人を幸せにする人になろう

2024年11月18日早朝

◆カミサンが後期の月曜日は1限があるので、朝5:58分発の急行に乗っています。職場に着くのは6:55。いま13時。もう6時間は仕事をした。
◆帰るのが20時頃と早くなり、帰っても寝るだけなので、仕事をこなすには朝を早くすることですね。

2024年11月17日四校交流会@奈良女

◆午前、鶴橋ドトールで仕事をする。ちなみに天王寺デリカフェが10月31日に閉店になっていた。残念。
◆で、奈良に向かう。四校交流会のセッティングありがとうございました。ちょっと例年より人は少なめか。うちの院生1人は別のシンポに、研究生はまた別の研究会に出ていました。
◆懇親会は奈良女のラウンジ。料理やお酒を購入してくれており、それをならべました。府大I氏もかけつける。

2024年11月2日 ハイハイタウンのベトナム料理屋

◆歯医者に行っています。2本治療、もう1本やって終わりになる予定。鶴橋です。だいたい土曜日の19時受付。
◆この日、上本町に移動し、ハイハイタウンでベトナム料理屋に行きました。【追記】前にも書いてましたね。年寄りになると、すべて忘れていきます。

さらにさかのぼる丁瓢塚

◆さらにさかのぼる姫路市丁瓢塚関係。国土座標で測ったものを、報告する時に、墳丘主軸にあわせで配置したものと思う。方眼紙にトレぺを貼り付けている(左)。これがトレースの下図なのかな。捨てました。
◆で、もう1枚(右)は、『史林』の原稿。岡村さんがいろいろ指示してくれている。これは残した。

1989年3月権現山51測量図トレース

◆A3縦の大きなファイルが3冊ある。うち1冊には原図類が入れてあるので、これは保存。残る2冊を見ると、いくらか資料が入っているが、保存の必要のないものが多く、残すものは最初の1冊に綴じ込み、ファイル2冊は捨てることにした。
◆このファイル整理でできたもの。まず権現山51号墳の、トレぺでなく方眼紙の裏にトレースしたもの。1989年3月の発掘時、われわれはスタートは測量チーム。発掘はそれと並行して着手。測量が終わった段階で、宿舎でざっとトレースしたものなんだろう。これは不要なので捨てる。

正道官衙シンポ

◆案内をいただきましたので紹介します。

2024年11月6日 信太貝吹山

◆玉3のあと、午後は和泉市に向かう。
◆信太貝吹山も測量開始時は局地座標。2000年00年代はじめに業者が測量しており、その時の図と座標がまずは提供された。が、任意の局地座標。周囲の住宅地など広く図化されており、われわれの墳丘測量は、この時の座標でやることにした。道路沿いの鋲の局地座標データを使って、墳丘再測量用の基準点を振り込んだ。が、古い鋲ってやつが、ほんとに2000年00年代はじめの業者測量の時のものか不安が残る。おまけに、その後、貝吹山古墳を市が買い取って、その整備のための調査をやり、その施工図面が作成されており(座標なし)、その図の高さを見るとあわない・・・。われわれが墳丘測量に使った2000年00年代はじめの図における道路の高さと、けっこうなずれがある。困ったものだ。やはり局地座標は限りなくメンドウがついてまわりますね。
◆今年の4月にやった相生市の塚森古墳もそう。着手前から近くの基準点をさんざん聞いたのだが、結局は「ない」ということで局地座標となる。が、終わってから相生市の設置した基準点の成果簿が出てきた。いま、国土調査などで、市のしかるべき部局に問い合わせれば、道路沿いの基準点は出てくる。ということを最初にもっと強く言うべきでした(なので、これも再出撃が必要)。
◆この日の信太貝吹山の国土座標測量は、わりあいスムーズに終わる。和泉市設置の2点の基準点をもとに、再測量の際に墳丘に振り込む基準点とした、2000年00年代はじめの測量時のもの(と思われる)2点について、国土座標を測り込んだ。さあ、高さはどうしようか。

2024年11月6日 玉3の国土座標

◆玉手山3号墳のある柏原市老人福祉施設の中庭に保存した古墳があり、玉3の測量杭のデータを求められた。が、2001年の測量の時は、研究費がなく局地座標で測量した。その後、玉1の報告書を作る際、国土座標の基準点測量を業者にやってもらった。玉1は柏原市の測量図があるので改めて測量はせず再トレースしたのだが、これも局地座標。そこで基準点測量をしてもらい、それをもとに、旧図にあるコンクリートなどの不動点を、国土座標に落とし、1号墳と2号墳の測量図を位置付けた。
◆業者にやってもらった基準点設置は、玉1と玉3の福祉施設内に各1点。それで1号墳の測量をしたわけだが、今回の依頼に対しデータを見直したが、玉3の図を国土座標に落とし込む測量をやったかどうかが不確か。それ以前、測量から間もなく、『玉手山古墳群の研究』に測量概報を掲載してもらった際に、国土座標に位置付けたと書いており、図に国土座標を切っている。が、これが何によるかがさっぱりわからず、また座標値を見ると間違っているとしか思えない・・・。
◆で、話を戻して業者による基準点設置後だが、玉1に続き、玉3についても国土座標への換算測量をやったと思い込んでいたが、どうもそうではないらしい。メモが出てきて、国土座標らしき数字も見えるが、これも何かわからない。
◆これでは依頼には応えられない。ちゃんとやった方がいい。いまGPS測量で座標が出せる10万円くらいのマシンがあるらしい(これ欲しい!)。ほんとは業者にやってもらうか、こういうマシンで、測量杭に国土座標を落とすのがよいのだが、すぐは無理。なので出撃することとした。さいわい水曜日の2限の授業がなくなったので、研究生K君と現地に向かう。
◆玉1基準点をバックサイト。玉3のある施設内に設置した基準点に本体を据える。玉3墳頂部の杭にそこから飛ばせればいいのだが、発掘から長く経過し、樹木がうっそうと茂り、杭はわからないし、そもそも見えない。なんとか墳裾あたりと後円部斜面の2本の測量杭を見つけ、それを国土座標で測り込んだ。近い2点なので、それだけで回転させるのは怪しいが、いまは仕方なし。なんとかそれをやり、柏原市の調査区も測り込んで、昼に撤収した。
【追記】右図。だいたいよさそうだが、2号と3号図の境界の、やすらぎ入口付近がややずれる。2号墳の測量が正しいだろう。もうちょっとやる必要がありそうだ。

2024年11月1日 杏雨書屋

◆入館無料、図録も無料。ただし写真は撮影不可。
◆図録が無料なのはうれしいですね。武田薬品という母体があり、社長らが、関東大震災で多くの資料が失われたあと、本草にかかわるものなどを収集して保存を図るという目的でコレクションされ、それが財団法人に移され、公開施設を設けたもの。
◆小西さんの資料館にも行きたいのだが、ここはいつ開けるのか決まっていないようで(要予約)、まだ行ったことがない。道修町は、大阪の文化力が感じられるところです。

2024年11月1日 造幣局博物館と杏雨書屋

◆午後からは卒論発表会。この日の午前に、道修町の竹田薬品のビルにある杏雨書屋の展示を見に行くことにしていた。新聞で、江戸期の薬品会・物産会の展示と、古地図の企画展の宣伝を見たので。平日でないと開いていない。10時からということなので、それまでどうするかと考え、造幣局博物館に、急遽、行くことにした。
◆天満橋から歩いて造幣局に。北の正門から入る必要があり、川沿いを北上する。正門で入構記名し、博物館へ。3階と2階に展示室がある。3階が貨幣の歴史。2階は造幣局でのコイン作りの展示。動画はダメだが写真はOKというのもありがたい。楽しく勉強しました。確か後輩が学芸員にいたと思う。名刺をもらった記憶がある。
◆そのあと、時間の節約のため、タクシーを拾い、道修町へ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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