人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
淡路の旅(7)お登勢
◆洲本城に車で上がりましたが、城攻めはせず、淡路文化資料館に。写真撮影禁止でした。ここは25年振りです。古いビデオを見る。これはこれで面白かったが、展示が古く、更新しようとする意志もあまり感じられませんでした。モノはならんでいるのですが、歴史をたどるという説明に乏しい。洲本市立ではあるが、淡路を代表する博物館なので、淡路全体を扱ってもいいはずです。また遠賀川もあったし、三角縁神獣鏡もあるし、古墳も多い。製塩土器があり、国分寺があり、お城がある、と。市史だってある。そういう概略を示して欲しいもの。
◆で稲田騒動というものを学ぶ。面白いですね。阿波藩の筆頭家老稲田家が淡路の城代にな り、由良城から洲本を再び城下町とする。大名格の稲田家と蜂須賀本家との路線の違いが幕末に顕在化し、いじめられた稲田側が独立の動きを見せ、それを弾圧したのが事件。明治政府も対処に苦慮し、蜂須賀家を取りつぶせば全国に影響するとそれをせず、関係者の切腹となる。稲田家も蝦夷地の開拓を命じられ、北海道に。そこに、お登勢という女性があり、小説になり、テレビドラマになったという。また、この騒動がなければ、淡路島は徳島県だったと。これもまた面白い話です。
◆で稲田騒動というものを学ぶ。面白いですね。阿波藩の筆頭家老稲田家が淡路の城代にな り、由良城から洲本を再び城下町とする。大名格の稲田家と蜂須賀本家との路線の違いが幕末に顕在化し、いじめられた稲田側が独立の動きを見せ、それを弾圧したのが事件。明治政府も対処に苦慮し、蜂須賀家を取りつぶせば全国に影響するとそれをせず、関係者の切腹となる。稲田家も蝦夷地の開拓を命じられ、北海道に。そこに、お登勢という女性があり、小説になり、テレビドラマになったという。また、この騒動がなければ、淡路島は徳島県だったと。これもまた面白い話です。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。