人を幸せにする人になろう

2013年11月17日の堺(5)妙国寺

◆妙国寺。なにやら人が集まってきている。文化行事が目白押しで、あちこちで文化財特別公開な どをやっているのだが、妙国寺では講演会があり、利休にたずねよの制作関係の人だったか、それでぞろぞろと集まってきているようだ。
◆が、こっちは講演会はいいので、お寺の見学。ボランティアさんがいっぱいいて、説明してくれる。ソテツの話。堺事件の話。庭園の話。利休の茶さじと青磁が特別公開されており、別室の宝物展示室ものぞく。堺事件とは、1968年にフランス人を土佐藩の人間(堺港の警護?)が殺傷し、関係者が切腹の処分を受けたのだとか。それが妙国寺の境内で行われたのだという。20人?が切腹することになり、11人までが腹を切るも、あまりのむごたらしさに見聞していたフランス人が中止を命じ、12人目以降のものは生きながらえることになる。その遺髪とか、辞世の句の掛け軸とか、あとはなんだったか。お経のいいのがあったが、あれは・・・。

2013年11月17日の堺(4)方違神社

◆反正陵のところにある方違神社には前から行きたかったのだが、ここに初めて行く。なんでも字 の通り、例えば家を建てるといった時に、ここにお参りに行くらしい。うちのカミさんが小さいときに連れてきて、その灯籠のところで写真を撮ったとか、そういう話がはずむ。
◆ここの特徴は、東南にまっすぐのびる道。これが西高野街道で、和泉と河内の国境なのである。だから行きたかったのだが、いや~感動的です。境内から見ると、そっちの方向に道が延びているわけだ。
◆この日、神社もあと2カ所行くが、七五三参りでにぎわっている。

2013年11月17日の堺(3)17日起床

◆18時頃には夕食にしたのだったか、20時頃には終わり、部屋へ引き上げるが、われわれにはち と早いので、堺東の飲み屋にカミさんと出かけ、もうしばらく呑む。それ でも22時頃には引き上げ、じつにゆっくりと寝る。
◆おかげで朝は5時頃には目が覚め、この夜は満月で、東の空にぽっかりと出ていたお月さんが、朝5時半、西向きの窓からだいぶ傾いて落ちていく写真がこれ。
◆朝食を取り、8時10分頃の同じ方向の写真がもう1枚。見えるのが阪神高速堺線で、環濠の東側、その向こうが旧市街である。

2013年11月17日の堺(2)ゆっくりと

◆前日の土曜日は、入試の関係で1日大学におり、カミさんが美里に迎えに行き、仕事が終わる頃に市 大に来てもらい、そのまま堺のホテルへ。13日の土曜日は大安吉日でほとんどホテルは満室だったのですが、なんとか確保(堺東)。
◆そのホテル、けっこう面白かったのですが、それはそれとして。岳父は足がもう弱っているし、ホテルの日本料理屋で食事を取る。食べながら、堺時代の話を聞き出し、メモを取りました。みなちゃんと知らないことのようで、2回転居し、堺でも3カ所に住んでいたことなど、初めて確認したとのこと。岳父は昭和5年生まれで、北向陽町で生まれたとのこと。そこは4歳くらいまでだったが、ちょうど「13間道路」という堺東へ通じる南北道の拡幅をやっていて、土盛りしての工事現場で三輪車に乗って遊んでいたとのこと。次が宿院で堺の環濠のどまんなか。ここが昭和18年頃までで長かったらしい。ところがこれが市民病院の防火対策というか、話を聞いていると、住吉から来る阪堺線軌道に面して家があったというから、これも南北道の拡幅なのかなと思うが、強制的に移転を強いられ、戦車で建物をぶちこわしたとのこと。そして3カ所目は堺東の方に移ったのだという。で堺空襲から免れた。焼夷弾が堺の環濠のところに降り注ぐのを見ていた、という。
◆そして一家は美里と橋本に引き上げるのだそうであるが、岳父は学校の関係で1年あまり1人とどまっていたのだという。

2013年11月17日の堺(1)

◆忘れないうちに行程表だけでも。最初、方違神社→反正陵→堺の刑務所→北向陽町→妙国寺→泉 陽高等学校の与謝野晶子碑→開口神社→山之口商店街→菅原神社→旧市民病院付近→喫茶まつなみ→与謝野晶子碑→蕎麦ちくま→堺市立英彰小学校→大浜公園→旧堺港→龍女神像。燈台は行きたかったがあきらめる。以上。→紀美野町へ。
◆この堺案内は、うちのカミさんの両親を案内したもの。岳父は堺で生まれ、15・16歳までおり(途中、居所は3箇所移動)、その場所をふりかえるのが趣旨。もともと高野山のふもと、合併前の美里町に家はあったのですが、その父親の仕事の関係で、大正末か昭和初め頃に(よくわかりません)堺に出てきたわけです。以下、プライベートにかかわるところは省き、面白かった点を紹介したいと思います。

決め!の写真

◆これから3週間はスクランブル体制で実習展をやらんとあかんだろう。リーフレットの作成など、まだまだなにも見えない。その前にチラシだが、去年のようにはいかない・・・。がともかく、チラシに使う決定的写真を昨日から考えている。文学部60周年を示すのにふさわしいものは何か、なかなか思い浮かばなかったが、一応、腹案を思いついた。これ1日がかりの撮影になるかもしれないが、バツグンの写真を撮りたいと思う。

法学部11階からの風景

◆今回の耐震工事の風景写真も時々メモ程度に撮影しているが、ちゃんと三脚を据えて撮っておこ うかと思う。そんなんで、大学の風景も、気に入ったらパシャリ、と撮りためている。
◆教授会は法学部棟11階で、天気がよいとかなりよく見える。今日は意外と早く終わってエレベーターホールに出ると、夕日が当たって赤くなってきれいのと、月が出ているので、思わず降りていく人たちの群れからはなれ、窓から写真を撮った。
◆ほぼ真東。むこうは大和。軸線なんてないと思うけど・・・(1人ごとです)。

あ~あ疲れる

◆博物館実習展、文系の文学部60周年展の12月5日まで、あと3週間を切った。今週の水曜日、こ れは間に合わないのではと、やや絶望的になる。が、朝、家族3人で朝飯を食って話をしていると、まあ気分も晴れ・・・、まあヤルッキャない、という決意を・・・。
◆180センチ幅の壁ケースのひとつに、これまでに文学部に籍を置いた教員の一覧図を載せようと勝手に考え、1面くれと学生に申し出る。職員名簿などで、入力をしてもらってもいたが、一気に2日でやっつけ、だいたいのレイアウトが確定した。
◆ひちめんどくさい話で、点検だけでもたいへん。が、ここに学科再編などの画期を記入していけば、いい図になるだろう。やってやろうという気になると、止まらなくなる。おかげで肩は凝り、ええかげん疲れた。
◆大学史のTさんからも情報があり、大学設置審関係の書類が本部の地下倉庫に永年保存してあ り、今回の60周年の起点である、法文学部を昭和28年1953年に法学部と文学部に分離する際の、起案文書が出てきたので、展示物に使おうと思う。

天理彩華ラーメン

◆ひさしぶりに食べる。野菜たっぷりというのが特徴。昔、茶臼山の測量をやっていたとき、天理 の敷島の詰所にお世話になり泊まっていたが、近くに屋台が出ていた。これが本来の姿。天理インターの南のところにもあるのだが、いついってもやってない。というか午後のどっかから夜に営業をするんだろう。ここはまだブルーシートで覆ったような、屋台風をとどめている。が、けっこう店舗もできてきていますね。

下つ道ガイドマップ

◆唐古・鍵考古学ミュージアムでもらった、下ツ道のガイドマップ。これはよくできています。短 冊にじぐざくに折りたたんだもので、持ち歩きに適している。仕上がりはA4の半分くらいで、それが片面9面あり、両面を使って、五条野丸山から平城宮までの道筋が示してあり、その沿道や近傍の寺社や古民家などの写真が散りばめてある。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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