人を幸せにする人になろう

ガレキ焼却続報

◆大阪でのガレキ焼却で、その経費は平成24年度で49億というが、その半分は運搬費という。
◆しかしそもそも、ガレキ焼却のための予算計上段階で、ガレキ量を見積もったものの、現実には1/6だそうである。東北地方では最新の焼却場12基が建設され、ガレキを取り合っているのだとか。全国がガレキ処理で協力することは理屈上はよいことなのだろうが、現実は必要がないというか、バランスが取れていないわけである。
◆運搬費のコストに半分を要する、つまりは産廃業者が儲かっているらしい。コスト的には東北で処理するのが合理的である。が、それがいいというわけではない。PM2.5のことを考えると、そうした危険性もすべて東北に押しつけるのでなく分散させる、協力するということはもっともらしい。一方で、過大な見積もりにもとづき、ガレキ処理関係に3年で1.2兆円が計上されているとのこと。運搬費が6000億円とすれば、その6000億円を復興そのものに振り向けるべきではないのか。
◆大阪でのガレキ焼却も2ヶ月で終わりという。もうガレキはないのだ。が、対応するための予算措置が当初量ママに組み上げられ、まあ、いわば金がうなっている世界が現れ、たかっている構図があるわけだ。
◆橋下くんの対応は、理念はいいかもしれないが、それも怪しいのではないか。正しいことをしているというならば、堂々とやればいい。隠すな。そうでないとろに胡散臭さを感じる。住民を犠牲にして大阪府が大阪市が、大阪の業者が、儲けようとしてんのとちゃうのかと。ここまですべてカミさん情報なのだが、橋下君が著書で「政治家は平気でウソがつけないとダメ」みたいなことを書いているのを見ると・・・。
◆ところで、世界のゴミ焼却場の7割が日本にあるんですって・・・。どう思いますか。日本って使い捨てのゴミ焼きまくり王国ってことですね。生活文化立国みたいなことを前に書いたが、その裏は新しいものを消費しては捨て続けている、世界で稀な国だということになりますわな。またそれも一面で、これはまた不必要な焼却場を、各自治体が造り続けていることの現れでもある。ゴミの量はゴミの量での比較が必要だが、それに応じたもの以上の焼却場の新設、大規模なものへの建て替えなど、造り続けているという構図があるということでもあろう。
◆ちなみに堺市の焼却場新設の話がありましたね。堺市はガレキ焼却を受け入れていないが、検討もしていないのに検討すると言って手を挙げて、国もまた予算を消化しないといけないので、焼却場の新設予算86億がつき、市長は「ありがたく頂戴する」と・・・。この国の金の使い方のデタラメさ・・・。
◆なるべく金を使わない、もっったいないという精神こそ、日本が「取り戻す」ことではないだろうか。

栄原永遠男先生、市大を去る

◆そういうことで、3月といえども、なかなか自分の時間はない現在の大学教員であります。ようよう本日から新年度の授e3042b7b.jpg業開始までの年度末年度初めの、あまり予定のない2週間となりました。が、ただちに原稿にむかうことはできず、溜まっている雑事の片付けで今日は暮れていくか・・・。近つの図録の原稿がリミット・・・、とほほです。
◆栄原先生は3年間、特任教授で授業担当を続けていただいたが、新任が決まり、奥さまとともに、わたしの隣の研究室の片付けをすまされ、先日、業者が荷物を運び出し、鍵を返却され、32年間の大阪市立大学在職を終えられた。
◆廊下をはさんだ対面の、フィリピン史・東南アジア史の早瀬先生も早稲田大学に出られることになり、今日も研究室の片付けをされている。実は早瀬先生の妹さんとは、大学時代に同じサークルで、丁瓢塚の測量をしていた時、明石から飯を作りに来てもらったことがある。赴任した直後、早瀬さんに仄めかされ、気づいて驚いたことを思い出す。早瀬先生は、鹿児島大学から市大に来られ、20年務められたとのことである。中国史中心のかつての東洋史、そして西洋史という枠を越えて、東南アジア史の専門分野のみならず、学部のコースとしては世界史コースであり、東洋史・西洋史の各授業とは別の世界史の授業をもたれ、うちの日本史コースをあわせ、歴史学の学生にグローバルな視点からの教育をされた。
【追記】和泉市史南半部の図ができた。

2013年3月22日、49歳になっちまった

◆49歳はカラオケ屋でむかえる。カラオケはぜんぶで3部屋に別れていて、2部屋を移動しながら謳ったりなんぞしていたのだが、元の部屋から呼ばれ、なにごとかと思ったら、ハッピバースデイ to youの歌が流れた。茅野さん・木上さん、うれしかったですよ。ありがとう!
◆朝9:30に大阪市のユトミドの方と約束あり。今度開催される豊臣石垣公開施設の会議の事前のレクを受ける。なかなかよく考えられている。それから、和泉市史の2枚目の図をだいたい仕上げる。
◆で夕刻、考古の追いコンで、シンガ466b393f.JPGポール料理屋「梁亜楼」へ。うちのカミさんもいつも呼んでもらっています。難波高島屋から東に入ったところ。今年度の卒業生4人に加え、昨年の卒業生、来年度の新院生も入っています。18時から22時、ゆっくりとした時間を過ごしました。木建さんがいないのがチト寂しい・・・。が、だいぶオナカも大きくなり、呑み会に誘うことははばかられる。
◆昨年も同じく3月22日が追いコンとなり、誕生日ケーキが出てきてビックリしたが、今年もまた祝ってもらいました。アラフィフ、アラフィフ・・・。人間50年・・・、化天のうちを比ぶれば・・・。
 

21日、卒業式後の歴史学パーティー

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◆今年の日本史の卒業生は、手作り感たっぷりの卒業文集・アルバムを作成し、手渡してくれた。右から2枚目が今年の考古の卒業生です。4人。2次会、いつものように11時が近づくと、帰る算段をしとかなければならないが、今回は次に進むこととした。我孫子に戻り、朝までカラオケ。
◆5時に解散、家に戻り、1時間くらい寝て、また出勤する。
 

2013年3月21日、堺市

◆午後、堺市の会議が入り、堺東の市役所高層館20階の会議室。上から大仙とミサンザイがよく見えるのだが、カメラをdc4227d8.jpg研究室に置いてきて携帯電話で撮影するも、データ取り出せず。(1)ニサンザイの調査について橋のことをめぐって議論。今年度、後円部で掘れなかった地点の調査を25年度、そして前方部は26年度にするとのこと。それと、(2)御廟表塚の調査成果のまとめ、(3)25年度に新たに調査を実施する削平された長山古墳の調査計画について、が議題。
◆ニサンザイも後円部の墳端が求められたことで、設計寸法が出せるはずだが、図面をいじっている余裕がない。
【追記】ちょとやってみました(すみません宮川先生の作成されたものを使わせてもらいます)。宮川先生の復元で、後円部はすんなり110歩だ。墳丘長や幅は、復元線にしたがった寸法で出したものが赤で、その歩数を10歩単位でまとめた案が青です。墳丘長200歩、前方部幅160歩でいいんでしょう。新たなレーザースキャン図もできたし、いよいよぜんぶ設計寸法を決めていくべき段階だ、な。
【追記2】この数字、2004年に出してました(「前方後円墳の墳急規模」)。

大阪おかんの会

◆みなさん、是非、標記のタイトルで検索し、記事を見てください。おそろしいことが書いてありますよ。PM2.5は中国由来o0447041712401317141.jpgでなく、大阪市が舞島で11月以来の試験運転のあと、情報公開を謳う市長であるにもかかわらず、ホームページで告知することもなく、2月1日未明から、ガレキの本格焼却を開始した結果です。決定的な画像もあったが、保存したつもりが見あたりませんが、いろいろ当たっていくと出てくると思いますよ。
◆いちおう放射能は調べているようですが、その他の有害物質の検査などなく、じゃんじゃん燃やしている。同じようなことをやっている北九州市では、若い妊婦さんはどんどん市外へ逃げているとのこと。

元稲荷と乙訓の古墳群

◆梅本さんに丁寧に説明していただく。テラスの礫敷は(墳端外の礫敷もあり)乙訓でもほぼそうであると。渡辺さん(ナ68f20454.jpgベさんと呼ばれていた)がわざわざ現場に来られ、話をする。たぶんモズメの1983の頃は就職されてすぐの頃で、学生にとっては厳しく怖い存在でした。ちょうどそのころ光波が出始めで、トランシットの上に取り付けるタイプのものを向日市で導入したところで、ナベさんが測量していたことを憶えています。
◆で、文化庁時代。たぶん寺戸の前方部を掘っていて、それを見せてもらい、その時に寺戸・元稲荷・五塚原で史跡指定できるんちゃうか、みたいな話をしたらしい。もともとは京都府から打診されたのではなかったか。どんな言い方をしたのか、憶えてはいないが、いけるのではないかと言ったのだろう。その時に渡辺さんと話をしたのだが、あの時以来の群指定の模索を続けてきて、より広く乙訓の枠組みでの一括指定をめざしているのだという。そして元稲荷のデータが整った、と。長岡京市の恵解山もそうだが、粘り強い調査を続けている。長岡京をかかえ、その調査と保存に取り組んできた長岡京市と向日市、埋文に対する両市の長年の蓄積と、それによって構築してきた意識や姿勢に学ぶことは多い。
◆もひとつ。1960年に給水塔のために元稲荷の石室を壊したわけだが、この施設、6~7年で増加する人口増に追いつかず、別のものが造られ、以後は使われなくなったんだそうである。
【追記】この日の、学生との遺跡めぐりについて、ちゃんと記事にしていませんが、いずれまた。梅本さんが電話を入れてくださり、そのあと大山崎町の鳥居前古墳の現場も見せていただいた。ありがとうございました。
 

京大考古研ってどうなったんかいな

◆3月8日に京大に行き、実に久しぶりに吉田キャンパスに足を踏み入れた。吉田グランド脇にサークルボックス(部室)がc9dd540b.JPGならび、そのなかに美研と共用の考古研ボックスがある。これは昔と変わらんが、サークルそのものはなくなったんだっけか。

照屋さんにもらった泡盛

◆純と愛のロゴ入り特別仕様のラベルだそうである。とんと見ていないが、なんだか持田家がハッピーになったと思ったe84ce7f9.JPGら、イトシ君が倒れたという回は見た。

ランドマーク

◆あべのハルカスは、ランドマーク。どこからでも、あそこが天王寺だとわかる。鳥坂寺の塔もよく目立つものだったに違6cf3e8f3.JPGない。そして玉手の1・3・7も。
◆写真は近鉄難波駅に設置されている模型です。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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