人を幸せにする人になろう

元稲荷古墳

◆向日神社に入る。参拝。古墳に向かう。気になるのは、封土がむき出しで、流出を止めないとい けないのではないか、ということ。写真は前方部だが、後方部もそうで、肩のあたりは封土が露呈している。

五塚原古墳

◆前に向日市が掘っている時に見学させてもらったが、行き方はすっかり忘れている。市役所に車を止めて案内されて歩いて行ったので。住宅地の街路から近いので、入口になっている公園のところまで車で行くことはできる。今回はやはり歩きましたが。
◆公園から歩いていくと(これも封鎖している形なのだが・・・)、前方部にたどりつき、そこから後円部に向かう。調査時の風景は覚えていないが、調査区のあたりは当然伐採して開けていたんだと思う。しかし、しばらく経つと、山なんで草木がかなり繁茂している。写真は後円部から低い前方部を望んだものだが、ようわかりませんよね。

寺戸大塚古墳

◆向日市の資料館で、出土遺物を堪能する。写真もバチバチ撮らせていた だきました。そのあと 現地。いま後円部の崖面をさわっているのかブルーシートがかけてあり、柵が閉じられていて、おとなしく外から概観しました(ほんとです)。

物集女車塚古墳

◆前にも学生らとの見学会で寄りました。いま、乙訓古墳群の構成資産と して、国史跡になってい  ます。羨道部を解体して組み直している。横穴式石室は、年1回、公開しているのだろう。
◆1983年夏の発掘から40年。浪人して19歳だったんだ。なつかしい写真はいろいろあるが、アルバムが見当たらないので、見当たった1冊から。自分がどこのトレンチを掘っていたのか、正確に覚えていないのだが、北くびれ部だったような。N先生とのおつきあいも、ここに始まる。またこの時、みなで長法寺南原古墳の発掘を見学に行った。そこで初めてT先生をお見かけした。

樫原廃寺

◆八角形の塔の北側も史跡地となり、フェンスで囲むが、間に民有地があるためか、まだ、基壇を  整備している塔跡からひとつづきのものとして整備はなされていない。

樫原宿

◆山陰道と西国街道の交点に位置するという。前に知り、行ってみたかっ た。まち歩きというわけ  にはいかないが、車で通りました。
◆インターネットには本陣が残っているとのこと。ただ個人宅でいまも住んでおられるので、公開施設にはなっていないらしい。豊橋で行った二川本陣の図録では、樫原宿本陣はのっていなかった。

天皇の杜古墳

◆前に来たのはいつだっけ。最初は1983年5月。大学に入学して最初のGW に乙訓の古墳をだいたい まわった。京都市が発掘したのは大学院生の時だった。この史跡整備、周囲にはある程度土を入れて貼芝をしているのかな。2段分が明瞭だが、その裾にあった段は埋まっているように見える。
◆後円部墳頂の巨木は伐採した方がいいように思うが・・・。

2023年10月29日、乙訓見学会

◆考古の学生らとの見学会。阪急桂駅集合。天皇の杜古墳→樫原宿→樫原廃寺→物集女車塚古墳→向日市資料館で寺戸大塚展→寺戸大塚古墳→五塚原古墳→元稲荷古墳→長岡宮大極殿→勝龍寺城→鳥居前古墳→大山崎町資料館。JR山崎駅で解散。
【追記】寺戸大塚は西殿塚型だろうか。

新聞記事から

◆製紙業が飼料作り、なかなか面白いですね。
◆もやしの記事も。

2023年10月26日、安野光雅展

◆あべのアルカス美術館で開催されている安野光雅展に行く。20時までやっているとのこと。が、 到着は19時過ぎ、閉館時間まで、なんとかひととおり見ました。途中から時計をにらみつつだったが。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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