人を幸せにする人になろう

2024年11月1日 杏雨書屋

◆入館無料、図録も無料。ただし写真は撮影不可。
◆図録が無料なのはうれしいですね。武田薬品という母体があり、社長らが、関東大震災で多くの資料が失われたあと、本草にかかわるものなどを収集して保存を図るという目的でコレクションされ、それが財団法人に移され、公開施設を設けたもの。
◆小西さんの資料館にも行きたいのだが、ここはいつ開けるのか決まっていないようで(要予約)、まだ行ったことがない。道修町は、大阪の文化力が感じられるところです。

2024年11月1日 造幣局博物館と杏雨書屋

◆午後からは卒論発表会。この日の午前に、道修町の竹田薬品のビルにある杏雨書屋の展示を見に行くことにしていた。新聞で、江戸期の薬品会・物産会の展示と、古地図の企画展の宣伝を見たので。平日でないと開いていない。10時からということなので、それまでどうするかと考え、造幣局博物館に、急遽、行くことにした。
◆天満橋から歩いて造幣局に。北の正門から入る必要があり、川沿いを北上する。正門で入構記名し、博物館へ。3階と2階に展示室がある。3階が貨幣の歴史。2階は造幣局でのコイン作りの展示。動画はダメだが写真はOKというのもありがたい。楽しく勉強しました。確か後輩が学芸員にいたと思う。名刺をもらった記憶がある。
◆そのあと、時間の節約のため、タクシーを拾い、道修町へ。

2024年10月28日(月) 鈴鹿

◆富士山1号墳の調査指導で鈴鹿に出かける。前日の日曜日、気分よく東海道を歩いていたのだが、翌日、翌日、鈴鹿出張のあと、夕刻に大阪歴史学会の委員会があることを思い出す。編集委員会の報告資料と、もうひとつこの日に出さないといけない原案を作成しないといけない。
◆で28日(月曜日)、カミサンは1限があり6時前の電車に乗るので、一緒に出る。職場に6:55に到着。そこから編集委員会の資料を作り、送信。もうひとつの資料作成に着手。鶴橋11:30くらいの特急に乗り、白子へ。近鉄特急内で資料作成を続ける。
◆現地。くびれ部の葺石がよく残っていた。後円部にもう1本トレンチ。出土遺物を見て、来年度どうするかの話をして、1630白子発で戻る。
◆1810に河内国分に着き、もうひとつの資料を委員会のメーリングリストに開始直前に送信し、なんとか委員会を切り抜けた。目の前のことをこなすのに精一杯ですね。

2024年10月26日(土) 考古研同窓会

◆この日、大学のサークル考古研で1学年上だったZさんがイタリアから帰国するので、宴が大阪でセットされていた。が、帰国はしたものの、急遽、病院で手術を受けることになったとの連絡が入り、企画はなくなる。が、同期の者で集まることになり、男2人と女3人が昼に京都駅集合となる。
◆駅ビルのなかのがんこ寿司で3時間くらいしゃべり、そのあとプロントに移動してさらに。この日、歯医者を入れていたので、1730に離脱した。あの勢いだと、晩御飯に突入したのではないかと思うが、どうなったのだろう。
◆この日はめいいっぱい仕事をして、翌日は東海道と考えていたが、土日とも仕事せず。まあ、それもよし。

2024年10月27日 東海道を歩く

◆選挙に行く。国分出張所には、文化財保護課の2人が座っていた。高井田駅に向かう。8:35発、王寺で乗り換え、奈良駅着。9:20発で加茂駅、柘植行きに乗り換え、加茂駅発は9:40。柘植駅に着き、草津線に乗り換える。柘植発11:01で甲西駅まで行き、そこから東海道を通り、草津をめざす。
◆石部宿を出ると野洲川に接近。少し道を間違える。草津線と並走する西側の道を行くべきでした。栗東市に入り、これがけっこうあり、草津市に入ると、ゴールは近い。草津では、南西-北東に旧道がのび、南から来た東海道はこれに合流する。T字路になっているわけだ。直線道は、この交差点を境に、西が東海道で、東が中山道。つまり東海道は西からここまで来て、T字路を直角に折れて鈴鹿峠に向かう。
◆帰りは、伊賀鉄道で帰ることにする。草津発16:24―1705柘植、柘植発17:12―17:28伊賀上野。伊賀鉄道に乗り換え、上野市着。上野市発が17:42―18:14伊賀神戸着。急行で河内国分帰着は1920でした。

ガイドプラスセミナーで配る予定だった資料の1枚

◆持っていくのを忘れたもの。今回、江戸時代の大阪城を伝えるというのが眼目で、そのために少し力を入れた図のみ出しておこう。

大仙古墳の新図と復元

◆『書陵部紀要』74(2023年)に、地上レーザ測量の図が出ているのですね。『書陵部紀要』がPDFで配信されるようになり、とても便利なのだが、一方で冊子体のものから遠ざかり、こうした最新情報に疎くなっています。もう引退ですね。
◆尺度は南朝尺25㎝とみている。で、墳丘長は342.2歩。水没している下段の裾の推定はどう考えているのだろうか、じっくり記述箇所を見ないといけない。N先生の研究にもとづく設計の理屈によるのだろうが、裾がどこまで伸びるのかはわからない。そこを342.2歩とするのは、どうしたもんだろう。わたしの推定は350歩です。

PC

◆今年の3月だったか、古いレッツノートの液晶がやられ、ヨドバシに走り、新しいノートPCを購入。台湾のMSIのもの。とくに問題なかったが、1か月前ほどから、いろいろ不具合が生じた。10月15日1限の授業は問題なかったが、そのあと調子悪く、電源がすぐ落ちてしまい、どうにもならない。仕事にならないので、生協に行って、レッツノートを発注。
◆MSIは、その後もちなおしていたが、先にも書いたが、18日(金)の会議は途中で電源が落ちる。購入したノートPCは木曜日に事務室に届いていたようだが、金曜日の夕方に受け取る。そこからネットの接続、そして大学の認証でオフィスを入れるところまでやった。が、アドビとフォントはまだ移動できていない。それとMSI内のデータの移動(その後、処理)。
◆10月21日(月)のガイドプラスセミナーは新マシン。サラはうれしいですね。

2024年10月21日ガイドプラスセミナー

◆おじさん・おばさんの会。今回は徳川大坂城。30分話をすることになっており、金曜日までに資料の印刷まで済ませていた。が、朝、谷町4丁目駅のホームに降り立ったところで、印刷した資料を家に忘れてきたことに気づく。アホ。パワポは作っておらず、島根にデータをもっていったが作業などせず、帰ってきた日の日曜の晩に着手。それをひととおり完成させるので頭がいっぱいだった。
◆A3で4枚刷っていたのだが、2枚目がメインなので、1枚だけモノクロ印刷にコンビニに走ってもらった。Fさん、ありがとうございました。4本の発表。わたしはいつものように、時間調整役となり、そうハショらず、予定時間より5分から10分伸びていた分を短縮した。
◆午後は大阪城のツアー。ベテランのガイドさんの案内が、とてもよかった。この日は48名の参加があり、3班に分かれる。大阪城公園駅で解散。
◆ミライザの資料館を見ていると、大阪城の古写真が宮内庁にはあるらしい。まだ戊辰戦争の時に焼け落ちる以前の、すべての櫓や多聞が残っている写真である。

2024年10月19日、日本考古学協会@島根

◆引率。1日目、8時に出て昼頃に松江予定で、オウ平野の遺跡をまわるくらいかと漠然と考えていた。が、出雲市まで足を伸ばすことにする。
◆西谷の資料館(企画展もよかった)、大念寺古墳、上塩冶築山古墳。石室に立ち入れるのは、とてもうれしい。松江に引き返し、風土記の丘資料館(企画展で石屋古墳の埴輪を見ることができた)。そのあと山代二子塚古墳。そこから島根大学に向かい、16時過ぎ開始のセッションに出る。テーマが出雲の西・東なので、現地を見ておいたことはよかった。
◆第1日目終了後、松江駅前のホテルに入り、飲み屋を探す。うちのメンバー+奈良大のM1。居酒屋系はどこも満席で、少しうろうろして韓国系焼肉屋に入り、楽しく飲む。
◆翌日は朝9時から。すべての発表を聞き、そこで帰宅することにする。15時出発で、中国道が結構混んでいたが、19時には大阪駅に着き、解散した。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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