人を幸せにする人になろう

森浩一先生のご逝去を悼む(ちょこっと経塚古墳)

◆森先生が6日に亡くなられたことを、9日に知る。1年前だったか、手紙を書いて、鏡の写真撮影と掲載の承諾をいただいた。その時にいただいた返信のお手紙がどこかにあるはずだ。先生の影響を大きく受けた者ではないが、しかし考古学ファンを育て、文化財保存運動の上での影響力など、もうこんな人は出ないであろうと思われる学界を代表する存在であった。若くして影響力をもち、さまざまな文化人とも幅広く交友があり、その存在感は衰えることがなかった。
◆三角縁神獣鏡とか邪馬台国の点では、完全に見解を異にし、もちろん納得できないが、そんなことはどうでもいい。権威筋に対する気っぷのいい反論(むろん説得的な)という面も、ファンを形成する魅力であったに違いない。各地の遺跡を見て、特定分野に限らず、実に幅広い対象に対して独自の発想などを表明された(わたしは愛読者じゃなかったけど)。引き継ぎ考えていかなければならないことも多かろう。
◆ひとつだけ新ネタを。和泉市史テーマ編にちょこっと書いたが、堺市の経塚古墳のことである。『古墳の発掘』という影響力の大きい本のなかで、小林行雄の調査を痛烈に批判している。が、経塚の埋葬施設は、発見を遅らせたというのでなく、事実として検出ができず、ついには重機で掘り下げ2つの埋葬施設にあたったわけだが、未報告なので詳しくはわからないながら、ずいぶんと深い位置だったに違いない。これ、いま考えれば、墓坑はたぶんなく、墳丘後行型の古墳なんだと思う。埋葬してから墳丘を盛っているんだと思う。だからたぶん渡来系でしょう。信太にかけて5世紀後葉くらいに、渡来系集団を入植させていく、そういう一連の集団のひとつではないだろうか、と思っている。
【追記】同志社の方からメールをいただき、森先生がわたしのことをご存じだったことを知る。顔をあわせてご挨拶したのは一度だけではあるが(いや桜井茶臼山古墳の墳頂で再度お会いした)、名前を覚えてもらっていたことに感激する。あわせて、どういう点で名前を知ってもらったかという点でも感銘を受けた。どうも考古学のとらえ方ということのようである。とはいえ、理屈よりも、桜井茶臼山古墳やメスリ山古墳の測量をやったということかな、と勝手に思う。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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