人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2022年6月4日(土)
◆ほとんどヒストリアで終わる。6月号がまたバタバタ。いろんな会告や案内などもあり、どこに入れようかと。頁数を稼ぐために、難波宮と高輪築堤の記事を書いた。まあ、こういうのも、誤りのない記事を書こうとすると、資料を集め、読み、時間のかかるものです。なんとか88頁まで行った。そうかまだ、伏見城の報告書が刊行された案内文をかかなあかんか。
◆そのあと総会資料を作って、これは完了。通常の編集委員会報告の資料も作ってしまうか。
◆明日は佐紀陵山に全力投球である。帰るかな(20:00)。
◆そのあと総会資料を作って、これは完了。通常の編集委員会報告の資料も作ってしまうか。
◆明日は佐紀陵山に全力投球である。帰るかな(20:00)。
富山で
◆面白かったのが石黒由高の展示。和算に秀でた人物で、また伊能忠敬の測量に同行し、自ら加越 能3州の測量をやった人物。このコーナーが、ひとつ部屋を取ってあり、充実していた。中身も面白い。
◆放生津は、潟になっているんですね。内に入ると穏やかで、港として発達したみたい。横に長く、放生津というのは総称なのかな。
伏見城は6月10日できます
◆結局は、6月2日に最終GOとなったのだったか。印刷屋から6月10日ですと言ってきた。執筆者分のレターパックを用意しておこう。めでたし、めでたし。6年もかかったが、いい本ですよ。
2022年6月3日、河内長野
◆また勉強させてもらいました。
1830から21:30まで、西条酒造の石川べりのホタル観賞にさそわれ参加しました。高野街道が一本に集まるのが河内長野。鋳物師、吉年家を見て、酒蔵通りを行く。わずかな長さではあるが、昔の街並みが残る。
◆天見もよいそうだ。勉強になる。
◆あとはメモ。5綿8社。明治20、大阪の木綿アウト。八木通商。国民会館(國民會館の創設者武藤山治は、私財を投入して昭和7年に社団法人國民會館を設立、翌年には大阪城のお堀端、天守閣の真正面に当時としては数少ない1200人を収容出来る「國民會館」を建設して、爾来九十
年近くにわたり、国民の政治教育を中心する公益事業を追求してまいりました。その間平成2年老朽化の為「國民會館住友生命ビル」として建て替え、)。以前に、考古学の研究会があって、建て替え前の国民会館に、1回行っていると思う。寺田紡績(明治45年4月 寺田利吉氏が資本金50万円で紡績業を操業)。奈良漬の元祖は、玉造で酒粕にウリを漬けたのが最初だとか。大阪の金持ちは、真法院町→帝塚山→御影と家を移したのだとか。
◆天見もよいそうだ。勉強になる。
◆あとはメモ。5綿8社。明治20、大阪の木綿アウト。八木通商。国民会館(國民會館の創設者武藤山治は、私財を投入して昭和7年に社団法人國民會館を設立、翌年には大阪城のお堀端、天守閣の真正面に当時としては数少ない1200人を収容出来る「國民會館」を建設して、爾来九十
年近くにわたり、国民の政治教育を中心する公益事業を追求してまいりました。その間平成2年老朽化の為「國民會館住友生命ビル」として建て替え、)。以前に、考古学の研究会があって、建て替え前の国民会館に、1回行っていると思う。寺田紡績(明治45年4月 寺田利吉氏が資本金50万円で紡績業を操業)。奈良漬の元祖は、玉造で酒粕にウリを漬けたのが最初だとか。大阪の金持ちは、真法院町→帝塚山→御影と家を移したのだとか。
2022年5月29日、富山
◆地方史はおもしろいのあと、ヒストリア用の小文を3つ書こうと思っていたが、ひとつ目さえ完成しない。おお、大会報告はまだ遠い。19:30に研究室を出て、20:54のサンダーバードで、金沢、そして富山に入る。仕事じゃない。前から決まっていたもの。伏見城は4月末で終わりはせず、1ヶ月オーバーか。おかげで、GWもぜんぶつぶれた。富山はほっと骨休め。
◆水曜日だったか、やる気がなくなったと書いた。日本史で学内1000万研究費に応募し、プレゼンに進み、代表者として5月18日にプレゼンをやったわけだが、この日、不採択との連絡。結局、ぜんぶ理系。公立大学とやらは、大きな大学に勝てるはずもなく、勝負できるイノベーションに金を投じるのは、まあ普通だろうが、しかし公立大学として、大阪の歴史や文化など顧みない、ということかと思うと、腹立たしい。なので、日本史の学生・院生に対してはベストをつくすが、それ以外は、給料もらっている最低のことしかせんとこ、大学のために頑張るなど、報われない馬鹿げたことと悟る。もう、どうでもええ、と。
◆まあ、こういうのも一晩寝れば、やや落ち着く。が、しかし、ほんと、断れないものはやるとして、それ以外はお断りだ、という気持ちを忘れないでおこう。
◆水曜日だったか、やる気がなくなったと書いた。日本史で学内1000万研究費に応募し、プレゼンに進み、代表者として5月18日にプレゼンをやったわけだが、この日、不採択との連絡。結局、ぜんぶ理系。公立大学とやらは、大きな大学に勝てるはずもなく、勝負できるイノベーションに金を投じるのは、まあ普通だろうが、しかし公立大学として、大阪の歴史や文化など顧みない、ということかと思うと、腹立たしい。なので、日本史の学生・院生に対してはベストをつくすが、それ以外は、給料もらっている最低のことしかせんとこ、大学のために頑張るなど、報われない馬鹿げたことと悟る。もう、どうでもええ、と。
◆まあ、こういうのも一晩寝れば、やや落ち着く。が、しかし、ほんと、断れないものはやるとして、それ以外はお断りだ、という気持ちを忘れないでおこう。
伏見城の報告書、一段落
◆2022年5月27日夕刻、伏見城の確認ゲラの直しを指示して、一区切り。これが直れば印刷。6月10日頃にはできあがるスケジュールで動いている。疲れたし、この辺で終戦。
◆5月28日、地方史はおもしろいの、自分の原稿を最終調整(12:40)。再調整(13:18)。
◆5月28日、地方史はおもしろいの、自分の原稿を最終調整(12:40)。再調整(13:18)。
気を張ってやってきたが
◆やる気がなくなってきた。とはいえ、本日・木・金までは、なんとかせねば。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。