人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
龍谷ミュージアム
◆こないだ、4月末かな、大阪歴史学会の委員会で梅田に行ったとき、地下の丸柱に、ずーっと右のような広告が
あった。大谷探検隊などの資料をならべる博物館ができたのだろう。
◆龍谷大学、奈文研にいたとき、中国社会科学院考古研究所所長が来日し、その案内を2日間ほどおおせつかった。徐光輝さんがついていたので、奈文研側の人間として横におればよかったのだが。その時に、大谷探検隊の資料が見たいというので、龍谷大学集合だったが、オレは間違って深草だっけか?のキャンパスに行き、時間になってもこないもんで、携帯のない時代にどう連絡をつけたかわからんが大宮キャンパスの方だ、というので、あわててタクシーで移動した記憶がある。
◆考古研究所トップの来訪で、龍谷では特別収蔵庫みたいなところにも招き入れ、資料を見せていたようだったが、記憶は定かではない。大阪駅の宣伝はけっこう目立っている。
◆奈良明新社から郵送物が届いたので、なんだろうと思ってあけてみると、2011年度の発掘速報展のチラシとチケットだった。会場を見ると、あんまり近場はない。そのチラシの写真、花崗岩の石で矢穴がある。裏を見る
と、東六甲の石切丁場だった。六甲の石切場、『別冊ヒストリア』にまとめたが、その後、兵庫県が分布調査をして報告書を作り、典型的な部分の史跡指定も検討するということだった、と思う。どうなったかは知らないが、速報展でこの種の遺跡をみなさんに知ってもらえるのは有意義なことである。
◆龍谷大学、奈文研にいたとき、中国社会科学院考古研究所所長が来日し、その案内を2日間ほどおおせつかった。徐光輝さんがついていたので、奈文研側の人間として横におればよかったのだが。その時に、大谷探検隊の資料が見たいというので、龍谷大学集合だったが、オレは間違って深草だっけか?のキャンパスに行き、時間になってもこないもんで、携帯のない時代にどう連絡をつけたかわからんが大宮キャンパスの方だ、というので、あわててタクシーで移動した記憶がある。
◆考古研究所トップの来訪で、龍谷では特別収蔵庫みたいなところにも招き入れ、資料を見せていたようだったが、記憶は定かではない。大阪駅の宣伝はけっこう目立っている。
◆奈良明新社から郵送物が届いたので、なんだろうと思ってあけてみると、2011年度の発掘速報展のチラシとチケットだった。会場を見ると、あんまり近場はない。そのチラシの写真、花崗岩の石で矢穴がある。裏を見る
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。