人を幸せにする人になろう

博物館実習Ⅰ学内実務実習(考古)6月28日

◆見学実習が終わり、今週から4週、実務実習で、最初が考古資料でオレ。いろいろ考えたが、28人に対し、考古資料の取り扱いとか、梱包とかやってもどうかと思い、共通して必要な写真撮影にした。これは改めて後期にもやるが、要するに、考古資料をさわり、据え、それを写真に撮ることをさせた。ズームも使わせず固定し、それにしたがって被写体に近づいたり離れたり、そして構図を決め、オートフォーカスでなくピントをあわせた。配布した資料ではマニュアルで、絞りとシャッタースピードをさわらせようとするも、デジカメの基本を教えることは面倒くさい。また三脚を使わせる予定だったが、とてもそんなことではまわっていかないので、結局は、オートモード、手持ち。5人5班を原則とし、台に紙を貼り、そこにまず縄文土器を据え、とにかく5人全員にシャッターを切らせる。終わったら、次は中型クラスの土器、最後はサヌカイトの剥片まで、モノを5~6取り替えて、とにかく写真を撮る経験をさせたというところだ。
◆部屋は仮住まいで狭いし、28人でぎゅうぎゅう。まあ、こんなところですな。今回は、とにかく一眼レフデジカメをさわったことのない大部分の人に、カメラを構えて写真を撮らせたと。次やるとすれば、個人でなく、班ごとに作品を作らせることにしよう。モノを選び、どこを正面にするか、そしてちゃんと据えて、三脚にカメラを取り付け、マニュアルでいい写真を撮ることをチーム全体でやる。画像をパソコンで調整し、インクジェットプリンターで例えばハガキ大に焼かせて、形にし、提出するといったことをやろう。
◆まあしかし、この科目、通年だが、後期が思いやられるな~。やっぱり15人くらいまでですよね。ほんとは2クラスにするんでしょうね。
◆ということで、この木曜日は、神戸大学をあわせて3コマで疲弊。5限の博物館実習が終わって18時、なにもする気にもならず。で、スペインの時にセビリヤに一緒にいった小林さんが、1週間ほどカミサンの研究室でCTとか撮っているとのことで、この日はメシでも食べに行きましょか、ということになっていたのである。結局はハイハイタウンのおやじ呑み屋となりました。

で条里の原稿を書いているのですが

◆行き帰りの電車のなかで原稿を書いていた。19時に大学にもどり、あと3時間。そして土日は集中!。とはいえ、明日は大学院のオープンキャンパスがあり、担当で出なけりゃならんのだが、拘束時間はさほどでもない。
◆一方、こないだ、大阪城の成果報告会で一段落したので、大阪市関係の各所+αに、レーダー探査、石垣・天守台の、わたしのもっている成果物を届けるべくDVDに焼いているのだが、けっこう時間を食う。6月23日の成果報告会には、南さんも市川君も、森さんにも来ていただき、南さんと話をすることができたことは収穫であった(天守閣・松尾さんはもとより入ってもらっている)。こっちは、大阪市博物館協会との包括連携協定が締結されたことにもとづき、共同研究として着手したつもりであり、2011年度は何人かの方に入っていただいていたが、今年度もまた実質的には市大の調査として動くことになろうが、市教委・研究所と一緒にやるという形に近づけたいモノと願っている。まあしかし、フットワーク軽く、研究所などに出入りせなあかんのやろうな。みんな忙しいしな~。

ほんでもって、また岩屋山式、と阿武山

◆菱田さんに西宮古墳の須恵器はいつ頃、とかいろいろ聞いてみる。まあ、岩屋山式は飛鳥Ⅰでいいということに賛同してもらった。ついでに阿武山のことを振ると、テルちゃんの説には反対のよう。いろいろセンの話を聞いたが、これは詳しく書くとマズかろう。とにかく、いまわかっている須恵器は築造年代を必ずしも示すものではない、なぜなら石室のセンから追求が可能だ、ということのよう。
◆なので、阿武山は、多武峰の縁起は横に措き、古墳の年代そのものについて、考える材料があって、カマタリの可能性はある、ということのよう。確かにええ場所にあるわな~。それならそれで、阿武山にガイコツがあるので、多武峰に改葬したというのはデマ?。まあ、この問題にはあまりつっこまないことにしよう。山科と三島の領地についての文献研究が、かなり研究が進んでいるようである。
◆それにしても、菱田さんに敬語を使われると気持ち悪いんです。後輩なんですから・・・。
◆もうひとつ、当たり前なのだが、岩屋山式の年代を上げるということは、薄葬令に直結し、その実効性の見直し(オレはかなり効いているとみる)が必要となる。卒論生には、そういって、これが方針だから、あとはいかにちゃんと石室を配列し、7世紀後半のものを含めてキチンと点検するかだ、と課題を明確にしておいた。

2012年6月29日 城陽市芝が原整備の委員会 暑い!

◆行ってきました。が、正直、数日前から欠席しようかと思っていた。この金曜日は別に会議も入っておらず、土日も珍しくd0c5aff2.JPG空いており、また来週は集中講義による休講もあって、迷惑をかけている和泉市の原稿に集中できる環境にあるので。行き帰り各2時間、現地で3時間、7時間はきつい。どこかで時間を売っていれば大金を払ってでも買うのだが、時間はみな平等である。
◆会議は、やはり行って良かったのであるが、まあ、中身はやめておく。朝、カミさんと上のような話をしていると、スカイプによる会議とか、別に、例えば1週間とかの間に資料を見て、空いている時間で意見をのべるサイバー会議というのもあるらしい。そういうのを提案したら、と言われたわけである。まあ先端はそうかもしれないが、なかなか一般の行政ではそこまでいかんだろう。杉原さんや菱田さんや小野さんと話ができたこともよかったし。
◆で、杉原さんにも「時々ブログを見ています」と言われてビックリ。菱田さんには、「うちの学生も見ている」、それで現地に行くときにカバンのなかのデジカメを持って出るのを忘れたため、菱田さんから「ブログに使えと」データをもらう。右の写真はそれ。のぞき込んでいるのは誰だろうと思ったら、自分だった。小野さんにも、根来の件について県の文化財保護審議会の話を聞く。
 

山田高塚古墳東石室の羨道側壁の切石加工

◆で、また岩屋山式がらみなのですが、推古陵の羨道壁面の写真をアップしておきます(宮内庁さん、問題があるようなら、削除しIMG_6637.JPGます)。左下隅。内面は平滑です。
 

桜井線の車両

◆ド派手に車両の塗装がなされているが、アピール力は大きい。大和路線には走らさないのか。車両のなにがしかの規IMG_1057.JPG格が違う?、オレにはわかりかねるが、奈良盆地内JRとともに、大和路線でも見たいものだが・・・。

天武持統陵が調査されてたって!

◆という話を聞く。で、ネットで検索すると、ニュース番組が拾えた。ふ~ん。まあ、いまのような発掘調査ではないにせよ、例えば舒明陵や天智陵の墳丘調査の報告を『書陵部紀要』で報告した際に、付記しといてくれたらよかったんでしょうね。まあ、しかし、野口王墓が八角であることは明白なので、それで研究が停滞したということはあるまい。
◆いまの関心からすれば、岩屋山古墳が八角かどうか、これを確定させることは重要なので、やってくれないものかと思うが・・・。

モガリ

◆今日の卒論演習でモガリの発表があったが、まあ7世紀以降は宮殿の南庭でやるのが基本になるようだ。6世紀までは、欽明が河内古市、敏達が広瀬と、出身地とか本拠地に遺骸を戻す、と理解できる。
◆わからんのは、和田アツム氏が河原で骨化させるみたいなことを考えている、その根拠で、それはタケチの挽歌の解釈らしい。でもそれだけ?。で、和田先生は、ぜんぶそれで解釈しようとしている、それは無理があると感じざるをえない。古墳で骨が片付けられているものもあるのも確かながら、少数派であって、ほとんどは横たえられたままでしょう。骨を洗うとか、どっから来るのか知らんが、根拠は確かなのか。それでもって導水施設をモガリの場という解釈が出てくる。たぶん大方の支持はえられていないのだろうが。
◆敏達のモガリの広瀬は、のちの広瀬郡の、あっちの地でしょう。とはいえ、敏達王統が、あっちに本拠地をもつのは確かだが、それは息子の代以降では確実ということ。敏達の時に所領をえたと考えているのだが・・・。百済宮の議論を含め、キノヘの問題も、オレには何が何だかわかりません。小澤さんに聞いてみよう。
◆で、欽明の河内古市。やっぱりタシラカは古市で欽明を産んだんでしょうね。やっぱりそう考えざるをえまい。そうすると、蘇我氏の本拠地は南河内?、とも思ってしまう。稲目は欽明とともに大和に乗り込んでいく?。確かにタシラカとの婚姻は必要、だが、欽明が当初から本流の血統として大事にされていたかどうか、怪しいかもしれませんね。
 

住まいのミュージアムも

◆大阪城の報告会で「すまい情報センター」を使ったわけだが、この組織、4月5日に公表された施策・事業の見直し案のなかで大きく見直される方向で、そのなかにある「住まいのミュージアム」については、他の博物館との統合、または廃止【A項目事業】との見直し内容が打ち出されていたのですね(実施時期・平成28年度)。他の博物館群との一体的管理の検討に委ねられるのか・・・。そのパブリックコメントも締め切られ、意見が寄せられている。
◆こないだは、海の博物館は廃止という記事も。

大阪中央郵便局を守る会のアピール

◆総会時に、この資料を配付し、長山さんにアピールをいただいた。このなかの末尾、法改正があったという、ここのとac5ae9bf.JPGころがどういうものか、よくわからないのだが。専門家が原告として適格と認定されるようなものらしい。それで、建築史の研究者は、広く国民が文化財のもつ公益性を享受するのみならず、学問の自由や職業の自由を侵害されることになるとし、文部科学大臣が重要文化財に指定しないことに対して、「義務付け訴訟」を起こした、ということらしい。ネットにわかりやすいものがあったのでエッセンスを。

・行政事件訴訟法の一部を改正する法律(平成16年6月9日公布(法律第84号))で、原告適格の拡大、義務付け訴訟・差止訴訟が新設されたことを言うらしい。
・行政事件訴訟に対して、国民の権利利益のより実効的な救済手続の整備を図るために、次の4つを柱とした行政事件訴訟法の改正が行われました。1.救済範囲の拡大、2.審理の充実・促進、3.行政訴訟の利便性の向上・簡明化、4.本案判決前における仮の救済制度の整備、など。
・救済範囲の拡大として、「義務付けの訴え」の法定というのが新設されたとのこと。これは、一定の要件下で、行政庁が処分・裁決をすべき旨を命ずることを求めるもの(「差止めの訴え」も法定されたそうだが省略)。
原告適格の拡大というのもあるらしい。
・判決前における仮の救済制度の整備も規定され、仮の義務付け(仮の差止め)として、裁判所は、仮に行政庁に対して処分・裁決をすべきことを命じる(仮の義務付け、仮の差止めも)というものらしい。

◆なので、新たにできた「義務づけ訴訟」という制度にしたがって、文部科学大臣が重要文化財に指定すべきにもかかわらず、それをせず、取り壊されようとする場合に、裁判所が「指定せよ」と国に命じることができる、ということのよう。で、法改正の趣旨に鑑み、裁判をやって、判決が下る時には建物はなくなっている、というのでなく迅速に、実際上は、文化財保護法に言う「仮指定」を命じるということを求めるということのよう。
◆これ、けっこう文化財にとっては、大きな影響をもつものである。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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