人を幸せにする人になろう

都出先生の訃報

◆7月18日にお亡くなりになったと、20日の立命シンポの時、和田先生から伝えられた。
◆1983年に大学に入り、勉強を始めたら、先生の「農具鉄器化の2つの画期」とか、「古墳出現前夜の集団関係」とか、もうひとつあったように思うが、いろんなところで引用されているのに出くわし、コピーした。都に出るという、比呂志も含め、名前からして強い印象を受ける。ツデ先生なんですね。いま東博のえらい人になったK君は「トデ先生」と言っていたことを思い出す。
◆5月に乙訓の古墳をまわった時、参考文献を集めると、妙見山・寺戸・元稲荷など、ここでも史林の概報で都出先生は出てきた。で、8月。物集女車塚の発掘に行った時、京都考古学研究会というのがあり、都出先生と新納先生がチューターをしているという。物集女車塚は、立命や橘などのキョウコウケンのメンバーで掘っており、都出先生は長法寺南原をやっていたので、新納先生が向日市の方と指揮していた。で、みなで南原の現場の見学に行った時、初めて都出先生をお見かけしたわけだ。
◆そのあと、大阪の国民会館?だかで帝塚山主催の古墳の講演会があった時、墳丘の1:1:3とかいった段築の発達過程の発表をされていたのを、参加して聞いた記憶がある。1985年の楯築にもおそらく来られたのだろう(その時のノートが出てきたので、見返せばわかるかも)。1988年の東京の講演会のことは書いた。いま前方後円墳をやっているのは、この講演を聞いたことが大きく働いている。同年10月の播磨町でのシンポジウムで討論の進行をされていた。
◆話をさせていただいた最初はいつだったんだろう。覚えていない。三角縁の話を関西例会で報告した時なのかもしれない(いつだったか)。とはいえ、やはり1989雪野山ですね。
◆首長系譜の断絶の論文。これは待兼山論叢だったか。いただいた抜き刷りは今でも宝です(ダンボール箱に詰めてしまった)。古墳時代史のダイナミックな展開を、ケーススタディを通してあぶりだす。基本的方向を示していただき、これにもとづき、それを墳丘から検討するという自分の研究をやってきたように思います。先生、わたしも、日本史教室に考古の教員として新規採用され、なんとかここまで継続して来れました。先生にはまったくおよびませんが、少ないとはいえ、わが社からも、卒業生が文化財の世界で頑張ってくれています。先生のお導きに感謝申し上げます。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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