人を幸せにする人になろう

都城の調査

◆こないだ、松村奈文研所長が、ちょうど60年前の1954年1月に、戦後はじめての平城宮の発掘調査が実施されたと紹介挨拶された。いわゆる国営発掘。奈文研としての第1次調査は翌年度。難波宮もほぼ同時で、1954年2月に第1次調査を実施している。長岡宮について中山修一が調査に着手したのも同じ1954年の12月年末、この時の調査で翌年早々に朝堂院の門を掘り出した。江戸時代から復元が進んでいた平城宮に対し、いきなり中枢部の遺構を掘り出した長岡宮の調査はすごいですね。
◆飛鳥寺の調査が1956年、飛鳥京の調査が1959年だそうです。

センター試験

◆娘が2回目のセンター試験をうけたので、日本史・地理・世界史をやってみた。直後の印象はもう忘れかかっているが、自分が受けた共通一次の時もあんなもんかもしれないが、センター試験って、あんなんや、悪問やと感じる。むろん選択肢を出してのマークシートで、記述させるわけにはいかないという形式の問題はあるだろうが。たとえばより大事なことというのがあるだろうし、そのことを問うとなれば、必然的に取り上げるべき事項は絞られる。で、そればっかり出してたら、問い方を変えても、満点になってしまう。どうしても広い知識を偏りなく出すしかないことになる。時代のバランスとか、分野のバランスとか、調整するのでしょうね。
◆まあ1次試験とはそんなもの、と割り切るしかないんだろうけど。まあしかし、問題をやりつつ、こんな問題なんやと改めて思った。正しいやつが選び取れるか、正しい中に明らかに間違っているものを選び取れるか、そんなんですよね。

全学共通の考古学入門という試験の答案から

◆毎年、採点をしながら、伝わっていないな~と反省しては、メモをとり、次年度に活かそうとはしておりますが。まあ、授業に出てない者が、自分の知識で書いても、はずしていなければまあよいのだが。しかしなんと言っても、縄文土器は文様があって、厚く低火度焼成でもろく、黒っぽく、弥生土器は、あんまり模様がなく、薄く、縄文に比べると高温度焼成で硬質、赤褐色、みたいな話を多くの者が書いている・・・。あるいは縄文時代の石器は磨製石器とか。へたをすると、弥生は農耕に牧畜とか・・・。また弥生時代はBC3世紀からAD3世紀とか・・・。
◆教科書とか、だんだんに内容が変わっていくものではあるが、古い理解が長く残存するのであろう。用語集とかも遅れるのだろうし、そもそも教師の理解が古いままだったりするのだろう(教員免許更新講習の意味はだからあるわけだが)。そういうことを大学では打破しないといけない。
◆専門科目だと、もっと基礎的知識もあり、一定の関心をもつ層が履修するので、むろんそうではないが。全学共通はそうはいかない。今年は210人の登録。佐原さん流に、これもまた大事にすべきだろう。どこまでの効果があるかしれないが、いつも前を向いて熱心に聞いてくれる少数はともかく、多くは単位を得るために履修している学生たち、しかし彼らに、縄文や弥生や古墳や、高校とは違う現代の理解がきちんと伝わるようにすること、それに最大限努めることか、と。むろん考古学や発掘や文化財についての興味関心を持ってもらえればありがたいが、なかなかそこまでは望めないだろう。一過性。が、少なくとも、高校教科書で繰り返され、すり込まれていることから解放し、縄文や弥生や古墳時代像はこんなだということが、なんとか伝わるようにしたいもの。
◆そう考えると、自分の授業も、手直しをかなりすべきだなと、答案を読みながらそう思う。

喜界島通信

◆桜が満開とのこと。今週はやや寒くなったようだが、先週は20度くらいあったという。南西諸島 の桜は、緋寒桜というもの。
◆現場では人骨が次々に出てきているようです。3月に鹿児島までレキハク研究会で行くので、立ち寄りたいものだが、余裕はないかも。

弥生博の纒向・箸墓のチラシが送られてきました

◆桜井の研究所でもシンポジウムが企画されているようですね。
◆もうひとつ古代都市・条里制研究 会のチラシも挙げておきます。
【追記】改新シンポは900名を超える応募があり、270人の抽選を行ったとのこと。企画者としてはウレシイ。

人間ドッグで

◆夫婦で人間ドッグにこないだ行ったのですが。ほとんどAで、少しB、ひとつだけC。これは脂肪肝。寝る前に呑むな、とのこと。はい。次の機会には肺のCTスキャンをしてはと言われ、そうですねと。気になったのは、身長が1㎝縮み170㎝を切ってしまったことと、背骨が湾曲していること。姿勢が悪いんでしょうね。
◆一方、カミさんは、Cもたくさん、Dもたくさん、これはまずい。とにかく高血圧。で、いませっせとお茶を飲んでおります。カミさん曰く、あんたストレスないんやろね~、と。そんなことはありません。
◆正式な報告書も送られてきた。まあ、いまのところ健康でありがたい限り。

ビバップハイヒールで

◆関西の6カ所の記念館特集を偶然に見た。ひとつめがこのブログでも出した「おまけやズンゾ」、あとはなんだったか。横尾忠則のやつと、それと西堀栄三郎、1位が南方熊楠(白浜の方)でした。

平城調査部の現場4カ所

◆先週、発掘情報をもらい、本日2月3日(月)、院生とまわる。(1)まず薬師寺。薬師寺の現場は毛利光さん の現場に手伝いに行って以来か。20年くらい前?。十字廊とよばれるもの。2月中旬公開とか。(2)中山瓦窯。昔、押熊瓦窯の立ち会いに行ったことはあるが、中山瓦窯は集落のなかに埋もれており、見に行くこともなかったが、これは「見ておかな」とのぞく。(3)西大寺、回廊の東北隅部で、礎石抜き取り列が出ている。西大寺の現場も、金子さんの池だったかなんかの深く掘られた穴を見たカスカな記憶がある、あれ以来だろう。(4)大極殿前。このへんの発掘も、階段の石の抜き取り溝を再発掘をしているのを見たくらい。
◆今日は暖かいが、寒い中、若い研究員が現場に取り組んでいるのを見せてもらった。写真は撮らなかったので、ついでに行った石のカラトの写真を上げておく。
◆大学で、和泉黄金塚の残りの資料をつくっちまおう。

仮設庁舎の写真

◆です。 それと屋上から見た大極殿院も。もひとつ、平成28年4月に竣工する新庁舎の模型。それ   から宝来山古墳を。これ実に目立つ。

1月31日奈文研庁舎お別れ会

◆昨日書いたようなモロモロの調整をやっていると、時間が経ち、おっと西大寺の現場を見る時間 はなくなり、15:30開始に滑り込む。西大寺駅でT氏と一緒になり、古代郷の話をしながら奈文研にむかっていると、鈴木嘉吉元所長の姿もあった。
◆新しくできた2年間の仮設施設の会議室に入ると、とたんに、場違いなところに来てしまった・・・、と。OBといっても、もっと上の方々ばかりで、わたしはひょんなことから追加で案内をもらったが、若ゾーもいいところ。
◆記念写真を撮影し、旧庁舎を1階から上へ、最後は屋上まで、荷物が運び出されガランとなった各部屋部屋をのぞいていく(途中、大歴の代表委員からの電話が入り、長々と相談していて、後追いとなったが)。平城調査部のあった2階が生活舞台で、3階もあんまり行くこともなかったし、屋上に 上がることもなかった。で、屋上の風景を。
◆会場を平城資料館の講堂に移し、懇親会に進む。現役世代も現場などの仕事を終え、参加してくれる。で、若いところから自己紹介が始まり、途中からは参加したOB側にも振られる。当然、OBにも昔話をせよという指名があるだろうが、オレに回ってくることもないと思っていたが、OB側も若いところからということで、いきなりやれと・・・。あとから、こういうことを言うべきだったか、とか思うこともあるが、まあまあ。
◆とてもありがたかったことがひとつあるのだが、それはまた改めて。20時頃には終了したが、残る者は仮庁舎に移動し、2次会が始まる。22時頃までおり帰る。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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