人を幸せにする人になろう

信仰

◆住吉大社は面白かった。なにが。その1。囲形埴輪を見た。d4a204d8.jpg祭殿というんだろうか、本殿というのか、神社のことはわからんが、それを囲う柵塀があり、それは板材を立て並べたもので、その頂部が三角形に切ってあるのだ。これ、囲形埴輪そのものではないか。
◆たぶん、古墳時代以来の様式なんだろう、と確信した。巫女さんが頭に冠を被っているのも興味深い。
◆タイトルは、熱心に参拝する人がいることへの驚き。こっちは無宗教で、無信心で・・・とはいえ、おみくじは好きだが、とにかく大阪に来てから、古い寺社に、ほんとうに心から拝んでいる人を見ることが多くなり、新しい発見で、とてもびっくりである。
◆生駒の宝山寺、信貴山のなんとか、石切神社、とにかく、信心深いというのか、いろんなことをかかえていて、それを寺社にお参りして、祈願している姿が、なにか新鮮である。名所旧跡だから行くのではなく(オレはそうなんだが)、地元周辺の人々にとって生きている存在なのだ。

どんどんと

◆どんどんと書きたいことが湧いてくる。こないだから思っていること。パリと京都、これに対する大阪だ。パリの町は美しい。300万都市。東京は1300万人で人が住みすぎ。だけどパリは盆地なので、おのずから範囲は決まっている。京都と同じだ。
◆しかし言いたいことは別。京都の町はふるい歴史的景観が、まだ残っている。町屋が大事にされ、若者も好んで空き家に住み着く。古い寺社のみならず、町に魅力がある。だから世界的な観光地だ。だが、大阪は違う。
◆なんでか、ということについてだ。大阪の人間が古いものを好まず、無秩序にどんどん勝手に家やらビルを建てたから、ではない。空襲で丸焼けになって、戦前の町がなくなったからだ、というのが主張だ。それだけではないだろう。京都の歴史はそもそも長い、そして、さらに戦災を免れた。それに対して東京や大阪は、近世以来の発展、近代化で、どんどん変わっていった、ということはあるだろう。
◆だが、そうではあっても、戦災がなければ、もうすこし違う形で展開してきたに違いない。例えば大阪の市街地が、戦災後、どれだけ人が入れ替わったかは知らないが、江戸時代から続く町、近代化、戦災がなければ、もうすこしゆったりと変化しているはずだ。そこに住む人は時々入れ替わりながらも、それは落ちぶれた場合であって、基本的に人は同じ所に住む。それが続いていて、町も、そこに住む人も継続していれば、激変はなかったに違いない。
◆だが、大阪の町は焼け、リセットされた。よーろっぱの、例えばパリの、石造りで、300年前、もっと古く建てられた建物が今も現役であるのと、木造家屋では確かに違う。だがそれだけではない。京都がその例になる。木造は確かに一定年限がたつと建て替える。だけど、だからむちゃくちゃになり、町の統一感が失われるわけではない。平屋の甍が続く町並みは少なくなっているだろうが、まだなお残っているし、鉄筋にになるにしても、スピードはゆっくりだし、規制もかかる。しかし丸焼けになることで、継承する町並みはなくなった。その要因が大きいだろう、と思うのだ。

瀬島龍三とドイツと日本

◆なんでそうなったか。カミサンが瀬島龍三のことを書いた文庫本を読んでいるらしい。あの人は多読・乱読。瀬島はイトチュウの社長・会長として君臨した。フジテレビで放送されていた不毛地帯のモデル。ドラマのようには美しくない。カミサンはしょちゅう言う。商社なんて・・・、と。まあそれは置いておくが事実だ。唐澤が正義感あふれる商社マンを演じようと、瀬島はイトチュウでは神様だが、あくどいことをいっぱいやっているんだろう。
◆で、瀬島はシベリアに抑留される。その時にソ連の兵士に聞かされたことだったかな。ドイツ兵も同じように捕虜となり、やはり強制労働させられる。だがドイツ兵は生活力があるんだとか。要するに茫然自失になることなく、よく働き、よく食べ、運動もして、たくましく生きる。それに対して、日本兵は、大日本帝国が負けて、茫然自失し、気力を失い、生きる活力を多くが失うのだとか。だが、なんか、生産目標などを明確に定めると、一生懸命に働くらしい。という違いをソ連兵が、ドイツ兵と日本兵を観察して指摘した、というのだ。まあ、あたってるんでしょうね。
◆個人と集団、ということ。そこから前回の米と麦の話におよんでいくことになる。本多勝一のいうメダカ社会、みんなが右を向くと右を向く日本人、というやつか。でも、どっちがいいとか悪いとかでなく、おれは歴史的に形成されてきたんだろう、と思ったわけだ。だから、そんな日本人が個人主義が発達しないのも仕方がない。だいぶ変わってきただろうし、ゆっくりと変わっていけばよい。文化なのだから。個人主義的なのが絶対善の唯一の価値基準ではあるまい。

草津線と麦

◆草津線を柘植から草津まで行き、豊かな耕地がひろがっていた。で麦がそこここに。昨年も、湖東へ行ったとき、一生懸命、麦の写真を撮った。今回、麦はまだ植えたばかりのところから、ある程度成長したものまで見たが、まだまだ緑で、黄色、そして茶色に色づいていない。
◆麦畑、とはいえ元は田だが、麦を見るには滋賀だ。滋賀はどうも意識的にやっているのだろうと思った。滋賀は豊かだ。出生率が2位だとか。いいところだ。
◆麦の話のついでに・・・。ウィットフォーゲルの話だ。話し始めると長くなるが、カミサンと、麦と米、ヨーロッパとアジアの話になった。オレは、稲作とは水利だと。個々人の田はあれ、それは順々に水を落としていくもので、水利紐帯で結ばれる共同体意識は強いと。それに対して麦畑は違う。日本の水田を裏作で麦を作るというのとは違う。西アジアは潅漑が発達しているだろうが、ヨーロッパの田園地帯は、日本でも北海道の畑地がそうだが、うねうねと自然の起伏があるまま麦を植えてある(たぶん)。ヨーロッパの水利を調べなきゃならんが(ウィットフォーゲルを読めばいいのだろう)、たぶん個々の天水利用なんだろう。自然の起伏のママだから、統一的な潅漑水路なんておそらくない。だから、それぞれが独自に水を調達するのだろう。なので、個々の経営体の独立度は高く、共同体的紐帯はむろんあるが、アジアとはまた質が異なるのだろう。
◆そんなことを主張したが、カミサンは納得しない。ほんまかいな、と。絶対そうだと平行線。なんでわかるの、オレの経験だ。チャンちゃん。ちゃんと勉強すべし。

志都美ほかあれこれ、そして敦賀

◆ふたたびプチ旅行から。和歌山線志都美駅、香芝市だ。この駅名、前から知っていたと思うが、今回、駅名を見て、ビビッとひらめくものあり。なんでしょうか。ある思いつきなんですが、いまただちに開陳するのはやめておこう。ネットでは、志都美の名の由来は拾えなかったが、少なくとも地名辞典を調べてからに9c5d7696.jpgしよう。
◆いつも小さなメモ帳をポケットに入れている。これ岡村道雄さんのマネです。で、電車に乗りながら、思いついたらメモをする。いまは、これ面白いかもと思うと、ブログネタになる、と発想する。で、今回、ここ何件かずらずら書いてきたのは、旅のまだ早い時期で、ちゃんとメモを取っていたのだ。だが、こっから先は、メモをしていないが、いまなら思い出していくつかは書けそうだ。
◆まずひとつ。三尾城はどこだろうと、ジロジロ車窓から山を眺めていた。前にこのブログでも書いた地点は、意外と低かった。これ鬼の城に比べると、ずいぶん低いな~、と。考えを改めて、もっかい検討しなきゃならん。
◆考えてみれば、こないだの旅、気比神社と住吉大社、はからずも神功・応神の旅となった。敦賀で1時間あるとわかったとき、ただちに気比神社に行こうと思った。なんで角賀の気比なのか、それは知らないが。でも行ってみると、お神籤で大吉がでたの5cf142e6.jpgはいいけれど、祭神は書いてあったが、イザホワケの名前の由来の話は、神社の看板にはなにも出てこなかった。
◆敦賀は松本零士のふるさとなのか、999やハーロック・エメラルダス、などのモニュメントがそこここにある。げげげの境港の方が有名だが。それと、いまもんじゅの再開でホットな場所であったのだった。それにしても、もんじゅ再開にあたって、透明性を訴える責任者の挨拶をテレビでついこないだ見たが、今日のニュースでは警報がなったのを報告するのが遅れたのだとか・・・。
◆敦賀って、どれくらいの人口なんだろうか。駅から町に降り立ったとき、丹後の宮津と比較した。同じくらいかな~と。だが、宮津も景気が悪いが、なんか敦賀も活気がないように思った。原発交付金に依存していては、独自の努力はしないかも、とふと思った。

アタカマ高原ALMAプロジェクト

◆世界不思議発見だったか、アタカマ高原の満天の星空が地球上でもっとも美しいとか。星が多く見えすぎて、星座にならないという話もよかった。5000mを越える高所、夜になったら真っ暗だろう。宇宙に近い、空気もきれい、さぞや美しいに違いない。で、生きているうちに、自分の目で見たいと思った。
◆テレビでもやってたが、いまそこで、国際協業で66基の電波望遠鏡を設置しているという。カミサンに言わせれば、いま日本でも、電波観測の第1人者はみんなアタカマ高原に行っていて、国内は人材不足で、電波観測のことでプロがいなくて困っているのだとか。

笠置を知る

◆やはりこないだの体験。笠置、つまり木津川(三重に入ると伊賀川)をさかのぼり、笠置を抜け、伊賀上野に入るルート、これ前から関心があった。なぜか。椿井大塚山古墳のことを考えていたからだ。桜井茶臼山が初瀬の谷を押さえるのと同様、椿井は伊賀からのルートを押さえてるんじゃないかと、考えてきた。しかし、その実際のルートを通ったことがなかったわけだ。
◆感想。峡谷がある、瀬がある。大和川でいうと亀の瀬、山が川に突き出し、川には岩がゴロゴロ、だけどそんなところは限られており、それいがいは川沿いに村が展開する。つまり峡谷が長々と続いていると、そして川も瀬ばっかりだと、なかなか古い時代に主要ルートにはならないかもしれないが、まあそうでもないと思った。陸路では十分行き来できるし(国道もあるし当たり前だろうが)、船でも、一部で直接行き来できず、乗り継がなければならないにしろ、限定的だ。やっぱり逆三角形の伊賀上野盆地の北辺の(断層だろう)ルートは、伊勢から南山城に抜ける重要ルートだ、ということを確認した。
◆それにしても、峡谷部分の花崗岩の岩場は美しかった。突然、そうした風景になり、あわててカメラを出していたら間に合わなかったので、写真はない(撮ったがうまく撮れてなかった)。で、またもや大阪城の石切丁場のことを思い出した。笠置から切り出したということもよくわかる。上野を領地としていた藤堂高虎が切り出したんだっけかな、忘れた。船に乗せて、木津川、淀川、そして大阪城へ直接、横付けしたんだろうな。

生駒トンネル

◆こないだ河内国分駅のポスターを見ていると、近鉄のポスターがあり東大阪と奈良県生駒をつなぐのに、ケーブルによる山越え案があったが、大工事であるトンネルを断行したことが、いまの近鉄の発展の基礎になった、といった内容だった。
◆いまネットで調べると、1914年に難工事の末に開通したといある。着工は1911年明治の話だ。落盤事故で死者も出した、経費がかさみ経営難にも陥ったとも書いてある。3.4㎞、よく生駒山を掘り抜くという決意をしたものだ。ポスターを見て、ちょっと感心した次第。よくやったもんだ、と。劣悪な条件での労働に対する非難がいまでもあるということも付け加えておくが。
◆いまの近鉄奈良線は、1964年にその南に新たに掘った新生駒トンネル、というものだそうである。

滋賀県湖西の石垣

◆湖西線に乗ったのは、いったい何年ぶりだろうか。小学校の時以来かもしれない。大学時代や結婚後京都にいd9e89b98.jpgた時は、バイクとか車になっていた。あれなんといったっけ、北白川から比叡山の南を越えていく道、足利健亮先生が、1回生の時の授業で最初に話をしていた。そう、若い頃のことは覚えているんだ。第1回目の授業から強い印象を残した。あの道をバイクで車で越えて、どこへ行ってたのかな。なんか遊園地に行った記憶はあるな。
◆まあよい。湖西線の乗って風景を見ていて、比叡山も比良山も花崗岩で、湖西は土石流がしょっちゅうで、花崗岩がゴロゴロといった解説をカミサンにしていた。「ウザイ」。近頃、解説をしていると、娘にしょっちゅう言われる。カミサンには、「あんたは上から目線なんよ」と。反省・・・。で、湖西の地理も覚えていないが、途中越のところとか、ところどころに琵琶湖に流れ込む河川があり、平野があり、最後は近江舞子の先で比良山系が琵琶湖に張りだし、トンネルを抜けると高島に入る。で、手前の比良山東麓部を見ていたら、あるところで、田圃の区画がすべて石垣の特徴ある一画にでくわした。きっと、開墾するときにたくさん花崗岩がごろごろ出てきて、それで石垣を積んだんだろうな、と思ったが、湖西のなかでも突出しているのだろう。ほかのところではあんまり感じなかったが、その特定部分は、見事な石垣をもつ棚田なのだ。これ文化的景観として文化財になるんとちゃう。

奈良盆地の水はけと田うなぎ

◆こないだのプチ旅行の時、いろいろ勉強になることがあった。奈良を走っているとき、カミサンが「水はけ悪いな」と言う。田圃に水が溜まっている。田植えのために水を張っているのとは違う、4月の雨、それが残っていてジュクジュクなのだ。むろん、エリアによって違うだろうが、確かに大和川しかない奈良盆地、地下水位は全般的に高そうだ。そんなことは考えてもみなかった。さすが、観察力が鋭い。
◆で、思ったのは、田うなぎだ。田うなぎ、は奈良で発掘するまで、その存在も知らなかった。加古川では聞いたことはない。これ、奈良盆地の水はけと関係あるのではないか、と思った次第だ。全般的に地下水位が高いからこそ、田うなぎが生息できるのではないか、と。さて、これは当たってるのだろうか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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