人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
大学評価機関として文部科学大臣から認証されているもの三つ
◆まあ、ジャビーは知ったこっちゃない。大学認証評価である。うちは公立大学なのだが、なんか公立大学協会の会
合の資料が、昨日の教授会で出てきた。
1991年 大学設置基準改正 大学の自己点検・評価を努力義務化
1999年 大学設置基準改正 自己点検・評価の実施と結果の公表を義務化 結果の学外者による検証を努力義務化
2002年 学校教育法改正 自己点検・評価の実施と結果の公表に加え、認証評価機関による外部評価が義務づけられた(施行は2004年度から)
(独)大学評価・学位授与機構→事業仕分けで2014年に新法人へ
1998年の大学審議会「21世紀の大学像と今後の改革方策について」の答申のなかで、大学評価のための第三者機関を設置する必要があるとされる。既にあった学位授与機構にくっつけ、2000年、学位授与機構から大学評価・学位授与機構へと改組、2004年に独法に(それまでは国立機関なんだろう、官制組織)。
で、大学の認証評価、それに国立大学法人(大学共同利用機関法人)の教育研究評価の評価を担う。
(公益財団法人)大学基準協会
1947年、アメリカの団体をモデルに国・公・私立大学46校を発起校として設立された大学団体。1951年からは加盟を希望する大学に対し正会員としての適格性を判定するための「適格判定制度」を実施。1959年、財団法人化。1996年から、各大学が実施する自己点検・評価を基礎とする大学評価を実施(のべ517の大 学が評価を受ける)。2004年度以降の認証評価の義務化にともない、2004年8月、機関別認証評価機関としての認証を受 ける(機構よりも先らしい)。
(公益財団法人)日本高等教育評価機構
私立大学協会を母体に、2004年11月、私立大学等の第三者評価を実施する財団法人として発足し、2005年7月、大学の認証評価機関として認証される。
◆で、公立は公立の特性に応じた認証評価機関をもたないことが問題にされているよう。で、公立で作る?ということが議論されているらしい。で、うちは大学評価・学位授与機構とのこと(まあそうやろな、国立大学のコピーやから)。
1991年 大学設置基準改正 大学の自己点検・評価を努力義務化
1999年 大学設置基準改正 自己点検・評価の実施と結果の公表を義務化 結果の学外者による検証を努力義務化
2002年 学校教育法改正 自己点検・評価の実施と結果の公表に加え、認証評価機関による外部評価が義務づけられた(施行は2004年度から)
(独)大学評価・学位授与機構→事業仕分けで2014年に新法人へ
1998年の大学審議会「21世紀の大学像と今後の改革方策について」の答申のなかで、大学評価のための第三者機関を設置する必要があるとされる。既にあった学位授与機構にくっつけ、2000年、学位授与機構から大学評価・学位授与機構へと改組、2004年に独法に(それまでは国立機関なんだろう、官制組織)。
で、大学の認証評価、それに国立大学法人(大学共同利用機関法人)の教育研究評価の評価を担う。
(公益財団法人)大学基準協会
1947年、アメリカの団体をモデルに国・公・私立大学46校を発起校として設立された大学団体。1951年からは加盟を希望する大学に対し正会員としての適格性を判定するための「適格判定制度」を実施。1959年、財団法人化。1996年から、各大学が実施する自己点検・評価を基礎とする大学評価を実施(のべ517の大 学が評価を受ける)。2004年度以降の認証評価の義務化にともない、2004年8月、機関別認証評価機関としての認証を受 ける(機構よりも先らしい)。
(公益財団法人)日本高等教育評価機構
私立大学協会を母体に、2004年11月、私立大学等の第三者評価を実施する財団法人として発足し、2005年7月、大学の認証評価機関として認証される。
◆で、公立は公立の特性に応じた認証評価機関をもたないことが問題にされているよう。で、公立で作る?ということが議論されているらしい。で、うちは大学評価・学位授与機構とのこと(まあそうやろな、国立大学のコピーやから)。
ついでにジャビー
◆ジャビー、工学系のことで、文系には関係ないが。
「日本技術者教育認定制度とは 大学など高等教育機関で実施されている技術者教育プログラムが、社会の要求水準を満たしているかどうかを外部機関が公平に評価し、要求水準を満たしている教育プログラムを認定する専門認定制度です。日本技術者教育認定機構(1999年設立)は、技術系学協会と密接に連携しながら技術者教育プログラムの審査・認定を行う非政府団体です。」
◆会費1800万円、審査料1億2474万円、収入計1億7000万円。支出は審査・認定に1億350万円、だそうです。よくわかりませんが、設立趣旨そのものは悪いものではないのかもしれません。が、その認定を受けるために、大学工学部は、書類作成に追われ、授業そのものも証拠を残すように組み立て、疲弊しているようです。旧帝大なんかは、そんな認証なんか「していらん」ということで、どことも出していない。トップクラスはさておき、一定の技術者を裾野広く要請するのが、この国の将来に必要であることは確かであろう。が、そのための手段として有効なのか、また課題はあるにしろ、改良していけば、よいものになるのか。参加各学会が総力をあげて良質の教科書を作成するとか、認定試験を設けるとか、といった方が有効なのではないか。ジャビーのために、教育そのものが変質しているらしい。
「日本技術者教育認定制度とは 大学など高等教育機関で実施されている技術者教育プログラムが、社会の要求水準を満たしているかどうかを外部機関が公平に評価し、要求水準を満たしている教育プログラムを認定する専門認定制度です。日本技術者教育認定機構(1999年設立)は、技術系学協会と密接に連携しながら技術者教育プログラムの審査・認定を行う非政府団体です。」
◆会費1800万円、審査料1億2474万円、収入計1億7000万円。支出は審査・認定に1億350万円、だそうです。よくわかりませんが、設立趣旨そのものは悪いものではないのかもしれません。が、その認定を受けるために、大学工学部は、書類作成に追われ、授業そのものも証拠を残すように組み立て、疲弊しているようです。旧帝大なんかは、そんな認証なんか「していらん」ということで、どことも出していない。トップクラスはさておき、一定の技術者を裾野広く要請するのが、この国の将来に必要であることは確かであろう。が、そのための手段として有効なのか、また課題はあるにしろ、改良していけば、よいものになるのか。参加各学会が総力をあげて良質の教科書を作成するとか、認定試験を設けるとか、といった方が有効なのではないか。ジャビーのために、教育そのものが変質しているらしい。
大学設置基準の大綱化1991年
◆前にまとめたこともある。昨日の教室会議で、1回生で履修できる専門科目の議論が、学部○○委員会で進んでいる話が紹介された。で、前から共通教育科目の1回生時の履修制限があることに疑問もあり、そうか、これは大綱化によってそうなったのかと納得。すなわち教養課程や専門課程が撤廃され、大学の裁量に任された時、市大では、前2年、後2年を取り払い、2年次にコース所属にしたんだろう。共通教育科目は4年で履修すればよく、専門も数は少ないが、1回生から履修できる科目を提供し、2、3、4とステップを踏む、現在のカリキュラムとなった。
◆一方、こと細かな「教育課程などの基準の詳細の部分が削除され」たかわりに、「教育研究の質の保証を大学自身に求めるという方針の下、大学による自己点検・評価が努力義務と定められた」、という。
◆こないだから、ジャビーやら認証評価のことが気になり、一度、まとめて調べてみようとしているが、余裕はない。昨日の教授会でも認証評価の資料が出ていた。またいずれ・・・。うちの文学部の場合、3学科で、それぞれ1回生に対し、前期・後期に概論と基礎演習の各1科目を提供し、この2単位*2科目*2学期=8単位は必修としている。そこに現今の初年時教育の話が入ってきて(これも長い経緯がある)、この大綱化後のカリキュラムの1回生科目を改める改めないが議論されているようだ。
◆ネットで調べると、大綱化は弾力運用を可能にしただけで、いわゆる教養科目を重視しなくてもよいとしたわけではないのだが、教養の問題はどこでもかかえていた問題で、多くのところは、教養課程を撤廃し、教養教員を廃止し、そして全体とすれば教養科目を縮減していく方向を取った、という。市大も基本的にそうであるが、おろそかにしたということはないだろう。現在の卒業要件単位の共通教育科目の単位数と、その前の課程の場合の単位数などを比較しなければわからない。また、一般教養的な教育がおろそかになったか、質が低下したのか、ということも簡単には言えまい。
◆大きな流れからすると、極端に言えば、旧制の高等学校(あるいは予科)と大学をくっつけた戦後の大学制度が、にようやく制度的に一体化したということなのだろう。
◆話を元に戻して、要するに、「くさび形」と呼ばれる共通科目と専門科目の入れ子を目指す、としたと。とはいえ、現実的には、うちの場合、2年2年でなく1年3年になり、基本は専門教育を3年かけてやるとなった場合、当初の理想はあれ、共通科目は1年でおおよそクリアしてもらった方がすっきりする。入ってきた1年生の時間割りは、履修制限があるのでけっこう埋まらないらしい。余暇を自分の勉強にあてるなど考えられない。1年生の時に、かなり共通科目を履修しておき、専門科目が本格化する2回生では、講読やらの予習をしっかりするような組み立てにすれば、と思う。
◆一方、こと細かな「教育課程などの基準の詳細の部分が削除され」たかわりに、「教育研究の質の保証を大学自身に求めるという方針の下、大学による自己点検・評価が努力義務と定められた」、という。
◆こないだから、ジャビーやら認証評価のことが気になり、一度、まとめて調べてみようとしているが、余裕はない。昨日の教授会でも認証評価の資料が出ていた。またいずれ・・・。うちの文学部の場合、3学科で、それぞれ1回生に対し、前期・後期に概論と基礎演習の各1科目を提供し、この2単位*2科目*2学期=8単位は必修としている。そこに現今の初年時教育の話が入ってきて(これも長い経緯がある)、この大綱化後のカリキュラムの1回生科目を改める改めないが議論されているようだ。
◆ネットで調べると、大綱化は弾力運用を可能にしただけで、いわゆる教養科目を重視しなくてもよいとしたわけではないのだが、教養の問題はどこでもかかえていた問題で、多くのところは、教養課程を撤廃し、教養教員を廃止し、そして全体とすれば教養科目を縮減していく方向を取った、という。市大も基本的にそうであるが、おろそかにしたということはないだろう。現在の卒業要件単位の共通教育科目の単位数と、その前の課程の場合の単位数などを比較しなければわからない。また、一般教養的な教育がおろそかになったか、質が低下したのか、ということも簡単には言えまい。
◆大きな流れからすると、極端に言えば、旧制の高等学校(あるいは予科)と大学をくっつけた戦後の大学制度が、にようやく制度的に一体化したということなのだろう。
◆話を元に戻して、要するに、「くさび形」と呼ばれる共通科目と専門科目の入れ子を目指す、としたと。とはいえ、現実的には、うちの場合、2年2年でなく1年3年になり、基本は専門教育を3年かけてやるとなった場合、当初の理想はあれ、共通科目は1年でおおよそクリアしてもらった方がすっきりする。入ってきた1年生の時間割りは、履修制限があるのでけっこう埋まらないらしい。余暇を自分の勉強にあてるなど考えられない。1年生の時に、かなり共通科目を履修しておき、専門科目が本格化する2回生では、講読やらの予習をしっかりするような組み立てにすれば、と思う。
大学の数
◆もう過ぎたことになりましたが、大学の数が多い、質を確保すべしと、田中マキコさんが、ひと騒動おこしました。文科省
はの大学設置認可は、施設や財政基盤、教員スタッフ、カリキュラムなど、基準に基づき判断を下せばいいのである。ダメなものはダメ、満足しているならOKと。やっていけるかどうかは設置者の問題。
◆が、質という部分は、大学として適正な条件を満足しているか、とくに教員スタッフについて問題ないか、ということと関係ないとは言い切れないかもしれないが、別個に存在するわけだ。規制緩和で大学設置がやりやすくなった、ということだが、あくまで文科省は大学として適切かどうかの判断を示せばいい。経営は、この時代にあって、設置したい側の自己責任だろう。
◆田中マキコが、大学の質ということを言うのなら、器としての大学という機関でなく、それこそ小学校・中学校・高等学校の教育の問題を問うべきなのだ。全体としての底上げ、プラス、前にも書いたが、高等学校卒業認定試験とか、大学受験資格試験といった制度を導入すべきだろう。ジャビーとか、大学評価認証とかではなく。
◆が、質という部分は、大学として適正な条件を満足しているか、とくに教員スタッフについて問題ないか、ということと関係ないとは言い切れないかもしれないが、別個に存在するわけだ。規制緩和で大学設置がやりやすくなった、ということだが、あくまで文科省は大学として適切かどうかの判断を示せばいい。経営は、この時代にあって、設置したい側の自己責任だろう。
◆田中マキコが、大学の質ということを言うのなら、器としての大学という機関でなく、それこそ小学校・中学校・高等学校の教育の問題を問うべきなのだ。全体としての底上げ、プラス、前にも書いたが、高等学校卒業認定試験とか、大学受験資格試験といった制度を導入すべきだろう。ジャビーとか、大学評価認証とかではなく。
ファカルティ ディベロップメント、記事№1500
◆この2年FD委員をやっている。オーバードクターなどが、教員の授業のなかの3回分を担当する、大学の教育実習は2年目となるが、今日、その担当する2人を対象とする、市大大学教育センター飯吉先生による研修があった。
◆まあ、だいたいが我流なわけです。大学教員に教育実習はないので。OD2人のあらかじめ書いてきた、飯吉先生の課したワークシートに沿って、それぞれの計画構想を発言する部分もある。まあ、オレには考えられないくらい、これがしっかりしたものなわけだ。だいたい、オレはその日暮らし、毎週、何をやるか、90分もつか、それでせいいっぱい。骨格は決めてあっても、そんな順調には進まないし。なによりも綿密な準備など、ほど遠い。
◆飯吉先生の、実習生に対する説明部分、昨年も同じような内容を聞いているはずだが、まあタメになる。が、なるほど~と思うものの、なかなか実践は容易でない。示されているポイントからみて、自己点検をして改善すればいいのだが、なかなかそういう意識をもつことが困難。我流のままで・・・、ええやないか、とも。もともと、本記事は、中身をすこし紹介しようとしたものだが、途中でやめとこうという気になった。また気を取り直したら、書いてみます。
◆まあ、だいたいが我流なわけです。大学教員に教育実習はないので。OD2人のあらかじめ書いてきた、飯吉先生の課したワークシートに沿って、それぞれの計画構想を発言する部分もある。まあ、オレには考えられないくらい、これがしっかりしたものなわけだ。だいたい、オレはその日暮らし、毎週、何をやるか、90分もつか、それでせいいっぱい。骨格は決めてあっても、そんな順調には進まないし。なによりも綿密な準備など、ほど遠い。
◆飯吉先生の、実習生に対する説明部分、昨年も同じような内容を聞いているはずだが、まあタメになる。が、なるほど~と思うものの、なかなか実践は容易でない。示されているポイントからみて、自己点検をして改善すればいいのだが、なかなかそういう意識をもつことが困難。我流のままで・・・、ええやないか、とも。もともと、本記事は、中身をすこし紹介しようとしたものだが、途中でやめとこうという気になった。また気を取り直したら、書いてみます。
突然ですがプラザ合意byウィキ
1980年代前半、レーガン政権下のアメリカでは、前政権から引き継いだ高インフレ抑制政策として、厳しい金融引締
を実施していた。金利は2桁に達し、世界中のマネーがアメリカへ集中し、ドル相場は高めに推移して、輸出減少と輸入拡大(貿易不均衡)をもたらした。さらに、高金利により民間投資は抑制され、需給バランスが改善した。結果として、インフレからの脱出には成功した反面、莫大な貿易赤字が計上され、財政赤字も累積していった(『双子の赤字』参照)。
インフレが沈静した後は金融緩和が進行し、景気回復で貿易赤字増大に拍車がかかった。金利低下により『貿易赤字の国』の通貨であるドルの魅力が薄れ、ドル相場は次第に不安定になった。
こうした状況の下、1970年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進国は、協調的なドル安を図ることで合意した。とりわけ、アメリカの対日貿易赤字が顕著であったため、 実質的に円高ドル安に誘導する内容であった。これが『プラザ合意』である。
発表の翌日の1日(24時間)で、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落した。1年後にはドルの価値はほぼ半減し、150円台で取引されるようになった。
日本においては急速な円高によって『円高不況』が起きると懸念されたが日本銀行は公定歩合を引き下げずに5%のまま据え置き、逆に無担保コールレートを6%弱から一挙に8%台へと上昇させるという短期市場金利の「高目放置」に踏み切った。その後、公定歩合の引き下げに動いたのは翌1986年になってからであった。このため、1985年には非常に金融引き締め的な経済環境になっていたと推測され、その結果その後数年間のインフレ率は低迷した。このインフレ率の低迷と公定歩合の引き下げ長期化予想を反映して名目金利が低下したことが、貨幣錯覚を伴って不動産や株式に対する投機をうながし、バブル景気をもたらしたと考えられる。
また円高により、「半額セール」とまでいわれた米国資産の買い漁りや海外旅行のブームが起き、賃金の安い国に工場を移転する企業も増えた。とりわけ東南アジアに直接投資することが急増したため、「奇跡」ともいわれる東南アジアの経済発展をうながすことになった。
インフレが沈静した後は金融緩和が進行し、景気回復で貿易赤字増大に拍車がかかった。金利低下により『貿易赤字の国』の通貨であるドルの魅力が薄れ、ドル相場は次第に不安定になった。
こうした状況の下、1970年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進国は、協調的なドル安を図ることで合意した。とりわけ、アメリカの対日貿易赤字が顕著であったため、 実質的に円高ドル安に誘導する内容であった。これが『プラザ合意』である。
発表の翌日の1日(24時間)で、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落した。1年後にはドルの価値はほぼ半減し、150円台で取引されるようになった。
日本においては急速な円高によって『円高不況』が起きると懸念されたが日本銀行は公定歩合を引き下げずに5%のまま据え置き、逆に無担保コールレートを6%弱から一挙に8%台へと上昇させるという短期市場金利の「高目放置」に踏み切った。その後、公定歩合の引き下げに動いたのは翌1986年になってからであった。このため、1985年には非常に金融引き締め的な経済環境になっていたと推測され、その結果その後数年間のインフレ率は低迷した。このインフレ率の低迷と公定歩合の引き下げ長期化予想を反映して名目金利が低下したことが、貨幣錯覚を伴って不動産や株式に対する投機をうながし、バブル景気をもたらしたと考えられる。
また円高により、「半額セール」とまでいわれた米国資産の買い漁りや海外旅行のブームが起き、賃金の安い国に工場を移転する企業も増えた。とりわけ東南アジアに直接投資することが急増したため、「奇跡」ともいわれる東南アジアの経済発展をうながすことになった。
イプシロンはICBM
◆10月29日、イプシロンロケット、個体燃料ロケット開発の記者会見があった。HⅡAが大型で液体燃料であるのに対し、搭載できる人工衛星の重量は制約されるが、開発費が安く、軌道に乗れば次々に打ち上げ可能となる。
◆が、搭載物を人工衛星に代えて爆弾を積めば立派なICBMとなり、また核弾頭を取り付ければ・・・、というもの。まあ、こういう技術は軍事開発と不可分で、やってる学者は科学研究のために人工衛星を打ち上げてデータを取ることを目的とするとはいえ、金をつける側は軍事開発と割り切っていよう。一方で、原子力開発だって、エネルギーを建前に出しつつ、それを処理し精製して核爆弾をつくる技術をもつためにやっているわけだ。中曽根が話しているとおり。
◆が、搭載物を人工衛星に代えて爆弾を積めば立派なICBMとなり、また核弾頭を取り付ければ・・・、というもの。まあ、こういう技術は軍事開発と不可分で、やってる学者は科学研究のために人工衛星を打ち上げてデータを取ることを目的とするとはいえ、金をつける側は軍事開発と割り切っていよう。一方で、原子力開発だって、エネルギーを建前に出しつつ、それを処理し精製して核爆弾をつくる技術をもつためにやっているわけだ。中曽根が話しているとおり。
第3日、那智、青岸渡寺と神社・滝
◆省略。車で駐車場に乗り付けるのでなく、大門で車を止めて、みなさん歩いた方がよい。新谷君と、両側に広がっている
平場は、坊院であり、宿坊なんだろうと言いながら歩く。塚田先生もまわりが気になるが、みなは階段をひいこら
上がるのみ。
◆どこまで調査されているのか知らないが、あんまり遺跡として把握されているようではない。知っている人は知ってるんだろうが、発掘調査をされたりすることもなく、説明看板もあるわけでない。
◆ベースの地図を入手し、記入しながら観察するだけで、空間復元の重要な基礎調査になる、と新谷君。是非やってほしいもの。石垣には積み直しなんかもあるのだろうが、区画そのものは中世のものがそっくり残っているんではないか。
◆あいにくの雨。
◆どこまで調査されているのか知らないが、あんまり遺跡として把握されているようではない。知っている人は知ってるんだろうが、発掘調査をされたりすることもなく、説明看板もあるわけでない。
◆ベースの地図を入手し、記入しながら観察するだけで、空間復元の重要な基礎調査になる、と新谷君。是非やってほしいもの。石垣には積み直しなんかもあるのだろうが、区画そのものは中世のものがそっくり残っているんではないか。
◆あいにくの雨。
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。