人を幸せにする人になろう

大歴の大会

◆神戸大学。考古は個人報告1本と部会報告。部会報告は蔀e3c15b89.JPG77dd2a7a.JPG屋北遺跡、寺田遺跡を取り上げながら古墳時代の手工業を取り上げたもの。河内の馬飼について、牧の方もわかってきて立体的になると、なお面白いだろう。ただし、柵塀などが考えられても、なかなか遺跡としては捕まえにくいんだろう。また、蔀屋北は、河内湖にのぞむ拠点として、牧に附属する現業部門の集落遺跡なんかは見つかってもよいのだろう。交野の吉田さん、司会、ほんとうにご苦労様でした。
◆懇親会では大阪府の三好さんにいろいろと突っ込まれる。寺田遺跡、勉強になりました・・・。摩湯山にごく近55e91989.jpgい場所で、重なる時期に鍜冶をやっていたことが確実であるという。
◆なお、総会のあと、緊急報告として、歴史資料ネットワークの東日本大震災による史料保存の活動について、短い時間ながら紹介してもらった。代表の奥村さんには全体の状況について、レスキューは夏までが勝負で、秋以降はどのように修復の筋道をつけていくかが課題になる、といった動向を話していただいた。新聞に松井章さんの記事が載り、復興住宅が高台に計画されると貝塚とバッティングし、これから調査をどう進めていくかが課題になるとのこと。

加古川東高校地理歴史考古学部『温故知新』第9号

◆片付けはじめ、『難波宮跡の保存と裁判』と87e88900.JPGa717a53f.JPGいうd0e32c2c.JPG厚い本を本棚に入れるスペースを作りだすためにあさっていると、高校時代の部誌が出てきた。だいたい保存はしてきたであろうが、引っ越しを繰り返し、そんなものどこにあるのかわからなくなっているものも多い。で、新しいモノを入れるには、古いものを廃棄していくことになる。本も図書館に入れるものは入れるが、捨てるものもすくなくない。
◆で、『温故知新』第9号(1981年春)が出てきた。はじめて原稿なるものを書いたやつが載ったモノだが、いまからゴミ箱行きに処したい。その前の夏に発掘した播磨山崎城の発掘調査概報が載っている。石垣の図面はオレがトレースしたモノではないが、そのあとの土層図は字から見てオレのトレースですね。ただし、この1980年の発掘段階は、軟式テニス部でまだチレキブに入っていないので参加していない。表紙の題字は、K岸Y洋とわざわざ書いてある。京大経済学部に行き、11月祭事務局長をやり、M商事と、超エリートコースをたどったが、いまどうしていますかね。たぶんもうエライさんになっているだろう。
◆本文と図面が別になっているのは印刷方式が違うから。本文はいわゆるガリ版刷り。図面は薄緑色の原紙にサインペンみたいなヤツで書いていた(さすがにロットリングはなかった)。でbb2a8a9b.JPGもどうしてたんでしょうね。複写機はあっただろうけど、縮小コピーはできないんとちゃうかな。縮図を作ったのかな。でもそれを原図としてトレースは?。謄写台みたいなもんがあったんかな~、覚えちゃいない。
◆秋の学祭の時には『ナイル』というやつを出していた。手元にある『ナイル』第24号は、その1981年秋のもので、加古川市・高砂市全域の道標を調べた報告書である。これはよくできたものなので、これはいましばらく保存しておこう。その扉のデザインはオレがやったが、けっっこう気に入っていたことを思い出す。中学校くらいの時にレタリングに凝っていたし、この時は、古市さんが撮ったいい写真があり、それをシルエットにした(モデルは、右から、オレ、是沢君、吉井君である)。
◆高校のチレキブもなくなった。大阪市大の考古学研究会もなくなった。京大の考古学研究会はまだあるんかいな。

3日ほど前、蝉が鳴き始める

◆厚いっすね~。ほぼ梅雨明けでしょう。最後、梅雨明け前の激しい雨がまだあるだろうが、基本的にはもう明7aa26154.JPGけて本格的な夏。3日ほど前の夜、ベランダでパソコンを叩いていると、セミが鳴き始めて驚く。
◆いま6月25日の土曜日の正午です。昨日金曜日、4つほどをこなす。阪大に行って鏡の撮影、戻って博物館学芸員課程のWG、考古の勉強会、文学研究会のFD研究会(今年、文学研究科のFD委員になっている、FD研究会の話はそれなりにタメになったので、余裕があればまた記事にします)。で18時。で翌日の土曜日、すなわち今日、カミさんが加古川東高校で講演をやるので、一緒に加古川へ。6月24日は息子の誕生日(19歳)なのだが、放置。親元へ帰れる機会にはなるべく帰るようにしている。まだ、4人の親とも元気で、介護で毎週、帰らないといけないような状態にないことは、ありがたいことである。
◆加古川東高校は、スーパーサイエンス校に指定されているらしく、今年度が文科省からもらっている予算の最終年度なのだそうだが、30人ほどが夏にNASAに行くらしい。で、前に記事にしたように東校で研究会を開催したことのツテで講演を依頼されたものらしい。日本におけるロケット開発史とか、自分が宇宙研時代にやっていたプロジェクトとか、いまやっていることなどを話すのだそうだ。
◆で、9;30に粟津神社横の高校の西門に送り(いま耐震工事で正門が入れないらしい)、1人、大学にやってきた。6~7時間あれば、明日の大歴の大会に向けての準備とか、今週の整理とか、できていないことの課題の整理とか、なんとかやれるだろう。こうしてブログに向かうこともできる。やっぱり片付けからか・・・

近鉄文化サロン

◆18日の土曜日は近鉄文化サロンの講演会。これ百貨店系のカルチャーセンターで、阿倍野教室と大阪市立大eed399b6.jpg学が提携講座をもつことになり、指名されたもの。前にも6回やらされた。
◆この日は〓〓があったのだが、出席できない。申し訳ないが、半年以上前から決まっていたのでいたしかたなし。受講生は40人くらい。ぜんぜん準備する時間がなく。岡山から帰ってきてから、夜、そして当日の午前中で準備する。以前にやった2本をガッチャンコして、1時間半に整えるべきところ、合体して膨らんだものをスリム化する余裕なく、やっぱり前半で時間を食い、後半はすっとばす。やっぱり、1回の分量はもっともっと絞り込む必要があると反省。だが、みなさん、熱心に聞いていただいた。

歴史学ハイキング―尼崎―西九条―難波宮―鶴橋

◆6月19日の日曜日、恒例の歴史学行事。いっぱいまわったので、書き始めると長くなる。まず尼崎。城跡と城下町。だが、尼崎も城郭はほとん46e02cba.JPGど残っていない。ふつうの人にとって尼崎が城下町なんて、「うそ~」というところだろう。江戸時代にあって、大阪城を守るため、高槻・尼崎・岸和田には譜代の信用できる大名を配置したのであるが、その三つの城のうち、残っているのは岸和田のみ(これ、岸和田古城の保存問題の時に京大の岩城さんに教えてもらった)。戦後の闇市から続く商店街を見て回る。
◆電車で西九条に移動。安治川物語の鉄工所跡などをめぐり、安治川の川底を抜いた地下道を九条に抜ける。オレは昼休みを利用して散髪する。なんたら小学校の石碑。それから二手にわかれて、松島遊郭方面と川口居留地方面に分かれる。阿波座から谷町4丁目に出て、大阪歴史博物館と難波宮。c17ab477.JPG
◆そして鶴橋。鶴橋は戦後の闇市以来のバラックが日本でもっとも残る場所なんだとか。以上、今年の旅行担当の佐賀さんの本領発揮。近現代の大阪の発展から戦後の歩みをいまに残すものやその痕跡をめぐる、かなりマニアックな、それでいてトコトン歩くハイキングであった。

千足のチョッコモン入り石障をはずすことに

◆こっちの新聞にも割と大きな記事になったのでご存じだと思いますが、造山の陪塚である千足古墳の傷んだ石14554b08.JPG障をはずす手段が決定された。3月にはずすことは決まったが、その後、より専門的な検討をもとに、いかにはずすかが検討され、それが6月17日の会議に提案され、審議の上、決められたのである。
◆その前に、日経の記者(大学の後輩)が、こりゃ高松塚と同じでけっこう大事な話だというので取材に来た。この会議、やっぱり苦手である。なにが苦手かというと、新納さんがおられるので、ついつい新納さんの顔色をうかがうようなことになってしまうので、自分の意見がないようで、あんまり居心地がよくない。
◆発掘現場をまず見るが、やはり気になる。短い羨道と墓道がある。十字に畦が残してるのだが、横断の畦の両壁に沿って断ち割りが入っている。ややこしい土層の判断にとって割るのが確実であるとしても、これは史跡である。盗掘坑をさらって検出された墓道は遺構です。それを壁際に幅50センチで抜いてしまうのは破壊です。その辺、史跡とはいえ、岡山市がよかれと思えばやればいいのではあるが、しかし文化庁も岡山県も、もうちょっと注文をつけるべきだし、岡山市だって、盛土を掘り込んで(というより構築墓道では?)墓道が設けられている様子をつかみたいのはわかるが、もうちょっと史跡であるという意識をもつべきだ。壊される遺跡の調査の効率から割って断面を確認するのとは訳が違う。それに墓道埋土を、まだ底に達しないと、1区画ではあるが、がんがん下げてしまうのも問題だ。

またまた大阪城

◆大阪城の調査のことを、いくつか記事にした。オモシロイもので、そうこうするうちに大阪市から電話があり、大阪城の集客・活性化のマスタープランを作るのだそうで、その専門的ワーキンググループみたいなの(なんとかアドバイザリーなんとか、という横文字に弱い人間には覚えられない不親切な名前であった)に入ってくれと。「ハイ、喜んで」。で、16日の木曜日に説明に来られて話を聞く。
◆これはどうやらうちの生活科学部の谷直樹先生(建築史)の推薦であるらしい。坂井英弥さんもメンバーに入っている。いろいろ話をしていると、やっぱり石垣のレーザースキャン話は伝わっていない。大阪市のことは前にも悪口を書いたが(別にバレてもメンバーから外されまい)、偉い専門家はいても、教育委員会の文化財保護課が強いリーダーシップで、そのパワーを大阪市の文化財保護に生かせていない点であろう。発掘屋は発掘屋。博物館は博物館。天守閣は天守閣。市史編纂は市史編纂。いずれも大阪市の歴史や文化の専門家として雇用されているのだが、それらのパワーが分離しているのである。
◆最初の会議は7月という。まあ、あんまり突出してはなんだし、今後のこともあるので嫌われ者になってはいけないが、とはいえ、しょっぱなに注文をつけておきたいものである。大阪城を何とかしようというなら、一致団結してそれにむかう体制を作ってくれと。

山本新田

◆近鉄に河内山本なる駅がある。ここで線路は屈曲し、南に折れて国分にむかう。ここから信貴山方面の支線が8a512e33.JPG出ており、信貴山口駅からはケーブルがのびる。
◆で、なんで山本というか知っていますか。オレは知らなかった。大和川付け替え後、干上がった玉串川の河床を新田開発する。それを請け負ったのが、山中善兵衛と本山弥衛門で、2人の名前をとって山本新田と名付けられたそうな。だって!知ってましたか。


集落と土地の研究会

◆勝手に上記の名前の研究会を名乗る。メンバーは岸本と古代史院生濱道君。中世史院生の小橋君も巻きdf91ef3c.jpg込もうとしている。条里とか荘園とか土地の制度や集落に興味がありそうな有志で、通史的な研究ができないものかと考えている。
◆とはいえ、これは名乗っているだけ。きっかけは、オレは古代の郷(里)は当初から領域と考えており、論文を書こうとしている。で、古代史の通説はそうではなく、濱道君に、古代史研究では、いったいぜんたい何を根拠に郷(里)が領域ではないとの見方がなされるようになったか、主要な研究を調べ、根拠を整理してくれとお願いした、それだけのことなのである。
◆で、だいたい調べましたというので、16日の木曜日の大学院演習の後に、いちおう資料を作ってもらい発表してくれと頼む。大学院の授業は、考古の院生(いないのだが・・・)のほかは、M1が受講する。で、彼らM1のやつに、古代の郷(里)について濱道君がしゃべるので、興味があれば残って聞いてみてくれと呼びかけるが、誰も残りやしない(向学心がない!)。で、日本史院生室に行って声をかけると、齊藤さんとバルディ君が興味あるといって参加してくれた。
◆で発表を聞いてみると、たいした根拠はないように思われる。だいたい5項目くらいが挙げられており、吉田孝の著書を基礎にしているようだが、ほんとにこれくらいなのかは、もうちょっと濱道にも勉強してほしいが、古くからの説を含め、いちおうメジャーなものではあるのだろう。
◆この日以来、そこで挙げられた根拠を自分なりに考え、史料を読んだり、風土記をみたりしている。その時、挙げてくれた根拠は、いずれも決定的でないと思った。むしろ『田令』の「狭郷(里)」「寛郷(里)」の定義を見たりすると、そりゃ領域やろ、ということになる。で、週末から原稿を書き始める。また、ほかのことをほっといて、優先順位を考えず書いている。敵はけっこう手強いであろう。が、そんな確たる根拠はないように思う。いまの時点では、たぶんいけるだろうと・・・。きっちりと相手を見定め、根拠をつぶし、逆にこっちの根拠を積み上げ(難しかろう)、疑問をぶつけてみたい。図は和泉郡における近世の郷(和泉市史にまもなく掲載される)。

伊居太神社2011年6月6日

◆伊居太神社と書いて「いけだ」神社と読む。前に書いたように、ここに三角縁神獣鏡が1面あって、撮影に行った。猪名川に面する五月山のへりに鎮座すc6dc619e.JPGる。式内社。けっこう社殿は立派です。宮司さんに手作りの冊子をいただく。
◆対岸には呉羽神社があるのだとか。綾ハトリ・呉ハトリのあれ。中国系渡来人の定着したところということらしい。あんまり勉強していないが。ゴ三堂古墳の画文帯神獣鏡を、その後、池田市の資料館に撮影に行くが、この古墳も五月山にある。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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