人を幸せにする人になろう

北部九州のヤマト国連合と畿内

◆ヤマト国北部九州説において、一方で、畿内などの東方に大きな勢力があっていいのだそうな。そんなあほな。3世紀前半、庄内式土器・布留0式土器は福岡にたくさん入り、北部九州の土器様式を変容させていく。つまり畿内からをはじめ東方の人々も多く集まっている。2世紀末・3世紀初頭、邪馬台国は公孫氏政権の管轄に入り、画文帯神獣鏡が北部九州経由で畿内にもたらされ、斜縁神獣鏡、特異な方格規矩鏡がこれに次ぎ、三角縁に至る。
◆魏の楽浪・帯方の長官が、倭国と燕の外交関係に無知だったのだろうか。また倭に至った使者もまた、北部九州ヤマト国の説明を鵜呑みにし、博多に出入りしている各地の倭人のことに興味もなかったとしたら、無能ですね。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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