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人を幸せにする人になろう

95歳の記事

◆連載しているのをず~と読んでおります。 自分に何ができるわけでもないが、ブログを読んでいただいている人に、感じたことを伝えていくのも、やれることのひとつ、と考えております。
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内閣府補佐官と前事務次官の2人の証人喚問を

◆ここまできましたね。和泉という補佐官が「首相の意向を伝えますよ」と、事務次官を呼び出し (来てもいない)、なんとかしないと、首があぶないよ~、と。

市大日本史の講演記録

◆これ、全国の文化財の職に就いている人に、是非、読んでいただきたい!。購入希望がありまし たら、お申し出ください。Sさんの『月刊文化財』544(2009)も読まな(読めてません)。

久津川概報

◆こないだKR研、行けませんでしたが、その時にできあがったものを、もらったようです。大枠を作る くらいで、実務は道上氏。みな原稿を分担し、とりまとめてくれました。ちと印刷が・・・

近鉄文化サロンも無事終わり

◆昨年12月の都市史学会のネタそのまま。そこに上町窯のデータを積んで・・・。和気清麻呂君が水路 を掘って神崎川に連絡した。難波津が、土砂堆積もあり後退していく、というのは間違いらしい。神崎川河口部に遺跡が表れてくるのだろうが、それはいつなんだろう。前に兵庫県考古博で特別展があって、そのへんをやっていて図録も買ったはずだが、出てきやしない。
◆天満・船場の遺跡遺物は途切れることなく続く。むろんかつての独占から、尼崎から兵庫あたりに湊も発達してくるのだろうが、そういう諸遺跡と比較し、時間軸をそろえてならべながら、大阪湾岸の交易と、それぞれの港の特質を考えないといけませんね。そういう論文もあるのかもしれませんが、わたしは知りません。

1983年

◆深い意味はありませんが、朝日新聞の土曜版で、1983年にはやった歌がランキングされていたので・・・。入学した年です。が、テレビなし、電話なし、風呂なし、キッチンなし、の1万数千円の下宿でした。同じ時に、も一人隣に下宿し、岡山朝日のやつで、テレビの音が聞こえてきました(彼には黒曜石で指を切ったとき、SOSを出し、医者に連れて行ってもらいました)。
◆そんなんで歌番組も見ないし、ラジオをどこまで聞いていたかもわかりません。世間のはやりなど、ほぼ無関係な暮らしでした。
◆新幹線にのったこともなく、まして飛行機に乗ったことも、外国に行ったこともありません。自分の子供のことを考えると、四半世紀でもだいぶ変わります。
◆はじめて新幹線に乗ったのは、おそらく3回生くらいで、大垣夜行の人民列車で東京国立博物館に行きました(なんか企画展をやっていたんでしょうね。日本考古展?だったのかな)。朝4時頃?過ぎ?に着いても、開館まで時間をつぶすのが長かった。6時になると上野公園にラジオ体操をやる人が集まってきたが、その先もまだ長い。上野駅周辺に、24時間やっている店なんかもほとんどなかったと思う。ピンク映画館はやってたかもしれませんが。
◆はじめて飛行機に乗ったのは、研究所1年目だったか。山形の庭園の測量に駆り出され、帰り、本中さんが飛行機で帰ろうと、急遽、そうなった時(小Uさんもいたから、1年目じゃないな)。
◆そしてはじめて外国に行ったのは、研究所4年目かなんかで、M・O・K・Uさんのかばん持ちで行った中国瓦調査でした。名古屋空港から、中華航空で北京入りしたのだった、と思う。
◆まったく深い意味はありません。

佐久は豊かだ

◆で、佐久に抜けたら田植えをやっていました。むこうに名峰がある。なんやっけかな、蓼科山と 思ったが、あれが浅間山なんですね。ふもとは軽井沢。それを抜けるのが碓井峠。これを越えたことがないから頭に入っていないんですね。
◆佐久平は豊かです。小諸はその上か。そして、文化庁に行く直前に、上田のなんとか博物館(美術館)に瓦を見に行ったが、上田はさらに北、地峡部を越えれば善光寺平という北辺にあるのですね。勉強になりました。
◆JAXAの臼田のアンテナは、佐久穂町とあるあたりから西の山深くに上がっていったところ。野辺山は、最高地点の駅というので有名だが、小海、南牧と、千曲川を下り、川は東にそれていく先 に、八ヶ岳から張り出した高原が立ちふさがっており、ここを線路で上がっていくのが大変なのだそうです。で国立天文台は、この高原の南のへり近くにある。帰りは南下して山梨県のインターからでした。
◆昔、茅野からバスに乗り、八ヶ岳に上り、とにかく東に清里駅まで歩き(もちろん登山地図はもっていましたよ)、小海線に乗って南回りで白馬駅にたどり着き、駅で泊まり(宿泊施設がある)、翌朝から今度は白馬に上って降りてきて、糸魚川経由で京都に帰ったことを思い出す。テルちゃんらの代の考古研の旅行に参加し、解散後のことだったと思います。
◆それと、昔、山梨のなんとか遺跡という縄文の遺跡調査に3日ほど参加したことを思い出します。その時は、身延線だったのかな。

辰野、そして塩尻と岡谷

◆昔、信州ワイド周遊券で、長野県をまわっていた時、この三角が面白かったことを思い出す。こ ないだ行ったとき、だいたい、こういう三角になっていたことは思い出したが、泊まる塩尻はどこやねん、諏訪湖はどこやねん、というちゃんとした地理観はもっておらず思い出せませんでした。
◆実は伊那谷をちゃんと訪れたことがありません。飯田市も。昔、これは文化庁時代の職場旅行の帰りだったか、なんかの出張の帰りだったか、とにかく飯田線に乗りたくて、丸1日かかって浜松に出たことがある。天竜川駅で乗り換え。乗り換え時間の短い時間に馬刺しを食べた。
◆中央道では中津川から東へ飯田に向かい、恵那山トンネルで抜けるわけだが、中山道はその西背後の谷あいを通っているのですね。奈良井宿も。馬篭には市大の研究室旅行で行ったが、おそらく中央道で行き、ちょこっと北上したのだろう。木曽の谷を味わわなあかん。

ついつい

◆今日もまた行楽日和です。大学の学童保育(とくに意味はありませんが)。
◆考古学をやるには、人間の暮らしに理解や興味がないとダメですね。こないだ佐久の平野を走っていて感じました。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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