人を幸せにする人になろう

2025年8月3日(日)さてと

◆窓側(北側)はすっきりした。飽きたのでブログを書いていました。このあと、もうひと頑張りし、ドアの両サイドをやっつけると、ほぼカタがつくんですが。さてと。

九州

◆1986年の免許話の続きを少し。山形から帰って免許を取り、先輩のM村さんにバイクを10万円で譲ってもらい、バイクに乗り始める。毎月1万円ずつ支払う約束でした。バイクに乗ったのはN納先生の影響です。大学1年時のN納先生のバイク姿がカッコよくて。いろんな影響を受けていますね。
◆で、1989年7月のM2時の研究室旅行。大分に行き、そのあとバイクで九州を一周した。
◆で、大分には神戸発のフェリーだったので、バイクで行ったわけです。九州の20万1、こないだ1枚捨てたが、残りが出てきて、経路が記入してあるので、取っておこうか。で、別府で泊った翌日の朝、ロビーにいると、テレビで、中森明菜が手首を切ったというニュースが流れていたことを思い出す。赤塚とかも行ったが、亀塚の記憶が残る。
◆終了後、宮崎に下り、例の寝袋で野宿。浜で寝たように思うが、その先は何泊したかは覚えていない。持田古墳群、西都原古墳群など。前に西都原で講演した時、この時撮った女狭穂塚前方部の写真を使った。3段が美しすぎて。
◆唐仁大塚、横瀬。地図を見ると、西に向かい鹿屋。桜島に行かずに一周して鹿児島入り。そこでI藤君に出くわす。そのあとは山の中を通って出水に向かっている。去年行ったが、この時は通過しているだけですね。水俣、八代、宇土、熊本。そこから珍しく高速に乗って江田船山に行ったようだ。そこから先はルートの記入はないが、古墳の位置を落としている。佐賀の船塚、八女の岩戸山・石人山、日の岡など、まわった記憶がある。ひとまずこのくらい。
◆そうか、毎日、絵はがきを研究室宛てで書き、回収したものがあるので、ほぼ復元できるのだ。

1986年山形

◆山形の20万1です。1986年春に行くときに買い求めたのだろう。年老いて、記憶も定かでなくなるので、ついでに思い出せることを書いて見ようか。
◆生協においてあった合宿免許のチラシを見て、楯築で一緒になったI見君が山形にいたので、山形を選んだ。3年生から4年生に上がる春休み。福島駅集合。ところが何日に集合とあったのを、勘違いをして前日に行っておかなきゃならんと考えてしまい、駅に降り立つも、迎えは来ない。ああ失敗。ホテルを取って、なくなく1泊。翌日、バスに乗せられ、山形に向かう。そこから同室者も一緒だったか定かでないが、宿舎で同室となった者は、多くが阪大生だったと思う。これに東京理科大だったか、あとは・・・。バスは米沢盆地を抜けて山形中央自動車学校へ。
◆宿舎は山寺のさびれた旅館。合宿生がわんさか。とはいえ、終わりかけのグループが多く、どんどん減っていた。東北大に行っていた高校の同級生に確か出くわすという、そんな偶然あるのかといったこともあったヤニ。まあ、春休みの合宿免許でも、最終版の日程に応募したわけだ。
◆合宿って、どのくらいなんだろう。15日くらいだろうか。こっちは自動二輪と2つの免許を申し込んでいた。でバイクの卒検で急制動でライン内で止まれず延長となったわけだ(追加料金は不要
)。なので、同室のやつらも車の免許を取って引き上げていき、最後は少人数。空いている日に蔵王にスキーに行っていたヤツもいたな~。駅を降りるとすぐリフトなんだそうです。
◆この間、菅沢2号墳のトレンチの埴輪片の出土状況図を書いていたことは、前にも書いたと思う。

1988年会津

◆会津盆地の20万1地勢図が出てきた。よく見ると、大塚山、亀ヶ森、虚空蔵森など、前方後円墳をチェックしていますね。
◆前にも書いたかもしれないが、たぶん、日本海まわりで新潟に行き、磐越西線というのか、で会津入りしたと思う(かすかな記憶)。帰りは郡山に出て、東京に出たんだと思う。で、東博で都出先生の講演を聞いたわけだ。これはS田さんと会う約束があって、S田さんがこんなんあるから聞きに行こうと誘ってくれたんだろう。

大山

◆鳥取です。小学生の頃、鳥取砂丘に行ったのかもしれないが、わかりません。ちゃんと行ったのは、コウコケンで島根・鳥取に行った時。大山西麓のペンションに泊まって、夜、牧場の広がる場所で、天の川を眺めた記憶がある。見学先で覚えているのはどこだろう。仲仙寺とかの四隅を見た記憶がなんとなくあるが。鳥取と行っても伯耆です。これはしかし担当がセッティングして連れられて行ったので、自分でちゃんと調べていない。
◆で、1988年(M1)の研究室旅行で鳥取に行くことになる。分担してパンフレットを作るのだが、わたしは鳥取県出土の鏡集成をやった。手に入らない文献を求めてバイクで下見に行ったわけです。この地図は、この時に購入した20万1地勢図だろう。なんといっても、京都には関西地図センターが大学の脇にあったので、すぐに地図が買えた。
◆はじめて野宿をしたのもこの時。そもそも9号線を地道で行ったんでしょうね。寝袋をもっていないので、鳥取市内のそういう店で購入したかすかな記憶がある。その寝袋、いまもあり、昨日、自宅にもって帰った。泊ったのは鳥取砂丘だったと思う。文献はどこに求めていったのかな。県の文化財センターを訪ねたようにも記憶する。
◆この時に大山に登ったんだと思う。2泊目をしたかどうか定かでないのだが、大山神社に泊まったようなカスカな記憶が・・・。朝から登り、かなりシンドかった。頂上より向こうはガレ場で危険なので、引き返す。

雪野山報告の時の資料

◆雪野山の報告書の時、鏡を担当したが、倭製の内行花文鏡とダ龍鏡がある。これらについても、考察まではいかないが、一定の位置づけをせなならん。その時の参考文献のコピーなどが出てきた。すべて捨てた。ダ龍鏡については、資料カードを作っているようです。三角縁のように図録写真等を複写して焼き付けてなど、そこまではできないので、コピーですが。きっとナブンケンのコピー機でやっていたんでしょう。

卒論の図版か

◆箱詰めしていると、卒論のコピーが出てきた記憶がある(数日前のことも思い出せません)。即、捨てようかと思ったが、たぶん森之宮行きの箱に詰めたような・・・。
◆で、図版の鏡の写真を貼ったものが10枚程度出てきた。提出物は出したっきりなので、完成版の手前のものなのだろうか。この画像は、それらの準備のための割り付け見本のようです。B5で6枚を割り付け、図版番号や下のキャプションをロットリングで書き込もうとしている。もしかしたら、卒論翌年の聴講生論文の時のものかもしれません。でもこの時、1987年度にはワープロを導入していたので(兵庫県のT賀君に借りたワープロ)、たぶん卒論時だろう。きれいな図版を作るのは、五十川さんの薫陶の賜物ですね。

三角縁神獣鏡の一覧

◆罫紙に手書きです。資料カードを作り、複写して印画紙に1/2に焼き付けたものを貼り付けたのは、このあとなのでしょうか。こういう作業は『椿井大塚山古墳と三角縁神獣鏡』の一覧につながるのでしょう。一覧はM下さんとやっていた。ですが、わたしは鏡から離れ、いまでは三角縁の地名表のことはトントわかっておりません。最新の一覧は何かあるのでしょうか。わたしの知識では、図録『大古墳展』(2000年)止まりです。

ものを捨て続けている

◆机を置いていてシャドウになっているところからモノが出てくるので、昨日に引き続き、分別、処分を進める。ナブンケンの年報、ぜんぶ取ってあったが、すべて捨てることにする。
◆なにやらB5の紙のたばがあるので見ていると、1986年に卒論を書いていた時の資料類だった。先行研究を原稿用紙にまとめている。普通はノートですよね。この頃、B5縦の横書き原稿用紙(むろん横にして縦書きでも可能なんだろう)にいろいろ書いていくことがカッコいいと思っていた気がする。
◆で、梅原・小林らの業績をまとめた罫紙が出てきた。ワープロ以前、手書きです。なんでこんなことをやっているんでしょうね。

2025年8月3日(日)

◆段ボール箱が切れたので、箱詰めはできない。机まわりを片付ける

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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