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人を幸せにする人になろう

田辺から中辺路で本宮へ

◆熊野古道の話も、仁木さんの解説を聞き、いろいろとパンフや学生の解説、いろんなところの説明文で、ずいぶんと学9aaf562c.JPG習させていただきました。熊野は3回目、1回目は1990年代前半のはず。2回目c52e9969.JPGは、世界遺産になったあと、家族で瀞峡遊覧とかして熊野をめぐった。
◆道の駅にある、熊野行幸に同行した藤原定家の日記から、その工程を再現した説明板はよかった。だいたい片道2週間くらいのよう。そこから平岩口まで09a5d187.JPG移動し、ちょこっとだけ本宮まで古道を歩く。車で行くと、神社の駐車場に乗り付けることになるので、初めて。まあしかし、もっとも整えられているような場所になるんだろう。また森のなかも植林ばかりで、これはこれで近現代の産物で、景観はだいぶちがったものであったろう。
◆本宮。今回、教室旅行で、すべて宝物館が組み込まれ、普段なら金出して入ることのない宝物館に入る。本宮の宝物館は新しくしたのか、展示は整っている。鉄釜がデーンとあり、オヤ、鏡が2面。うち1面は贋物くさい。
◆神社の方に説明もいただいた。イザナミ・イザナギ・スサノヲ・アマテラスを祀っているんだとか、そんなことも、ちゃんと知っておりませんでした。で、メインはスサノヲとのことです。なんで?。これも追求し始めると、クマノというのがどういう場所と考えられてきたとか、いろいろあるんでしょうね。
◆弁当を買ってみなで河原へ。そして熊野川で石投げ。まったく家族で来たときと同じことをやりましたが、みんな、石投げとか、あんまりしないみたいでヘタです。
◆ヤタガラスの話を聞く。『日本書紀』のヤタガラスが3本足だとはどこにも出てこないわけで、それが3本足にむすびつくのは、東アジア共通の話ですよね。まあ別にいいのですが、それが本宮で定着し、文字ができるのも文化としてよいのですが、サッカー日本代表のマークにはふさわしくないように思うが。
◆それと本宮は川にあってこそだったわけだが、明治22年だかに流出して現在地に移されたという。それはそれでいたしかたないことだが、熊野古道のめざす先という場合、ちょっとね~とも思う。
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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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