人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2024年4月29日、多田銀山から池田
◆鉢塚古墳まで歩く。見学。そこから石橋駅まで歩き、1730から懇親会となる。家に帰りついたのは22時でした。石橋駅前の、あのごちゃごちゃした飲み屋街。懇親会も40人ほどが参加し、世界史の2回生の隣に座ったが、S先生も隣に着座し、このテーブル、けっこう話が盛り上がりました。いや~、呑み会は大事ですね。
2024年4月29日、多田銀山から池田
◆多いので4グループに最終的には分かれたのか。資料館を見学し、そのあとマブなど現地。たっぷり2時間くらいか。再学習は必要ですね。勉強になる。鉛を入れて銀を分離し、銅と銀にする技術のあたりの説明はなかった。こっちがやってもいいのだが、あいまいな知識しかない。とにかく砕いて、擦って、まずは水で選別、そこから焼いてと・・・、ちょっと確かな知識にしないといけませんね。
◆金山彦神社。勝手に柏原の金山彦神社がもっとも古いと思っていたが、全国にある金山彦神社を統括しているのは、岐阜の南宮大社なんですね、知りませんでした。
番所庭園
◆今回行ってみて驚いたのは、駐車場満杯、人がわんさかいること。GW前半で、しかも天気はすこぶるよく、出かける人が多い日であることは間違いないが。でも、その時にでかける先にここが選ばれているわけである。訪れる多くの人は、お台場を見にきたわけでなく、景色やら庭園を楽しむ、またバーベキューをやるために行っている。1日8000円で、場所を貸してバーベキューができるようになっている。まあとにかく、新たな観光名所としてすっかり定着したことに驚いた。
2024年4月27日と28日
◆翌日は11時にやはり海南市で待ち合わせの用があり、そこへ赴く。用事が終わってから黒江に昼飯を食べに行き、そのまま町あるき。漆器を見て、日本酒「黒牛」を購入。そのあと帰りの特急の時間にはまだ時間があるので、雑賀崎の番所庭園に行く。1530過ぎに義弟は帰って行った。われわれは帰ってきて、晩御飯を作るのもめんどうなので、スーパーで刺身などを買い、「黒牛」を飲む。
◆あれ、番所庭園の写真、撮ったはずだが、ない(そうか一眼レフか、家だ・・・)。
2024年4月21日、津山洋学資料館
◆この土日、岡山で考古学研究会が開催されていたが、行かないことになった。21日は大歴の現地見学検討会が重なって設定されていたので、岡山に行かないならこっち、と考えていた。
◆が、ある原稿を仕上げないといけないので、それをやっており、20日、丸1日やっても終わらず。仕方なく、21日もそれにあてることになり、検討会にも行けず。池淵さん、ごめんなさい。
◆で21日、中国道でカミサンを三田に送っていると、そのまま津山に行き、午後に戻って仕事をしようということになる。10時くらいには津山に下り立つ。目的は洋学資料館を再度訪れようというもの。
◆宇田川玄随―玄真―榕菴―興斎、そして箕作阮甫―秋坪という、津山の洋学者を再度学ぶ。ようやっと、頭に定着したか。
◆午後、原稿を続けるも終わらず、月曜日も・・・。最終的にできあがった日時は言わないでおこう。
◆が、ある原稿を仕上げないといけないので、それをやっており、20日、丸1日やっても終わらず。仕方なく、21日もそれにあてることになり、検討会にも行けず。池淵さん、ごめんなさい。
◆宇田川玄随―玄真―榕菴―興斎、そして箕作阮甫―秋坪という、津山の洋学者を再度学ぶ。ようやっと、頭に定着したか。
◆午後、原稿を続けるも終わらず、月曜日も・・・。最終的にできあがった日時は言わないでおこう。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。