人を幸せにする人になろう

網野とちがうが

◆で、ほんとの応神元年が385年として、なぜ書紀は390年(270年)としたのだろうか。これは五社神古墳の被葬者の死没を表すのかな~、と車の中で考えていた。
◆応神は執政王位を簒奪したと考えているわけです。前任の執政王が倒された。が、神聖王はまだいるわけです。応神が385年に執政王になったとして、5年間は佐紀の神聖王と並立状態にあったのではないか。そして五社神古墳被葬者の没後、オオササギを神聖王に立てた。これによって完全に河内政権が樹立される。そんなことを考えていました。
◆いま中四研の論文を書いていて(4月あたまが締め切り)、五社神型前方後円墳の部分はだいたい書き終わりましたが、これらは中期前葉。これらは佐紀後半期に築造に着手、没したのは河内政権に移行した中期のはじめになったものと考えているが、まあ、ことごとく中期に入る。なので、五社神そのものも、埋葬年は390年で、応神の段階ということはありうることだろう、と。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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