人を幸せにする人になろう

いくつか

◆めでたく車の3年間のローンが完済となった。で、車検だ。金がかかる。
◆ミドリ電化に行き、前からの懸案だった、家のパソコンを無線にする。快適。
◆高梨学術奨励金も採択され、3連勝となる。
◆玉手山3号墳の概報の編集も、今日でほぼ終えた。1号墳と同時にできあがりそうだ。
◆次は、牧野古墳のパンフレットにとりかかろう。A3で2つ折り、まあ1日仕事だ。


田植え

◆22日、カミさんの和歌山の実家で田植えをする。岳父は80歳、小学校教諭の傍ら、家の田をずっと作り続け87942482.jpgている。さすがに、本人も、まわりも、心配になり、今年は手伝ってくれと要請され、こっちも願ったり叶ったりで、前から約束していた。
◆田はもっとあるが、だんだん縮小し休ませている田も少なくなく、いまは3枚分。あわせて1反くらいという。だいたい、家族4人、どのくらいの田があれば、どのくらい米が取れて、食っていけるかも、現代のわれわれはほとんど知らない。近世史の人間はわかっていて、こないだも、江戸時代の普通の農民は、どれくらいの田をもっているのか尋ねてみたところだ。
◆だいぶ前に田植えを一度やったが、なかなか機械をおもうように操れなかった。その時は、見ちゃいられない、といった感じで、結局、義父がやったように思う。今回、前のトラウマがあっ958319ce.jpgて、まずまっすぐに植える以前に、機械を操る練習がしたいと主張したが、結局は、まあやりながら慣れるしかないということで、こっちは、苗を置かないでいくらか練習したかったが、いきなり本番となった。まあ確かに、2回端から端へ植えてみると、もう大丈夫。簡単だった。案ずるより産むが易し、だ。
◆むしろ、植えてきた苗と間隔をあわせ、かつまっすぐに進むことが難しい。これは、轍をあわせて折り返すこと、かつボーリングのスパットと同じで目標を見定める必要がある。とはいえ、起伏のある表面に沿って進む機械は左右にも傾く。それをコントロールするには、しっかりハンドルを調整しなければならない。
◆まあしかし、あっという間に終わった。いい経験をさせてもらった。

河内の葡萄栽培とワイン醸造

◆河内のあのあたりを歩いていると、葡萄畑が美しい。小さな実がつe2d9f427.JPGきはじめ、ひとつひとつ焼けないように紙をかf170d6ba.JPGけている。ビニールは、天気がよいと、めくり上げ、風も入れてやる。
◆たぶん、営業的にも一定の採算ベースに乗っているのだろう。勝沼はだめになってきているらしいが、河内ワインはもっと大阪として支援してもいいと思う。ワインは柏原ワイン、河内ワイン、飛鳥ワイン、とどうやら大きく三つはあるらしい。こないだ飲んだのは、どれだったか。900円のロゼと白はけっこういけましたよ。こないだ、NHKのニュースでも、ヘリコプターから河内の葡萄畑を映していました。73f374d2.JPG
◆千客万来がいいわけではないが、カミさんが言うには、前にカリフォルニアの2843dbdf.JPGワイナリーに言ったとき、直営の酒場というのかレストランがあって、お客がやってきて、ワインを飲むと。そういうのを作ったらいいのにと。どこか、一面葡萄畑という景観の一等地に、そこにワイナリーがあり、レストランがあり、そこに畜産農家などもかかわって、チーズや肉やらも出し、柏原駅や国分から送迎バスを出すような、そんな一大観光地にすることもできるだろうにと。
◆つけたし、飛鳥あたりでは、畑を見ると、無数にサヌカイトが落ちている。そして、住宅地に入り、その石垣を見てると、かなりの割合でサヌカイト礫なんだ、これが。
◆もうひとつ。橋の欄干、これ通法寺に向かうところにあった。二上山なんでしょうね。なかなかいい。

近つ飛鳥まで歩く

◆5月16日、近つ飛鳥の展示を見に、家からカミさんと歩く。出発は遅く11時。自宅から駒ヶ谷へ抜け、竹之内b203f4fd.JPG街道に沿って飛鳥へ(写真は飛鳥川)。
◆まず駒ヶ谷の杜本神社へ。もとは、飛鳥戸氏を祭る神社とか。その参道沿いに寄附者の名前。これがおもしろい。金銅さん、真銅さん、麻野さん、この3つが有力。それにしても、金銅さん、真銅さんって、いったい・・・。古墳時代に金属加工をしていたのかな~、なんて想像する。
◆飛鳥、観音塚古墳に立ち寄り、途中で飛鳥戸神社による(写真)。前から行ってみたかったところだ。岸俊男だったか、編戸が渡来人に始まるのではという見解のもとになったもの。そして百済の昆支を祭り、息子の東城王はここ河内で育ち、百済王となる。東城王は殺害され、異母兄の武寧王が百済を中興する。いま住む人の血筋をさかde2f7c98.JPGのぼると、百済王室にまでたどりつくかも。いまはちっちゃい、実にちゃちい神社だが、韓国の人が訪ねてきた新聞記事が貼ってあった。ところで、飛鳥戸神社の寄附者一覧によると、飛鳥では仲村さんばっかり。仲村トオルはここの出身だったりして。ちがうか。
◆で、地図を持たず太子町に突入し、用命陵のところを南下して、と思ってたら、道を間違い、結局、敏達陵のある西側に出てしまい、近つへ。驚いた。駐車場があふれている(写真)。きっと講演会なんやで、水野先生とか・・・、といってると、ほんとうにその通りであった。ハヤシライスを食べて特別展を見る。なにがよかったかな。並んでるのは、ケイ甲に馬具に、似たようなもの。似たようなものであるところに意味があるんだろうが。石人と石馬がよかったかな。図録もいろいろ勉強になりました。13854225.JPG
◆帰りも歩きを選択。通法寺跡。源頼なんとか(義家の父)の屋敷は、八幡宮の西だったかな。河内源氏の本拠の発掘調査はどこまで進んでるんだろうか、ちょっと調べてみようと思った。通法寺は前に、御嶺山古墳を探し回ったときに立ち寄ったが、墓はなんか谷間の暗~いところで、気味悪い、くらいの印象を受けたが、羽曳野市にとっては、大きな歴史遺産が眠っていると言える。
◆そして壺井八幡神社に寄ってから、国分に戻り(19時)、酒屋で地元のワインを2本買い、今日はイタリアンということで楽しくやりました。歩きすぎて、足が痛い。

パソコンと複合機

◆科研と福武で研究費は潤沢。で、バイトも4人使っている。福武は、陵墓を全部デジタルトレースし、キャドデー2c452020.JPGタにし、3Dを作り、3Dプリンタで模型を作るというもの。ちょっと1年では無理かもしれないが、いいところいくだろう。
◆で、パソコンを新しくした。ウィン7で、64ビット。すこぶる早い。イラレでもインデザインでも、クリックすると、すっと立ち上がる。だが64ビットの弊害は、これまでの機器があわないのだ。ドライバーは、ウィン7用も出ているが、32ビットで、64ビットはなかったりする。で、カミさんが、周辺機器も新しくしたら、というので、カラーレーザ、スキャナ、ファックスの複合機を買った。これに書類のPDF化のためにスキャンスナップを入れていたので、すべて1台となる。スキャンが300dpiなので、報告書用は前のをまだ使わなきゃならないが。002.JPG
◆今日の授業用に、昨日、スキャンをしていて、めっちゃ快適でした。進化したものだ。こうして、前のデスクトップは、バイト用とし、各種調査データは、すべてそこに放り込んで専用機にした。こうした分化もすごい合理的。あっちこっちに調査データが分散していたが、すべて前のデスクトップに、遺跡ごとにフォルダを作り整理した。いましばらく、新環境に慣れるまで、あっちのパソコンにいったり、難があろうが、全体としてすこぶる快適だ。
◆ちなみに、下の画像が、試験的に行ったメスリの3Dデータによる石膏模型だ。これについては、京都大学工学研究科の援助をえている。データを渡してやってもらったが、測量業者のキャドデータで、そのままいかなかったらしく、さわっているうちに、反転したらしい。それと色もつけていて、彩色されるはずだが、色の乗せ方が、そのままではだめらしく、いまは無地。これも改良を加えていこう。、

吉川弘文館の仕事に飽きた

◆史跡の一覧表に手を入れているが、これがなかなか大変(時間がないという理由で、そのままええかげんな遺跡解説を載せることに反対し、結局、省略することになった)。予定では、5月17日念校で、21日校了、27日印刷c3212c89.jpg完了とある。が、オレの仕事の遅れからずれ込んでおり、必死で挽回しようとしている。最終校正は来週月曜日、これで終わりだ。
◆校正といえば、玉手山1号墳の校正がやっと出た。もはや読む気力はない。図など、致命的なミスだけ点検し、ただちに印刷にかかってもらおう。
◆『市大日本史』第13号も5月14日に無事に刊行された。いまは玉手山3号墳の概報をやっているが、来週の月曜日にはほぼ、完了するだろう。これもただちに印刷。で、昨日から、摩湯山古墳の編集に取りかかった。測量図のトレースは、所さんがこないだ完成させてくれた(右)。で、前からやってた墳丘写真の図版についての、インデザイン編集を、我慢できずにやったわけだ。ホントは、前から決めてある構成にしたがい、執筆予定者に原稿依頼をちゃんとやるのが先決だが・・・。まあ、来週やね。
◆そんなんで、ちょっとイヤになったので、いまからブログをまとめて書こうと思う。カミさんは、こないだの一連のブログを見て、そんな暇があるならハヨ帰ってこい、と。しかし、たいがいは、自宅で深夜やっているのです。でも、今日は、いまから大学で・・・。

さらにヨーロッパと日本

◆もうひとつ前から思っていること、ヨーロッパは、第1次世界大戦の戦場となった。戦災もある。だが、基本的には、ゆっくりと変化してきたと思うのだ。それに対して、日本の戦後の激変、これがよくない。
◆パリもさっき言ったように300万人だ。地方都市もあり、そして田舎がある。町が異様に肥大化することなく、つまり田舎からの人口流入がなく、中世以来、ゆったりと経過している。むろん産業革命期の変化は大きかったであろうが。
◆日本はどうだ、大都市、地方都市、田舎、その点はおなじだが、都市部への人口集中が極端に進み、田舎が疲弊している。この差はなんなんだろうか。人口の差もあるんでしょうね。ヨーロッパ諸国は数千万人だから。地勢もあろう。日本は山がちで平野部に人々が集中する。ヨーロッパでは、アルプスはあるが、山は少なく(たぶん)、丘があり盆地がある。そうしたところに分散的に住んでいる。
◆都市の方が快適で、収入もあろうが、田舎が維持されるのはなんでだろう。これは是非研究して欲しい。
◆で、極端論に戻る。江戸時代の江戸の人口が何人だったか知らないが、100万人くらいだろう。だが、それが1300万人という。1300万人といっても、東京都区部なんでしょうね。千葉、埼玉、川崎、横浜と、切れ目なくひとつづきの市街地である。こんな人口集中が起こったら、住む場所は必要で、山野はずたずたにされ、景観は一変する。しかもそれは戦後だ。近代以降の変化も大きいが、戦後の上昇の角度は著しい。短期間での激変・・・ゆっくりと、旧市街の外に徐々に町ができていき、といった通常の経過をたどらない。むろん地理的平面位置としてはそうだが、当然、無秩序な乱開発だ。
◆極端はよくない、新しいものが生まれても、それをゆっくりと受け入れ、徐々になじんでいく、という歩調をとることが望ましい。いましかし、中国が、この極端な社会変革が進行中だ。

和歌山線はもういちど

◆今回、和歌山線は夕暮れから夜だったので、車窓から外を眺めることができなかった。なので、もっかい、やらねばならん。
◆笠田駅というのがある。カミサンの実家に行くとき、京奈和の高野口でおりて、笠田まで行き、南に折れる。笠田は、そう、荘園絵図で有名な(キヘン+上・下)田荘なんだな。和歌山って、柳田国男のなんとか論ではないが、古い地名やそんなのが残っているので、驚く。たとえば、神社名で、丹生官省符神社というのがあるんですよ。世界遺産になってるけど。むかし大学時代に和歌山の後輩がおり、そいつの言葉に驚いた。なんだっけか、「あが」だ。「あがのなになに」て自分のなになに、ということですよね。我?吾?、ともかくも、そんな言葉が残っている。
◆和歌山が周辺部というのは事実だ。突帯紋土器は残るし、Ⅴ様式も残るし。でもバカにしてるんじゃないですよ。そういう、和歌山こそ、ほかで失われたものが残っており、それが今日的な価値になりうるんだ、ということ。

東岸和田・東貝塚・東佐野

◆東岸和田駅は知っていた。前に泉佐野の資料館に行くとき、最寄り駅まで行き、歩いたことがある。なかなかたいへんだった。なので、ほかの駅も通過していたに違いないが、ぜんぜん意識していなかった。今回、東貝塚という駅があるではないか、東佐野という駅があるではないか。なんで全部、東がつくの。
◆東岸和田は、南海の岸和田駅に対して東にあるから東岸和田なんだろうとは思っていたが、それは岸和田の話だと思っていた。だが、そうじゃない(そうではあるが)。
◆結局、まず南海本線が通ったのだろう。泉州の主立った町を貫いて。で、現阪和線があとから東側にできた。岸和田でも貝塚でも泉佐野でも、位置的に東であるし、東のつかない駅名はすでに南海の駅でつけられているのだ。そんなこと常識なんだろうが、はじめて知った。ちゃんちゃん。

堺の環濠内はいいよ

◆前にも2部のハイキングで堺をめぐったことがある。今回、阪堺電車で南に下る。おりていないので、ハイキングの時の感想を書く。堺は国道26号線など、車がびゅんびゅん走る大形幹線道路が通る。だが、堺の環濠内の阪堺電車の通る大路は、道は立派だが、交通量は少ないでしょ。ちんちん電車が信号で止まって脇を見ても、止まっている車は2台、だったりする。かつての町屋がそのまま住宅地であり、古くからの店など、要するに、やっぱり歴史的に町として継続しているのだ。
◆そして静かなんです。これハイキングで歩いたときの感想、ちょっと横へそれれば、東西ともガンガン車が通っているが、中にはいれば、いたって静穏なのです。こんなところに住みたいものだ。
◆堺市も、かつての環濠を活かした都市計画をすればいいのに(既にやってる?)。一朝一夕にはいかないが、住宅地としての規制をかけ、環濠については、長期的に復元していく。すこしずつすこしずつ。そして、千利休も、与謝野晶子も、鉄砲鍛冶も、刃物も、黄金の日々の、歴史的遺産だ。今回、いくつかパンフレットを手にしたのだが、堺は地味なんだ。歴史にはコトかかないが、歴史的建造物などは、これもすっかり戦災で失ってしまったからなんだろう。だが、これからでも、歴史を活かした町作り、あるいは町おこし、ができると思う。過去の建物はなくなったかもしれない、それを今から作ってはどうだろうか。極端なことを言えば、全体を文化財として、すべて平屋、瓦葺きとし、往事の町並みにしてしまう、ということだって考えていい。映画のロケ地にもなるだろう、観光地ににもなるだろう、そんな町に住むことが誇りになり、積極的に歴史的景観を作り出すことに進めば、とも思う。簡単ではないが、200年くらいかかって、そこにもっていくことは可能だと思う。

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プロフィール

HN:
雲楽
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62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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