意識を変革すべき。遺跡や博物館を活動の場とする、市民のクラブ活動を育てる必要がある。

静清条里の成果はすごいですね

◆1990年代の静岡の発掘成果はかなりのもの。ちゃんとそれらを読んでいなかったが、たまたま矢 田さんの論文が出てきたので、読んでみて感激。問題意識は同じだが、調査成果のリアルさがバツグンですね。

伊丹の見学会

◆『ヒストリア』2月号表紙裏に出した広告を上げておきます。

詰まってきた

◆結局はやはり採点。そのあと条里制研の資料の印刷と綴じ。市大日本史学会の委員会。条里制研 のパワポを作り始めるが時間なし。またそれだけでなく、伏見城の調査やら、伊丹の現地見学検討会、うちの考古学の3月の予定、いろいろ手を打っておくべきことがあるのだが、余裕がない。
◆今日は宮崎に出張するので、それまでに、いくつかのことは・・・
◆雪野山の本ができてきました。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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