人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
久しぶりの飛行機で成田に
◆まずはチケットレス。前はどうだったんだっけ。文部科学省内の旅行社に行き、発券してもらってたような気がする。チェックインは簡単になった。聞くところによると、発券さえもいらないのもあるらしい。
◆手荷物検査。おどおどしてしまう。どうするんだっけ、と説明看板を見る。パソ
◆座席に座り、手荷物は足元に置けると思っていたのだが、いまはダメらしい(これはこの機種だからのよう)。乗務員の人にカバンを寄こせと言われ、下に置くからと反論したがだめだった。
◆機体も変わる。777-300というヤツだったが、なにやら座席周りは進化している。
◆まあ、そんなんで、伊丹から成田へ飛ぶ。成田はユネスコの会議でパリに飛んだ時以来だ。あの時は新宿駅(?)まで泣きながら行ったことを思い出す。待ち合わせの時間
◆伊丹空港に着いて、鉄道の方がよかったかな、となんとなく思っていたが、飛ぶとそうではなくなった。そう、地上を見る楽しみがある。文化庁でも後半はあんまり窓の外を眺めなくなったかもしれないが、いつも外を見ていた。日本国内なら乗ってる時間はせいぜい1時間、なんか仕事をしようとは思わない。首が痛くなるくらい外を見て楽しんでいた。だって地形は面白いから。
◆今回、伊丹は曇っていたが、上空に上が南下すると雲はまばらになり大阪が
◆大和川がよく見える。馬見丘陵は見えたが巣山などは視認できなかった。島の山も見えなかった。オオヤマトだ。あれは箸墓じゃないか。そしてよかったのは初瀬の谷だ。忍坂で二又に分かれ、北路と南路に分かれるが、それが合一し
◆あとはひたすら海だった。途中、陸(浜)が見えたなと思ったら突先になって終わった。何年か前に行った御前岬か?そしてまた海、そして九十九里浜か、と思うと着陸態勢に入る。千葉県の田園が続く。豊かだ。台地上の新興住宅地もあるが、まだまだ台地裾部に昔の村があり、平野部はほとんど水田だ(戦後まもなくまでは、大阪府下の、河内平野も和泉平野も三島もこうだったろう)。弥生時代後期にはじまり、古墳時代後期に本格的な入植が始まり、中世・近世と、広大な平野をひたすら耕地へと変えてきた歴史を感じ、またその豊かな風景がよく残っていることに感心した。
【追記】翌26日の帰りの便はもっとよく見えた。写真をいっぱいとったが、そのうちのいくつかを掲げておこう。上から、三保の松原、伊良子岬、磐余、巣山、そして大和川が河内に出るところ、です。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。