人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2010年10月27日第3日
◆8:00集合でホテルの前で朝食、牛頭チゲ(?)。9:10出発。今
日はやや薄曇り。春川には
バスケットボールチーム(チーム名はハンセ?)があるのか、あちこちに選手の写真の幟がはためく。まず国立春川博物館。2002年に開館してまだ10年たたない新しい博物館。考古の展示はワンフロア。江陵・草堂洞の新羅時代の馬具、襄陽・浦月里の棺座金具、蝋石の百万塔、鉄製の仏像などを見る。受付でパンフレットと春川の地図をゲット。カフェモカ(2000W)。10:30終
了、中島(チュンド)に向かうが、途中、10:45、チュンサンの家に立ち寄る。
ポラリスのネックレスを買うべきところ、ストラップにする。写真をオマケで付けてくれる(公式なものでなく、撮影時に撮影したペヨンジュンとチェジウの写真)。ちなみに隣は初恋の撮影場所だそうだ。
◆話は変わるが突帯紋の年代が昨日より問題となっていて、こっちの年代ではBP3500~BP2800くらいだそうで、日本の突帯紋とスムーズに連絡するのではないか。韓国での畑稲作から水稲がどのように定着し、倭にもたらされるかが問題だが、印象としては韓で一定の成熟を経て倭へと言っているが、意外に短期間のようにも思う。![20339485.jpg](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1288262418?w=150&h=112)
◆11:10中島の渡しに着く。ダムができて湖ができ、中島遺跡はほんとうに中之島になっている。ダム湖が春川市街隣接地にまでおよんでいる格好だ。このダム、1960年代末にできたそうだ。いま、堤防工事のために、中島の沿岸部各所で発掘が行われており、船で中島に渡り(5300W)、レンタサイクルで発掘現場をめぐる。写真の先頭は、釜山大を出て、歴博つまり総研大で博士号を取った李昌ヒ、2004年に釜山で会っている。
◆途中、和田晴吾氏から電話あり、今城塚の墳丘復元を急遽やらねばならないのだが、今日の夕方、天王寺に出てこれるかと。それはムリ。![f90aab37.jpg](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1288262671?w=150&h=112)
◆発掘現場は合計4箇所めぐる。
最初はD地区、支石墓がいくつか、その下層で青銅器時代の住居が見つかっている。現在の堤防、自転車の遊歩道の内側を発掘しているのだが、遺構面は水面くらいで、低い部分は水に浸かって発掘できないという。2箇所目は住居は1棟だが、鉄器時代かと思われる畑のあとが面的に検出されている。北漢江と昭陽江の合流部で洪水を常に受けてい![64736354.jpg](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1288262935?w=150&h=112)
る様子だ。松木氏いわく「ローマの土器がブリタニアで出てるようなもの」、これはこの地域の鉄器時代の中島式土器?に百済の瓦質土器が入ってくるという状況を喩えたもの。3箇所目は、鉄器時代?の中島式の炉跡。炉とカマドが併存するのだ。4箇所目は竪穴1棟のみ。
◆見学を終え、渡しに到着し、自転車を返し、13:50、昼飯。14:30の船に乗ることとなり、15分ほどあき、冬のソナタのロケ地をめざし、1箇所を見学して時間。14:45バスで出発、今日の![afcf0176.jpg](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1288262760?w=150&h=112)
予定はほぼ終えたのだが、オプションで2箇所まわる。15時、小林謙一氏をバスターミナルで送り、整備された支石墓(15:30頃)、高句麗時代の芳洞里古墳群(片袖式石室)を見学、16:10出発し、今日の宿泊地である龍仁市に向かう。ナミソムには行けず(涙)。
◆18:00水原インターで降り、ホテル着(ジュエリーホテル)。ガラス張りのシャワー室があるバスは、記念物課旅行で課長と浦安に泊![f06909e4.jpg](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1288263672?w=150&h=112)
まって以来だ。ベッドはダブルベッドとシングルのツイン。今日は魚ということで、サシミをはじめいろいろ堪能し(21:00終了)、そのままカラオケになだれ込む。いや~みなさん、よく歌いますわ。写真は広島大学と岡山大学の先生。23:30頃終了か。
◆ホテルに戻るもネット環境がなく、ブログは書けない(記事だけは書いておき、翌28日に儒城でアップ)。
◆話は変わるが突帯紋の年代が昨日より問題となっていて、こっちの年代ではBP3500~BP2800くらいだそうで、日本の突帯紋とスムーズに連絡するのではないか。韓国での畑稲作から水稲がどのように定着し、倭にもたらされるかが問題だが、印象としては韓で一定の成熟を経て倭へと言っているが、意外に短期間のようにも思う。
◆11:10中島の渡しに着く。ダムができて湖ができ、中島遺跡はほんとうに中之島になっている。ダム湖が春川市街隣接地にまでおよんでいる格好だ。このダム、1960年代末にできたそうだ。いま、堤防工事のために、中島の沿岸部各所で発掘が行われており、船で中島に渡り(5300W)、レンタサイクルで発掘現場をめぐる。写真の先頭は、釜山大を出て、歴博つまり総研大で博士号を取った李昌ヒ、2004年に釜山で会っている。
◆途中、和田晴吾氏から電話あり、今城塚の墳丘復元を急遽やらねばならないのだが、今日の夕方、天王寺に出てこれるかと。それはムリ。
◆発掘現場は合計4箇所めぐる。
◆見学を終え、渡しに到着し、自転車を返し、13:50、昼飯。14:30の船に乗ることとなり、15分ほどあき、冬のソナタのロケ地をめざし、1箇所を見学して時間。14:45バスで出発、今日の
◆18:00水原インターで降り、ホテル着(ジュエリーホテル)。ガラス張りのシャワー室があるバスは、記念物課旅行で課長と浦安に泊
◆ホテルに戻るもネット環境がなく、ブログは書けない(記事だけは書いておき、翌28日に儒城でアップ)。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。