人を幸せにする人になろう

太閤堤

◆史跡整備の工事が進んでいる。
◆横にウジノワキイラツコの墓がある。さて、ウジノワキイラツコの墓は延喜式にあり、12町四方の兆域があるという。成相墓が15町×20町で、馬見丘陵を広大に取り込んだ様子があるが、宇治墓も7世紀終わりには、なにがしかの実態を造り上げたのだろうか。
◆応神の子。例えば髪長媛だと、西都原女狭穂塚があって、なにがしか実態があるとみられる。それに対してウジノワキイラツコは?。何か考えるのであれば、黄金塚?と思ってしまうが、あそこは宇治郡なのかな。宇治上神社の祭神がウジノワキイラツコで、平安時代には、ウジノワキイラツコ墓?がいまの宇治のあたりに結び付けられ、祭られている。
◆わたしの見立てでは、応神の子が履中と仁徳で、履中がほんとは食国政で(のりわけではオオササギの役割)、仁徳がほんとは日継(のりわけではウジ)、とみているが、難問です。

プラグイン

カレンダー

04 2024/05 06
S M T W T F S
2 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索