人を幸せにする人になろう

翌日1月21日は奈良大で文化財専門職説明会

◆幹事会?運営委員会?が10:30。わりと早めに高の原に着き、とぼとぼと歩いていきました。前 回、道を間違えてずいぶん遠回りをしたので、今回は早めに南に南に曲がっていき(ルートは適当)、20分で大学入り口につきました。
◆午後からは説明会。文化庁担当者、県の人1本、市町村2本。これに今回は、小松市八日市地方の学生を集めての確認調査、そして久津川車塚の大学が協力する形での調査の10分報告が2本。これには立命とうちのM1院生2人があたりました。
◆もうすこしスクリーンを大きくしてくれるといいのですが・・・。ホールの大きさに対して画面が小さく、パワポの文字が小さいと、後ろからは見えませんでした。わたしの場合、スライドタイトルは44ポ、本文は32ポ(授業の場合は28ポ)、太字・影付きにしております。それと画像が4枚あったら、組み合わせて1枚にすることはしません。スライド1枚写真1枚で4枚を順に流すようにしております。
◆懇親会。ひしめくような会場で、きちきちなのも、距離が近くてよいものです。久津川の現場に来てくれていた学生の就職の話を聞くとうれしくなる。
◆最初の締めがあって、なお続きそうでしたが、Oさんと八木で2次会。ぎりぎりその日のうちに河内国分に帰り着きました。

翌日1月20日は岡山

◆翌日は、岡山県古代吉備文化センター主催の講演会。1本目は九州国立博物館の「文化財課長」 K氏。2本目がわたし。昨年秋のパワポをベースに、楯築とか、岡山ネタをできるだけ盛り込みたいと思ってはいたが、まったく余裕なし。11:30岡山駅だったが、朝8時過ぎに宝殿を出て、新幹線で姫路から岡山に行き、スタバでパワポをいじっておりました。
◆11:30。事前に集合場所の地図を送っていただいていたのですが、ぱっと見で見て南口(東口)と思い込んでいて、行っても誰もおらず、会場に直接行こうかと思っていたら、北口(西口)からよびにきていただきました。すいません、間違ってました。
◆1人70分、質問10分だったが、めいいっぱいしゃべらせてもらう。
◆そのあと、岡山シティーミュージアムで、岡大の校内調査の成果展をみせていただく。鏡もたくさんならべてありました。カメラを持ち出さなかったのは失敗。一眼レフを持ち歩かずとも、コンパクトデジカメを常に携帯するようにしていたが、調子が悪くなってから不携帯。新調すればいいだけなんですが・・・。
◆懇親会があったのですが、ちょうどこの日、播磨の太子町で高校の先輩が講演しており、高校時 代の恩師との呑み会もセットされていて、そちらを選ばせてもらいました。1人、ミュージアムから岡山駅に向かう。17時を過ぎた時間帯だったが、16:56のこだまの掲示がそのままでホームにいたこだまに乗り込むが、なにやら遅延が発生しているらしい。誰かが線路に降りるのが目撃されたとのことで、それを駅員と警察が探している、とのアナウンス。翌日の新聞によると、4キロ先で発見されたとのこと。結局は90分の遅延。18時開始の懇親会に間に合うつもりが、19時、駅前の会場に飛び込む。この会、2年前にもあったのですが、2人増えて計8人になっておりました(終了時の記念写真には写っておりませんが、電車の時間の関係で退席したK大Y氏を含む)。21時ごろには終わったのでしょうか、河内国分に帰り着きました。宴会中、加古川東卒の先輩もうお一方に電話しました。突然、すいませんでした。
◆岡山県文化財センターのみなさま、たいへんお世話になりました。

お酒と車

◆19日は教授会などの月1回の会議日。終了後、加古川に向かう。20時頃には着き、久しぶりに自宅 に戻った父親とゆっくりする。退院時に、酒はダメ、車の運転もダメ、と言われ、しょげておりました。その日は、1滴もお酒を飲まず、守っておりました。そして、姉がいて晩飯を作って待っていてくれましたが、帰り際に車のキーを強奪していきました。
◆買い物については、母親が自転車で行くのをできるだけ控えるようにし、父の運転で買い物に行くようになっていましたが、車を止められると、日常の買い物も不便になります。スーパーはそう遠くはないのですが、そこそこ交通量の多い道路も通り、山陽本線の踏切を越え、国道2号線も通ります(その分、歩道がちゃんとありますが)。
◆昔は、もう少し近くに2つも地域のスーパーがあったのですが、いまや郊外大型スーパーの前にぜんぶなくなりました。こういうのも、高齢化社会には反してますね。姉が買い物の車を出すと言ってくれています。まとまった買い物はそうして、あとはコンビニ、どこの地域でもそうなっているのでしょう。

オヤジが退院する

◆父親が4日に入院しましたが、月曜日に話を聞き、手術をするということにしたのですが、本日、再度の手術についての説明があり、その話にもとづき、手術は見送ることになった。今日も加古川に行き、午前中の話を聞きて取ってかえすこともできたが、姉・妹に任せた。こっちとしては、悪い場所がわかっていて直しておいてほしいと思ったが、むろん危険もあり、具体のいくつかの説明を直接ではないが聞いてみて(前より丁寧にリスクについて説明していただいたようです)、しないというのも理解できた。明日、退院するとのこと。
◆こちらとしても、そのままとすることの危険性等について、調べ、理解しておく必要がある。約半月の入院となった。

お寒うございます

◆12日の金曜日に病院の先生と話をする予定を入れていたが、新たに24時間心電図を取るので、その結果が出てからと、これが月曜日にスライドする。当初は、金・土で実家に戻る予定にしていたが、それがなくなり、日曜の晩から月曜の午前とする。
◆そんなんで金・土と仕事ができる。今日はセンター試験の第1日目。2つのことを1時間ずつ程度で片づけ、今日は大学史展示の仕事を残り時間、集中してやるつもり。この仕事も、後期の授業期間内で完了させることは難しくなってきた。授業期間内で一定の区切りをつけ、残るは3月末までにやっていくほかなさそうである。

いろんなメモ

◆みなさんはどんなメモやノートの使い方をしていますか。わたしの場合、ついに定まっていませ ん。どんなところでも覚えが書き留められるよう、小さなメモ帳を常にポケットに入れる習慣は確立していますが、こと研究とか、例えばいまやっている大学史展示の関係とか、ノートは作るのですが、それが見当たらないこともあり、書き込みを続けていくことができない場合が多い。
◆ストックし続け、ノートナンバーを増やしていくべきものもあるし、解決したら切り取っていくようなもの、この2つがあると思います。種類を増やさず、ひとつにして、カバンに常に入れておくようにする、ということも手かもしれません。こうしたことは、みなが仕事をしながら必要に応じて自分にあった方法を作っていくものなのでしょう。わたしの場合は、こういうことを電子化するのは、やってはみたことがありますが、ノート以上にその時限りになり、まず無理です。ノートに手で書き込む方があっております。ノートPCは常時カバンにあるとはいえ、時や場所、状況に関係なく、メモ帳とボールペンさえあれば書き込める方が、
◆いや~、次々に仕事が押し寄せてきますわ。

まあそんなところで

◆5日には出勤し、1日、できるだけの仕事をして、土日はまた実家に戻り、家の模様替えを開始しました。そして本日8日(月)の祝日、職場で仕事をしております。優先順位を考え、できるだけコンパクトに仕事をしていく必要があります。
◆年末には、北海道大学の総合博物館を見学し、また小樽の町あるきをしていましたが、また機会をみつけてブログに書くことにします。
◆今日やろうと思っていた、あれとこれは、なんとか家でやっつけるかな。明日、娘が北海道に戻るので、今日はこのへんで帰るとしよう。

2018年となりました

◆みなさま、いかがお過ごしでしょうか。当方は、毎年のことですが、カミさんの実家、自分の親 元に、それぞれ同じように戻り、過ごしました。長男・長女は、それぞれ修論と卒論ですが、帰ってきて、4人で移動しました。右は、初詣に生石神社に行った時のもの(山に上がる前に久しぶりに石宝殿を一周しましたが、その時は写真を撮っていなかったので、上からの画像だけの合成です)。
◆一方、今年は例年と違うことが生じました。さいわい両方の両親ともまだ健在ですが、わたしの母が昨年末に要介護認定を受け、介護サービス計画を立てないといけません。通知が年末のことだったのでこれからですが、ケアマネージャーとまず相談する必要があります。正月に帰った時にその相談をということだったのですが、年明けに今度は父が、いまのところ症状は軽いのですが脳梗塞であることが判明しました。詳しいことは控えますが、昨日4日は、朝から病院に行き、別の病院での検査をするよう紹介していただき、すぐそちらでMRI検査をしたところ判明し、即入院となりました。いまのところ10日ほどの入院が必要ということですが、治療と精密な検査ということになりました。
◆3日には、姉夫婦・妹夫婦ともども、実家の、手すりや、石油ストーブをやめるとか、IHにするとか、基本的に1階で暮らせるようにすることなど、必要な対応を相談していたところでした。大掛かりなリフォームはしないつもりですが、一定の工事も必要になると思います。一度にはいきませんが、急ぐものは急ぎ、全体として3月までくらいにはやってしまいたいと思います。
◆自分の親が85歳と80歳であることを、思い知ることになりました。姉が近くにおり、日常的に様子を見てくれており、妹もよく帰ってきてくれているようで、それに比べ自分はなるべく帰るようにとは思ってはいるものの、月1回も帰れておりません。が、いよいよ、そうもいきません。そういう次第で、これからは常に「帰れる時は帰る」というようにしていかなければなりません。

研究ノート

◆Yさんは、7世紀後半に現れる「常布」をはじめとする布の規格を検討し、そのなかで「1ヒロ(尋)=1.8m」との見方を導いている。しかし考古学の側では、「1ヒロ(尋)=1.5m」と考えてきた。
◆大宝令で、唐(大)尺による長1丈3尺(3.85m)×幅2尺4寸(71.3㎝)の布を1常とする「常布」が現れる。貨幣的な役割を果たす基本規格という。こうした役割を果たす近似した大きさの布はそれ以前からあり、それが「常布」へ継承されるとみられている。改進詔第1条段階では、常布につながる布の規格は、長1丈2尺×幅2尺5寸であった。
◆Yさんの1ヒロ(尋)の長さに関する議論は、改進詔に見える長1丈2尺×幅2尺5寸であるが、改新時の尺度は自明でなく実長は不明で、それを旧俗改廃の詔に現れる2ヒロ(尋)布と実態は同じと考え、これにより「1丈2尺布」の成立を説明しようとするものである(改新詔の尺は唐(大)尺とみて実長を考えて問題ないと思うが・・・、それは措く)。
 (Ⅰ)改新詔1丈2尺布=布2ヒロ(尋)布と考える。
 (Ⅱ)2ヒロ(尋)の単位尺は高麗尺(35.5㎝)と考えられる。
 (Ⅲ)1ヒロ(尋)は手を広げた程度の長さであるから5高麗尺(1.775m)とみるのが妥当で、
   5高麗尺は6唐大尺でもあるから、
   2ヒロ(尋)=10高麗尺=12唐大尺(=3.55m)となる。
◆結論としては、貨幣的に流通していた7世紀前半までの2ヒロ(尋)(推定約3.5m)という規格の布が、改新詔において唐大尺に換算され1丈2尺と書かれた、というもの。
◆しかし、(Ⅰ)改新詔1丈2尺布=布2ヒロ(尋)布というのは、同一実態で「近代的な」唐尺で表記したものという理解はひとつの見方であるが、断定はできない。(Ⅱ)2ヒロ(尋)の単位尺を高麗尺(35.5㎝)と考えているが、これは誤りである。
◆筆者の結論は、1ヒロ(尋)は南朝尺の6尺1歩の歩数と同じであり、1ヒロ(尋)=1.5mである(これは別に論証するとして)。改新詔には布幅として唐大尺2.5尺が現れるが、これは南朝尺の3尺である(布幅に変化はないだろう)。したがって、7世紀前半に貨幣的に扱われた2ヒロ(尋)布は、5世紀以来の南朝尺による「長12尺(3m)×幅3尺(75㎝)」という規格。7世紀前半に導入される唐尺でいえば長10尺×幅2.5尺。これが改新詔を出す前。
◆以上のことが妥当とすると、改新詔の新税制の制度設計において、基準となる布の長さを約3mから約3.5mに1.2倍にした、と考えられる。

陵墓の仕事があった・・・

◆堺市博は、百舌鳥古墳群以降のところも展示替えされていました。道すがら、看板なども新しく なっており、「仁徳天皇量古墳」と。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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