人を幸せにする人になろう

雑用を片付けなければ前に進まん

◆昨日は、博物館実習Ⅰで、模擬展示に向けての始動。朝から倉庫からいろんなものを(購入していたもの)を取り出し、準備をするので午前は終わる。午後は、会場設営をしたりプリンタを設定したりと。博物館実習室が未整備で会議室で臨時的にやっている状態で、必要機材等の予算も切られたので、昨年度買ってある分だけだが、それを出してきてセットし、ようやく5限の時間をむかえる。
◆水曜日は、卒論演習。夏前から、毎週4人とも報告することに切り替えたものの、いまの学生だ、クラブだ、どこぞ行く、など、これまで1回も4人がそろわなかった。それが10月に初めて実現。まあ5時間くらいはかかった。まあ、でも、そんなもんだろう。ほんとうは金曜日の午後エンドレスとかにしたいのだが、これまた各自の時間割り等を調整し、窮屈だがそろうところに設定せざるをえない。
◆なんやかや、いろんなことがある。洗いざらいやっつけたいと、本日金曜日出勤したが、まあ、そうもいかず、優先順位の高い原稿を書いていて、既に昼。

もう秋

◆こないだまで暑かったのに、寒いですね。リバティは寄付で運営、ピースは空襲に特化、なにわの海の時空館は廃止、センチュリーは民営化・・・。各論を横に置くわけにはいかないのではあるが、府市統合本部のUチューブを久しぶりに見たが(9月4日分)、総論的なところは正直共感もあるわけだ。右肩上がりの時代は終わり、官がなんでもやってきたことに対し、これから人口も減って税収もなくなるなかで、行政はどこまでを守備範囲とするか、という議論は必然。なんもかんもやれない。やらなければならないことをきちんと議論する、まんべんなく減らすのでなく、行政がやらんでもいいやろというものもあろう、そうした見直しがなされることは必然なのだ。
◆そう考える首長も多いだろうが、そこはやりたくてもできないことが多い。そのなかで、圧倒的支持を受けている橋下だからこそできる、という面が確かにある。みなそういう課題をかかえ、しかしそう簡単には切れない、あるいはあまり激変でもよくないのも確か。そういうなかで議論をふっかけ、言い返してきたところで納得できるものは存続する。そういう問いかけは悪いものではない、ず~とこのままあり続けられるという保証はないのである。やっぱり、よりいいものをという姿勢がなく漫然と続けているだけのところはあろう。また、これは守らなければという熱意のあるところは残りうる。そうでなければ畳まれる。むろんそれだけで決まるわけではないが。
◆寄付というのも、日本ではしんどいことであるが、悪いものではないかもしれないと思う。支える人が支えるというのも、オカミ任せであった日本にとって、これからは必要な形態ではと思う。オカミが面倒を見てやっているんだという意識が日本には強いが、社会は構成員が成り立たせるものであるということが定着するのは悪くない。
◆橋下君をどう考えるか。文化とか歴史にまったく無関心であるわけではない。必要だと考えている。だが、努力もしてねと。ちょっと近現代教育施設の問題は避けて通れず、譲れないのも確かだが、まだ一方的にダメだとは考えていない。あんなもんダメという構想ではあっても・・・(これは甘いか)。それはそれ、が総論は上記の通り、必要なことを他に先駆けてやっていると考えている。一方的な議論のふっかけ、はある。が、先のUチューブでの公開や、議事が活字にもなって公開されているのは、やっぱりいいことに違いない。事務方は大変だろうが、しかし勉強をして準備をして望む緊張感もある。堺屋太一はまあどうでもいいが、しかし上山氏などがちゃんと役所内での議論に関わりつつ、ちょっと視点を離した立場から注文をつけたり意見をいったりと、あれはあれでお飾りでなくちゃんと機能している。そうした姿は、地方議会など見に行ったことはないが、はるかにまっとうではないかと思う。もっと見えないところでモノゴトが決まっていっているのが、お役所というものであろう。
◆まあ、そんな風に思っています。そうそう書きたいことはこっから。そういう仕組みやジャッジがいまいちばん必要なのは国だろうということ。
 

琉球弧

◆昨日の照屋さんの卒論報告以来、いろいろと考えている。喜界島、奄美、徳之島、沖縄、この世界の11・12世紀、そし9911dc61.jpgてグスクの出現に至るプロセスだ。いやはや面白そうである。amami-ryukyu.jpg1d6391e8.jpg
◆が、昨日から体調が悪かったのだが、熱も出て医者に行ったら、インフルエンザと言われたそうである。
◆喜界島は秋田城みたいなもんで、南方交易の和人の拠点。それが12世紀前半くらいまでで衰退?していくのはなぜなのか。なぜ、徳之島でカムイ焼きが作られるのか。やっぱり石鍋ともども、ヤコウ貝の対価?。カムイ焼きは和人が焼いたとして、そうすると、喜界島から徳之島へ、さらに南下したことになる。奄美はほぼ山がちですね。ほとんど平野がない。
◆農業は?、鉄は?中国の影響は?。やはり狩猟採集社会からすると、グスク時代はたぶん格段に人口は増えているんだろう。それは交易のみではやはり説明できないのでは、と思う。ベースとして農耕もやはりあるのでは。が、かなり急速に英祖王を生み出す背景は何か、ということに絞り込まれるか。スピードが急すぎるように・・・。そこには、外来の影響や、交易による富とか、そういうファクターが入るような気がする。
◆琉球の中国陶磁を見ても、博多などとは違うものに転換するのだという。直接中国に結びついているといえるのだろうが、しかし自家消費のみならず、中継貿易をしてこその富なんでしょうね。そうすると???、わからんことだらけだが、照屋さん、そこを解いてくれ。
【追記】尖閣は日本固有の領土、って気になりませんか。なにが固有?、沖縄だって奪ったんでしょ。固有と発言されると、何を言ってるのかと思う。できあがっていったものであって、初めからなんてないわけだ。
 

府市統合本部9月4日

◆古くなりますが、最新の情報。10月はまだやってないんでしょうか。月2ペースでやるということになっているようです5d148f3d.jpgが。博物館、発掘調査機関、そして大学です。5c3035c2.jpgc461ef18.jpg

いや~すごい

◆箸墓です。カシコーケンさん、ごめんなさいね、使いますね。a48eb174.jpg

で8日の祝日

◆出勤。バイト2人、玉3の仕事など。オレは、ネゴロの要望書を作成し(公印を押した本紙が事務局から届いていたの926ef09d.JPGで)、関連資料を打ち出し、都合、12箇所に発送。ヒストリアの原稿も22時前には完成し、c82539dd.JPG信利に入稿して帰ってきた。一件落着なり。c11703a5.JPG
◆民博の写真の続き。
 

上本町で呑む

◆それから帰り。なんで、モノレールの駅に行くのに、あんな迂回させるのかね。アホみたい。エキスポランドがあったか1d5316e3.JPGら?で、アマノジャクなので、千里中央には向かわず、大日に行き、谷町線で谷町9丁目まで、そこから近鉄百貨店に行き、呑む。
◆そこからが、まずかった。またケンカをしました。なんでケンカをしたのでしょうか。むこうは、人間も地球上の生き物で、4~5回の絶滅の危機のようなものが起こると、なくなるんだ、と言う。オレは、いや隕石が墜落したらしゃーないけど、オサルではないから、けっこう生き延びる手段を見いだすんじゃないか、と主張。呑み屋の終盤からずううっとイガミあい、互いに主張をまげず、近鉄電車は別車両となる。なにをやっているんでしょうか。

民博はたのし

◆いちいちは書かないが、楽しく、また勉強になる。面白いし。それとミュージアムショップには博物館関係のテキストがいっぱいあ0fdf5cab.JPGる。講座本みたいなものでなく、展示に関するいろんな最新の書籍がならんでいて、これも70318349.JPG勉強になる。だいたい、昼頃について、特展を見てから昼飯193aacc8.JPGを食い(フォーのセット)、それからだから、やっぱり、もう1日、ゆっくり来てもいい。
◆民博へ行ったのは、谷直樹先生が、堺市博物館で模型を作るときに、民博のやつを参考にした、ウメサオさん自慢の模型といった話を読んでいて、それを見たいというのもあった。
◆いっぱい写真を撮ったが、いくつかを。
 

2012年10月7日 、民博

◆午後、レッカキョウで住まいのミュージアムに行く企画(閉じる話はどうなっている?)に誘われており、仕事柄はそっadbb8aa0.JPGちへ行くべきなのだが、一方で、カミサンから、民博の織物展へ行きたいとの要望にも応えなきゃいけない。で、民博へ。
◆民博に行ったのは・・・、小学校の時と、大学に入って1回、それから赤道アフリカの仮面展というのに1回、それくらいで、4回目かも。で、いつも常設展はちゃんと回っていない。いい機会である。しかし、結局、閉館までで回りきれず、1/3くらいは駆け足。まっとうに見ていたら1日仕事だ。
◆実は千里中央から歩く。モノレール二つ分やったら歩けるやろと。千里中央公園を抜け、阪急千里線の通る谷部へ下ると、あとは万博会場の台地に上がればよい。1970年から40年、樹木もけっこう大きくなり、まあ、ええ公園ですな。
◆民博、織物、興味はないことはないが、展示物の性格からして、動かないハタを見ていてもわからんが、動画を見れf8718345.JPGば理解しやすい。けっこう人はいました。途中、学芸員の?話が始まり大勢がそっちへ行き、会場の人が少なくなり見やすくなった。しばらくして終了し、聴衆だった人々がまた会場に降りてくると、おや、京都市の堀君がいるではないか。むこうはちゃんと挨拶してくれているのに、オレは聚楽第の石垣はどうなると質問し、あとからカミさんに怒られる。が、京都府が・・・、というのもね~。渡邊亭と同じですな。ごめんな。ちょっとネゴロのこともあり、センシティブになっとるのかも。聚楽第の石垣、新聞の写真だけだが、けっこう迫力ありましたね。
 

信太山の夜は更けて―和気も遠くなりにけり

◆今年の和泉市調査は和気。中世の館で有名。前にも書いたが、今回は、ひたすら外を歩くことにした。中日はコース2abdde79.JPGガイダンスがあり、昼までで、大学に行って日本史のガイダンスをやり、作業終了頃に戻る。
◆久保津土井という、槇尾川から取水する幹線水路があり、そこから、条里の大区画に沿って、規則的に東から西へ流す、東西方向の水路が通る。こういうの、知識では知っていても、体験的に見たのは初めてか。久保津土井って、いつできるのでしょうね。6・7世紀ではないかという話をした。これがないと条里を切らないだろう、というくらい。ふつうはもっとあと、と考えるのかもしれませんね。
◆最終日にひとつ言い忘れたこと。ここも、和気が近世には支配が二分され、本村と郷荘に区分される。つまり、本村は軽部郷、郷荘は坂本郷なのだ。で、久保津土井で、坂本郷諸村と和気は結ばれてはいるが、しかし史料で出てくるのは、フジュフセ派の史料など仏教関係なのだが、神社祭祀をめぐるまとまりについての文書は出てこない。ちょうど祭りの一週間前で、だんじりを準備しているところで、いまは郷荘連合に和気も属している。水利からは自然なのだが、実は新しいのではないか。近世に支配が二分されているように、坂本郷の郷荘神社の氏子ではなかったのではないだろうか。郷界はかなり効いているのでは。郷荘はあくまで坂本郷であって、かといって軽部郷は三河川で分断されて、そっちのまとまりも見えない。けっこう独立独歩的な村だったかも、と思った。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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