人を幸せにする人になろう

今日も暑い

◆未明の大雨は14日だったか。近畿では、あちこちに被害が出て、交通機関もかなりストップした。今日は16日、お盆も過ぎたが、またこの暑さである。がしかし、ピークは過ぎ、だんだんとマシになることを期待しよう。計画停電ってどこへ行ったのでしょうね。まったくそんな話は出てこないではないか。大飯原発再開によってマシになったのでしょう、関電としては、それを使うわな、原発がなかったらとても乗り切れなかったと。橋下市長ではないが、データがなく出ても信用できない以上、どうにも判断はできない。一定の節電意識が定着したのもいいことだろう。夏休み、誰もいない大学の廊下が、煌煌と明るいのも気になるので消す。消すと薄暗いし、半分が適当か。
◆こないだ、種まきジャーナルで、うちの経済学部の朴一氏が出演していた。李韓国大統領の竹島上陸問題が話題で、その前に従軍慰安婦問題で一定の解決をはかることになり、具体的には首相の談話+αを事務的に詰める段取りであったが、日本はそのまま放っておき、竹島上陸という強硬措置を執らざるをえない方向に追い込んだのは、日本側の政権や外務省の韓国との関係に対する無策だと。日本の首相の靖国参拝と同様、今後、韓国の大統領には竹島に行くかどうかということが必ず問われる案件にもなってしまったことも不幸であると。一方で、そうした大統領の「愛国的行動」は、一時的には効果はあってもそれだけで、国内的にも必ずしも熱狂的に歓迎されているわけではなく、やりすぎだとする冷静な世論もあるんだと。そこまでとします。
◆このところ、9時前には大学に入り、22時過ぎまでいて、ここ2日は条里のヤマ場なので、さらにファミレスで1時頃まで仕事をして、15時間くらい働いて疲れた。昨日も帰って風呂に入り、ウメッシュを飲んで寝るが、今日、起きたら9時であった。

ああ・・・ああ・・・

◆条里の図を作って日が暮れる。官道があんまり目立たん。f4b04f56.jpge3cd3a1b.jpg
 

松岳山トレース準備

◆あと1日出撃すれば完了のところ、どうにもならず。7月下旬に学生と日程調整もしたが、こっちが余裕なく延期。まあ、秋ですな。ほぼ主要部は終えているので、本日、道上君に原図をf6585ef3.jpg調整してもらい、イラレに再配置、トレースの準備にかかる。赤いところは、藤林さんがそれまでトレースしてくれていた分。GWを中心とする今年度部分が周囲に加わったわけだ。
◆ところどころ、白く抜けているところがあるが、竹が堆く積み上げられていて測量できないところ、および北側の急傾斜地。まあ、トレースをした上で、現地を確認し、つないで格好をつけようと思う。およそ秋には図面としては仕上がるだろうから、またリーフレットを作ろう。
 

次山さん、ありがとうございます

◆ブログを見て、富山の次山さんから纒向石塚の年代について、ハガキをいただく。ありがとうございます。カミさんはそれを見て「いやなんと古めかしい」。と。メールすればエエノニということ。まあ、それはよし。
◆なかなか歴博の原稿には取りかかれそうもない。藤尾さんからは8月末と念を押された。書きたい原稿で、やる気マンマンではあるが、物理的に無理。9月いっぱいくらいなら・・・。
◆午前中から、条里の参考文献のために、『月刊文化財』を探しているのだが、これが出てこない・・・
◆昨日10日金曜日は、東京日帰りのカミさんを新大阪まで迎えに行ったが、お盆の帰省がすごく、車だらけであった。この日、まあウツウツとすることもあり、カラオケでシャウトしたくなる。翌日、今日だが、ま、元気である。

おぼえ

◆いつだったか、今年の1月か、電車の中で書くものを出すため筆箱を取り出し、ペンか何かを取り出したあと、筆箱を脇に置いたまま、忘れて電車を降りてしまった。けっこう高い万年筆もあったんですけど、何よりもUSB。その中身が何だったか、メモった紙を研究室の本棚に貼り付けていたが、もはやどうでもいいので取り外す。
◆このメモもすべてを思い出したわけではないが、列挙しているものを以下に。2月立入り関係フォルダ一式、鏡の所蔵者別リストファイル、伏見城プロジェクトフォルダ一式、松岳山フォルダ一式、大歴フォルダ一式、河内大塚山フォルダ一式・・・、以上である。バックアップのあったものは、挙げていない。いろいろリカバリーをかけて、デスクトップやノートPCから取り出したものもあるが、こういうのも救えても雑多なものと混在し、復旧しようという気が起こらない。
◆まあそんなんで、そう、たぶん条里関係も一式なくしたように・・・、ヘコタレルのだが、どうしようもないものはあきらめるしかない。まあ、それから半年、致命的なことなく、なんとかやっている。、

2007年12月8日、大阪歴史科学協議会での発表

◆その時の資料が出てきた。表紙は弥生だが、中心は7世紀以降にあり、古代のイメージはあったが中世はかいもくわかcc0a5b43.jpgらず、後にも先にも中世の集落を勉強したのは、この時がピーク。いまやすべて忘れちまった。

8月11日、今日もがんばります!

◆土曜日の朝9:30、文学部2階の研究室にいるが、誰もいやしない。ま、こんなんがいいので、丸1日、なんの邪魔もec0e4d91.JPG入らない中で、例の条里の仕事をホンマに片付けるつもり。木曜日は試験の採点やら、金曜日はアーバンスコープの原稿と、予定通り、こなしたので。(右の写真は天満橋のビアガーデンから見た大川)
◆サッカー、なでしこの決勝は見たが、男の方は朝3:30とかというのを知り「もうええわ」と見ませんでした。負けたんやね。で、昨日のラジオで、スポーツ振興法とかができて、このオリンピックは、国が金メダルで世界5位以内とかの目標を定めた初めての大会らしく、そういうのが、金じゃなきゃ意味がないみたいな風潮を強め、選手に厳しい緊張を与えたのではないか、という話を聞く。スポーツ振興の目的が5つほど挙がっているらしいのですが、そのなかのひとつに安全保障というのが入っているという。は~?。
◆スポーツでの国威発揚なんて、どこぞの国に任せておけばいいのである。国は金を出すが、それ以上の口は出すべきではない。そんな、まだ国民国家、19世紀的世界ではないか。あほちゃうか。ちっちゃい。
◆さて、このラジオ、MBSの種まきジャーナル、というものである。これ、こないだ、新聞で、番組がなくなるかもということに対して、反対する声が多く寄せられている、という記事があった。そう、けっこう原子力のことは取り上げている。そういうことに対する、スポンサーなどの圧力があって、番組を取りやめる話が浮上したんやろな~。ということが容易に予想が付く。
◆まあ、そんなんで、若いモンがのぼのびとオリンピックに参加しているのは良い、みたいなことを前に書いたわけだが、どうも実情は違うらしい。

8月7・8日オープンキャンパス

◆終わりました。午前中は2回に分けて、文学部の説明会を、田中記念館のホールでやりますが、2回とb040bdad.JPGも満席でした。初日に誘導係をやっていました。ここ数年の実績では、2006年1400名、2007年1720名、2008年1691名、2009年2200名、2010年2163名・・・、と書きつつ、これは午後のコース別説明参加者との合算でダブルカウントになっているようです。ce5c15cf.JPG
◆だんだん午前で帰って行く人が多くなっているようで、午後のコース別説明会では、日本史で言えば、2010年111名、2011年63人と激減していますね。今年は今日データを出してしまったので控えがありませんが、約80~90名とやや持ち直していました。
◆真夏のいちばん暑いときに、高校生も大変です。
◆準備はM1が中心となり、立派な冊子を作ってくれ、前日にはディスプレイもしてくれて、ほんとうにありがたいことである。だいたい定型化したとみてよい。思えば、そもそも和泉市の合同調査とかぶることもあり、最初の頃、オープンキャンパスに参加していない記憶がある。はじめて担当になって、写真を印刷してパネル仕立てにしてディスプレイを始めたり、いまはやっていないが復元中の埴輪をならべたりしたのは、いつだったか定かではない。冊子も、最初に、『こんなところです』という冊子を、1回生向けのコース分属のガイダンスの時のものを原型に作ったが、それが塚田先生の担当に2c658f08.JPG36811d14.JPGわったときに、大々的に本格的な冊子となり、いまに至っている。
【追記】今年度は2904人だそうです。資料のハケタ数みたいですね。

8月4日ね~

◆電話がかかってきて、8月4日の高校生相手の授業よろしくと。こんなん多いです。すぐ振られるし。なんだっけか、最先67d639f7.jpg端なんとかで、前にもやった高大連携の単純な授業ではなく、なにやら先端の技術みたいなものをやれというので、振られたわけです。測量とかそんな話をしてと考えているが、去年、文学部で提供したヤツは数人だけだったらしいが、今回は14人来るらしい。まあ金曜日に・・・。【追記】無事おわりました(右)、どっかで見たのと同じ表紙ですね。
◆うちの英文での論文ネット配信のアーバンスコープというので、オレの順番がまわってきて、論文を提供し、翻訳に出す前に、いろいろと注文があって、その直しを7月末で約束していたのだった。関学から戻って3日あればとは思っていたが、これは明日だが、1日では無理っぽい。
◆同成社から原稿の催促が来たが、これもな~
◆条里からも足を洗えていないし、なかなか自分の課題には向かえない・・・

記事3本

◆大歴の8月号の報告記事を3本書いたが、1本はできなかった。原稿書くのも時間がかかる。
◆できるだけタイムリーに記事にすることを心がけているが、それによって編集にはしばしば迷惑をかけている。毎月の委員会で、報告記事の原稿予定も示すようにしているのも一策。実際には、刊行直前に無理無理いつも原稿を入れているのが実情。申し訳ないのだが、いまの大歴の規模であるからこそ、そうした小回りがきく利点でもあると思っている。大きな学会では、次の号のラインナップががっちり固められ融通がきかないのと異なり、なんとか次号に入れたいという飛び込みを今のところ許してもらっている。印刷屋と直にやり、短いものは原稿を入れ、その日のうちにPDFで校正が来て、直して校了することも多い。
◆とはいえ、あまりに無節操なのも、独断ととられると困るので控えるべきだろう。残る1本は伏見城の調査の件で、4月号をめざしていたが書けず、6月号も見送り、どうしても8月号には書いておきたい。わたしたちの文化財も入った。これで8月号はなんとか、か。いや、西宮神社の現地見学検討会の事業報告がまだある・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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