人を幸せにする人になろう

博物館実習Ⅰのあと福山へ

◆5限の博物館実習があるので、FWは午前にして昼過ぎまで、2時過ぎには大学?。そこから、福山行きの算段をする。746522e4.JPGホテルを取り、レンタカーの予約をしたり。実習は、先週に続いて、17:50に終わることはなく、19時くらいまで、学生らの議論が続く。そのあと、日本史の打ち合わせがあり、出発が予定よりややずれ込んだが、福山へむかう。到着は22時。
◆3連休で、新幹線も満席。自由席だが、新大阪では座れない。運良く新神戸から座れたが。レンタカーも軽1台だけが残っていると言われ、確保。

空堀商店街

◆商店街がここでも生きている。シャッター街ではなく、人々が行き交い、店にも活気がある。で、この商店街が、おおよそe02be3f5.JPG空堀、すなわち埋め立てられた惣構堀に、屈曲し出入りはあるが相当するわけである。7973cda8.JPG
◆写真は、東横堀まで西に商店街を進んだあと、昼飯を食べに引き返す際に撮影した、西から見た商店街入り口である。このあと、しばらく上り坂になっているのも、この商店街の特徴。上町台地の西のへり、ということだ。
◆このあたりは戦災で焼けなかった地域だと聞く。住まいのミュージアムの展示では、この空堀商店街で育った女性をモデルに、戦前・戦中から戦後にかけての生活の変化をたどる。ナレーションは八千草薫である。
 

惣構堀を行く―空堀通り―

◆そこからは豊臣惣構堀をたどる。発掘調査成果について、松尾さんがまとめた資料のコピーももらう。が、なによりも凹a5191409.JPG部として明瞭にたどることができる。こんなにはっきりしているものとは思っていなかった。020511d0.JPG両側が高い窪んだ地形をたどることができる。
◆そのなかでも、玉造の馬出し?、真田丸というのか、真田山陸軍墓地(ここもちらっと)など、南北に明瞭に高台がのびる。玉造稲荷もそうだし、大阪女学院もしかり。とくの大阪女学院のところは細尾根状になっており、そこに学園はのっている。すぐ南に惣構堀があり、また道路敷設で尾根を切り通している。その部分の段差は5mくらいはある。
 

伏見坂町

◆伏見坂町。確かなことは忘れたが、この町のことを研究している者があり、なんか一件もあった。伏見城の廃城にともde6cce31.JPGなって、やってきた人々がかたまってここにいたという。南から北を見る。

玉造稲荷と玉造資料館(1986年~)

◆玉造稲荷に行く。玉造資料館なるものがある。玉作資料があるというが、要予約ということで、開けてもらえませんか、と271c9deb.JPG頼むことはしなかった。改めて出撃 しよう。写真奥の家形埴輪風の建物がそ87e7d8c1.JPGれ。ちなみにその手前は豊臣秀頼像(けっこう最近のよう)。
◆玉造が玉作という話は聞くものの、実際、古墳時代の玉作がここいらあたりで行われている証拠はあるんかいな、と思っていたが、なにやら資料が展 示されているらしい。調べたら、ここから出たものではなく、全国の玉作関係資料の寄贈を受けたものらしい。
◆玉造稲荷社そのものが高台上にある。東側には高石垣があり舞台があった様子が、近世の地誌にもある。阪神大震災で鳥居が壊れたらし い。

11月22日、FW、玉造から大阪城惣構堀

◆大学院M1とのフィールドワーク第3弾(後期第1弾)。10時、玉造駅集合、10:15分出発。徳満くんが、地図資料等を整えてくれるのも、ありがたいことである。
◆まず猫間川の跡を北上する。なん461dabb6.JPGとなく道の東側の店が低く、路面が傾いている。森ノ宮近くまで来て西におれ、伏見坂町のある筋である玉造筋に出る。が、もとの旧道は、一本西らしい。
◆主題のひとつは、玉造一帯は地割が不整形である理由をさぐるというもの。大和街道につながる起点として早くから町場化したのではないかと思っているが、これに加えて、起伏がある地形の複雑さ故に、整然とした街路を施工しにくいという側面もあったのかと感じる。だいぶならされてはいようが、しかし写真のように、往事の起伏はけっこう残っており、等高線図を調べ、 街区とあわせる必要がある。

博物館実習Ⅰ模擬展示Aで撮影

◆文系の「戦前・大阪商科大学時代の学生生活」は、5班に分かれて主題ごとに準備しており、着実に進んでいるが、なc9fd5d7e.jpgかなかタイムスケジュール的にはきびしい。こっちもスキャンやチラシ作りの部分はやらな間に合わんと思い、11月19日、大学史資料室にスキャナーを持ち込んで、作業を行う。
◆高尾さんのアルバムデータはすべてスキャンできたので、担当班にデータをわたし、こっちでは制服のボタンなどの集合写真を撮り、チラシを作ってもらう。
◆このチラシにあるように、前半2週間をこっち、後半の12月20日から1月17日を理系の地震と洪水にあてようと決めたものの、進行状況によって入れ替えもありうる。

維新代表が石原だって・・・

◆結局そうなったか。さて維新はどれくらい議席を穫るのでしょうか。今日の新聞の比例の投票先アンケートではさほどではないが、なにせ決めていない層が60%あるから、どっと維新に行けば、おそろしいことにもなる。尖閣を買おうとした石原、そして橋下君、浮動票層にとってみれば、くっついてパワフルになり、なんか面白いことやってくれそう、という相乗効果が発揮されるかもしれませんね。で、意外に自民はのびないようにも思います。
◆予想してみましょうか。民主・自民・維新が3:3:3,残り1、くらいでしょうか。みなさんはどう思いますか。うちの選挙区、大阪14区、こんなヤツしかいないんか、と、トホホです・・・。

今週のデキゴト

◆月曜日、大阪城石垣の3次元計測のリーフレットを木建さんに作ってもらう。卒論生がもうバイトもやっておれないので、玉3の図化人員を確保するため、新たに一人来てもらうことにする。週1ペースの維持は不可欠
◆火曜日、朝日カルチャーセンター芦屋。3回分の2回を受け持つ。3回目は安村さん。年明けの3回分についても、先月、相談を受け、だいたいメンバーが固まった由。大学を出て、約1時間でJR芦屋駅に到着できる。10月の1回目は、惨憺たる準備状況で、ひどいものだったが、ほんとは古墳時代前期の話をしないといけなかったのだが、2世紀後半の話が中心となる。これ最新のネタです。なので、11月はリベンジ、知ってもらうのは4点に絞り、パワポもできるだけ絞り込んで、ほぼ時間内に収まった。めでたしめでたし。
◆水曜日、近つ飛鳥博物館が、春に古市百舌鳥以前ということで、玉手山関係の資料をならべる予定で、そのための資料調査に来る。月曜日中に、ひととおり資料を会議室に運び込んでおいたが、ぜんぶは見てもしゃーない、と思い、当日朝、片付けるものは片付け、見るべきを見やすいようにして待つ。10:30から12:30くらいで、おおよそ終了。近つに出演する品々の候補が定まった。こっちでも、ちょっと埴輪の化粧とか、出品物の撮影とか、やれることを借用までの間にやっておこう。
◆木曜日、博物館実習Ⅰ。模擬展示企画が大詰めで、展示ケース2~3、パネルボード5枚程度、というササヤカな展示ではあるが、各コーナー担当の班の企画をひととおり聞き、意見をいう。理系の地震の方は、お任せに近い。2企画とも学生の責任者を決めており、その人の差配に任せ、オレは脇で聞いている。12月6日?の開始まで、これから、こっちも忙しくなろう。

甘粕健先生

◆時間が経ってしまいましたが、8月初めに甘粕先生が亡くなられた。甘粕先生との接点は多くはない。1988年GW、とい74310065.JPGうことはM1の時、さそわれて会津大塚山古墳の測量に参加し、そこでお会いした。むろん、前方後円墳をやっている者として、甘粕先生の学恩は大きい。写真は、その時の会津大塚山古墳。桜がきれいであった。甘粕先生との写真は残念ながらない・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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