人を幸せにする人になろう

ニサンザイ同時調査と宮内庁の限定公開

◆中百舌鳥駅につき、土地勘もあるから歩いていけば行き着くだろうと、地図は見ていたがもたずに歩き始める。なかな6c43e440.JPGか古い良い道があるではないかと選ぶと、西高野街道だった。ちょっと想定とは方角が違っていたが、わかっていなかった。歩いていくと、大阪府立大学に出る。だいぶ東寄りだった。とにかく四角いキャンパスの一辺を反対側まで行かないといけない。時間は1230ぎりぎりに間に合いそう。進むと、ニサンザイの例の墓地が見えてきて、ほぼちょうどの時間にだどりつく。
◆まず学会側で出席確認、考古学研究会の担当からの説明。宮内庁からA3のいつものごく簡単な資料、そして堺市の土日用のカラー4頁の資料をいただく。で、まず遺物を見る。埴輪はヨコハケがビシバシ美しい。須恵器・甕あり。造り出しの小壺や鏡形土製品などがならぶ。すべて堺市さんのリーフレットに写真出てます。
◆それから下段上面テラスを一周し、19カ所の調査区を、後円部側から時計回りにめぐる。そのあと、堺市さんの2カ所の調査区の説明を受ける。
◆終了後、堺市博物館へ歩いて移動して検討会(1630~)。いまやっている列島展+地域展を1730の終了後に見せていただき、百舌鳥駅前で反省会(飲み会)。0歳児も参加する。
◆さて、あすあさって、1日5000人先着順で公開するとのことだが、たいへんだろうな~。
【追記】写真は堺市調査区見学風景。あす、ここをみなさん歩くことになる。
 

3連休も終わってしまい11月も末日

◆23日に福山に行ったわけだが、24日の土曜日は1日、和泉市史の原稿。
◆が、結局なにをやっていたかというと、大2f19212c.jpg阪府の1961年の1/3000の地図の等高線をなぞって終わっていく。条里はやったわけだが、そこに地形をちゃんと組み込まなあかん、で3D化もしたいと思う。そこに灌漑水路を組み込み、地域圏の復元を行い、その枠組みがいつまでさかのぼるかをみたい。が、状況はそんなに甘くはない。いいことなんだが、もっと早くやれよ、という話になる。いまとなっては、そんなことやってるよりも、とにかく原稿を書かないといけない。
◆25日の日曜日、この日、結局、出勤せず、ユニクロに行って買い物をして、家の片付けをすることになるが、カミさんと大げんかとなり、昼間から酒をくらって、フテ寝とあいなった。ああ、何をやってんだろうか。
◆月曜日、模擬展示のため、この日も大学史資料室に行き、資料のスキャンをやる。受講生も次々にやってきては、あれとこれをスキャンしてくれと、発注される。火曜日の2コマをこなし、水曜日は、学部の演習後、卒論演習に突入するが、終わらず、和泉市史の方の来訪(3週間でとにかく書くことに・・・)、次いで理学部院生との相談。木曜日は博物館実習の5限にむけて、解説パネル・キャプション等を整え、授業に突入、このところ902c63fa31.jpg分で終わるはずもなく、模擬展示の打ち合わせが続く。
◆で金曜日、朝、卒論生1名の相談、それから大学史資料館に資料借り出し等の申請書をもって行き、12月6日の展示設営の打ち合わせをやっていると、おっと11時30分に。このままだと遅れるので切り上げ、杉本町から中百舌鳥へむかう。12:30、土師ニサンザイの現場事務所集合で、今日は宮内庁の学会側への限定公開。
◆あわただしく日が過ぎてゆき、片付いていないことが多いが、しかし、12月6日にむけて全力投入するほかはない。

広島県立歴史博物館(1989年~)

◆広島県の歴史にかかわる通史展示+草戸千軒の展示。草戸はIMG_1588.JPG1994年までで完掘したんだ。三角縁神獣鏡は複製だが、石鎚山の斜縁は実物だった。が、ほ0173038d.JPGかに客はいない・・・。福山駅前、徒歩5分。ちょっと寂しい。夕方になっていた時間帯ではあり、昼間はそれでも客はいたであろうが、となりの美術館には人は入っていくが、歴史博物館にはほとんど人がいない。
◆展示を見ていると、根来のカラー写真があった。広域農道敷設前の。
 

しんいち歴史民俗資料館

尾市1号墳のある新市。ネットによると、1985年、旧芦品郡新市町において「新市町立歴史民俗資料館」として開館、89cd5fe5.JPG2003年、合併により「福山市しんいち歴史民俗博物館」に。2008年、「福山市あしな文化財センター」が付設される。
 

 

備後一宮の吉備津神社(いっきゅうさん)

◆新市にむかう。資料館をめざしたが、途中、看板をみて備後一宮に。なにやら人だかり。市立(いちだて)大祭らしく、老若男女びっくりするくらい人が集まっている。ここは吉備である・・・。bee52873.JPG
 

府中市歴史民俗資料館

◆祝日休館でした・・・。とほほ。ネットから


考古資料(出土遺物)の展示。第1展示室は縄文~古墳時代、第2展示室は備後国府 跡を中心に奈良・平安時代、と151c5fd4.JPGそれぞれの時代を生きた人々が遺したものをとおして、この地域の原始・古代史を解説しています。
 この建物は、1903年に竣工した旧芦品郡役所庁舎です。旧芦品郡役所庁舎 この建物は、均整のとれた全体のプローポーシヨン、しっくい壁に隅石風の飾り、胴蛇腹・窓枠・ひさし・玄関(車寄せ)軒等の飾り、内部 ではド ア、手すりのデザイン等、明治前期に建てられた洋風建物をよく観察し勉強して作られた擬洋風建物です。
 当時、芦品郡随一の繁華な通りに建てられました。しかし、郡制は短命に終わり、郡役所も1926年に廃止され、以後県の出先事務所等に利用されてきました。
 1976年、道路拡幅に伴い取り壊しの準備が進められていました。そのころ、旧制府中中学(現府中高校)の立派な洋風建物が取り壊されたばか りで、街のランドマークのような建物が相次いで消滅してしまう事態に、建物を保存することができないか、多くの市民が参加し保存運動が展開されました。そ の結果、移築保存がかない、歴史民俗資料館として使われることになりました。
 


 

沼隈半島先端の阿伏兎(あぶと)観音

◆府中にむかう。山越え、途中、阿伏兎観音による。阿藻珍味(あもちんみ、略して「あもちん」)の工場がある。0f806e66.JPG
 

沼名前(ぬなくま)神社

◆延喜式にある沼名前(ぬなさき)神社にあててはいる。が、場所は中世にはわからなくなっていたらしい。現在地は、地790e5094.JPG元では「祇園さん」とよばれる祇園社であったもので、創建は不明。ヌナクマ神社とよぶのは明治になってからという。
◆能舞台が重要文化財となっている。

鞆ノ浦

◆鞆ノ浦について、故あって、多くはふれないでおこう。歴史民俗資料館(1988年~)、いろは丸の資料館(1989年~)ものぞく。その隣の店でコーヒーを呑むが、ふと横を見ると、宮川禎一氏の著書があり、おっとびっくり。あ8aee3946.JPGと書きも面白かった。f7a6ebb1.JPG
 

博物館実習Ⅰのあと福山へ

◆5限の博物館実習があるので、FWは午前にして昼過ぎまで、2時過ぎには大学?。そこから、福山行きの算段をする。746522e4.JPGホテルを取り、レンタカーの予約をしたり。実習は、先週に続いて、17:50に終わることはなく、19時くらいまで、学生らの議論が続く。そのあと、日本史の打ち合わせがあり、出発が予定よりややずれ込んだが、福山へむかう。到着は22時。
◆3連休で、新幹線も満席。自由席だが、新大阪では座れない。運良く新神戸から座れたが。レンタカーも軽1台だけが残っていると言われ、確保。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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