人を幸せにする人になろう

清水町の保田紙

◆旧清水町に行った目的のもうひとつは、和紙の産地だから。徳川頼宣が紙を作らせたのだとか。赤玉で食事をして、「和紙の体験館わらし」に向かう。清水温泉というのがあり、その手前に「あさぎり」という物販+飲食店がありコーヒーを飲む。そこで、和紙製品を2つほど購入する。「和紙の体験館わらし」は紙漉きを申し込んでいるわけではないが、どこだろうと、その奥へ進み、駐車場に車を入れて施設の方に入っていく。
◆そしたら、おばさんに待ち構えているような格好で招き入れられる。この方、鈴木孝代さんといい方。ここ旧清水町の和紙は保田紙というのだが、かつて400軒あった紙漉きは全部なくなり、ただ一人、この人が復活させ、保田紙を守り続けている。

有田川を下る

◆いまは平成大合併で有田川町となり、下流部は有田市(箕島)。
◆きれいな川が流れ、それにそって国道が続く。この川は有田川?、有田川でした。カミさんの実家から、驚くほど近い。26キロくらい。山越えではあるが、簡単に南の有田川水系に到達できる。
◆旧清水町の中心部に到達する。赤玉という店で「わさびすし」が買えるし、食べることができる(大和八木駅内・橿原神宮前駅内でも買える)。そこに到達。わさび寿司定食で、うどんのセットを猪肉香椒麺にする。そしてあまごのお造りを単品で注文する。赤玉という店は、70年くらいになるというが、食べながら、若い大将とカウンターのなじみ客の話を聞いていると、新しく大将が店を始めたようである。


旧清水町へ

◆一旦、紀の川側に戻るため国道480号線を梨木峠のトンネルを抜けたが、旧清水町に行ってみようということになり、引き返す。カミサンの実家の長谷宮から、貴志川を渡って山を越えて旧花園村(かつらぎ町飛地)に向かう。清水町はそこから谷沿いに下ればいい。目的は、わさび寿司。柿の葉寿司ではない、わさびの葉で巻いた寿司のこと。有田川の特産とわかったのは数週間前だったか、それを買いに行こうと。
◆旧花園村に抜ける。ここまでは来たことがある。が、そこから旧清水町へ下りたことはなかった。旧清水町は旧花園村から下って行った場所だったんだ、と学ぶ。数年前、旧清水町出身の学生が日本史コースにいて、演習では旧清水町の遺跡をまとめてもらった記憶がある。有田川の上流部だということはわかっていたが、近いイメージはなかった。しかし、旧美里町いまの紀美野町から山越えで南に行けば、そこが旧清水町でした。

2024年3月17日 旧清水町

◆本日、彼岸の入り。和歌山の墓参りに行くことにする。そのあと、職場に行くか、そのままどこかへ行くか、それは成り行き。泉福寺のお墓に行くと、和歌山名物、餅撒きの準備が行われていました。初午だそうです。初午って、何?、わかってませんが。
◆そのあと家に行き、仏壇の花を新しくする。この家、義弟の名義となり、売る話になっているようだが、どうなったのかな。

2024年3月16日 公大日本史第27号編集開始

◆去年は3月2日に半分弱くらいの原稿を入れている!。今年は集まりは悪いし、入稿もこれからだ・・・。今日から4月いっぱい、またこの仕事ですね。

足尾と田中正三

◆雑誌にまとめられた講演録の末尾です。

2024年3月16日 関隆志のこころ

◆さきほどトイレに行くと、むこうに4人の人影。用を足して出てくると、声をかけられた。西洋史院生だったK君とその奥さんと子供2人。いま同志社高校で教員をやっているそうだ。しばらく立ち話をする。奥さんは、発掘で1日通いで来てくれ、土嚢づくりをやらしたらしい。いや~なつかしいね。
◆そう、今日は2002年3月に退職された古典考古学専門の関先生が昨年亡くなられ、ちょうど一年後の追悼の集まりが田中記念館で午後に開催される。それに来てくれたとのこと。わたしが赴任して2年だけだが、同僚として過ごさせていただいた。わたしの研究室には、関先生から預けられたスライドのプロジェクタと、ギリシア関係のスライド3箱分がある。
【出席してきました】なかなか味のある会でした。先生は市大のあと宝塚造形芸術大学に移られたが、2004年のNHKのBS番組でパルテノンを取り上げた時、声優の女性と現地を訪れ解説する番組に出演し、その25分程度のダイジェスト版がまず放映され、そのあと関係者の言葉、そのあと歌と、長女の方の踊り(ダンサーで神戸大・准教授)が披露された。

嫁を大事に

◆こないだの一周忌に息子夫婦が、還暦の祝いをもってきてくれた。いろんなことを考え、記念になるようなものを用意してくれる。最初にもらった名刺入れは大事に使っている。今回のものは、少し先にまた報告します。昨年だったか、2回ほど相模原に行った記事を書きました。息子が、仕事上でいろいろあったようで休職していて、それに対応していました。おかげで、すっかり回復して仕事をしています。支えてくれているヨメに感謝です。
◆次は娘ですね。D3ですが、今年度博論が書きあがらず、半年後をいま目指しています。この人も調子がよくなかったりして、このブログにも書いたように函館までカミさんと話をしに行ったわけです。さいわい、こっちもいまは研究に取り組めているようです。9月修了なら6月には提出しないといけないと思うが、そこは見守りたい。北海道の水産関係の募集があると、カミサンのジャムステックの知り合いから教えてもらい、受けてみたら、と言っているが、どうなるかな。仲の良かった1学年の上の友達は、D3で博論を書き、大分県佐伯市にある国立の研究所で養殖の仕事に就き、このあいだ、一周忌のあと、その人に会いに行ったわけです。娘もええ年で、自分の人生だから、親がとやかく言うことではないが、とにかく次のステップへと進んでほしいもの。

網野銚子山

◆今度、年度末に出る報告書に10頁書いた。その出だしに、最初は、銚子山古墳とのかかわりを長く書いていたが、途中でぜんぶ削った。旧網野町時代に整備基本構想?の策定の委員会にかかわる。それから京丹後市になり、史跡整備の委員になり、発掘調査の最初から関わった。どうなんだろう、資料を調べてないのだが、これだけでも15年くらいはやっているのかな。最初の網野町時代、京丹後市になってからの、調査、整備の基本設計、整備事業、発掘調査報告書と、最初から最後まで一連の工程にぜんぶ関わってきた。そう多くはない委員として史跡整備等に係る案件の中で、ひととおりのプロセス全体にかかわったことになる。
◆で、この会議はなかなか楽しいしタメになる。とくにこの2年くらいか、活用にむかって委員を増やし、なかなか議論が楽しい。地元の方々が6人くらいいるのかな、あとは観光公社や地域振興の側の女性委員が4人入り、なかなか、それぞれの立場からいろいろ考えて発言され、バランスが全体としてと取れてるなあ、と。地元側は年寄りの男ばかりで、どっちかというと市側への要求姿勢が強いというありがちな面はあるが、福祉施設の活動にかかわっている人とか、保護審の人とか、アイデアを出したり、現実的な厳しめな発言をする人もおられる。
◆いよいよ来年のオープニング式典の話になってきた。物販とか飲食とか、屋台を並べた祭りにしてほしいなあ、と思う。それにしても、都道府県は、文化庁の言うことを仲介して紹介するのだが、文化庁の言うことがすべて正しいとは、こっちは思っていない。都道府県はそれが仕事ということはあるし、聞かなしゃーないという面があるのは理解する。が、ちゃうな、と思うことはいなしてほしいもの。

しんどなってきた

◆まあそんなことを、いろいろ考えておりました。
◆結局のところ、誉田が反正陵で、大仙が允恭陵ということについて、なんとか裏を取れないかな、と考えています。これ考古学的にもイケルと思うし、文献史側の対立論からしても、この組み合わしか考えられないと思うのですが。大仙、すなわちON46形式は、430くらいまでほんとに上がるのでしょうか。
◆朝、730に出て、1030には丹後大宮に到着。まずオートバックスに行き、エンジオイルを交換。次に眼鏡市場に行く。12月にフレームを変えたが、こないだまた踏んで折れちまった。レンズにも傷が入っており、イチから作ろうと。だが、前のレンズは特注のようで、取り寄せに1週間かかるとのこと。普通の老眼鏡レンズにするも、選んだフレームにわずかに幅が短いレンズしかなく、サイズの大きいものをこれも取り寄せとのこと。しかしこっちは3日あれば来て、月曜発送、火曜日に着くとのことで発注する。そこから網野まで行き、散髪屋を探す。なんとか見つけて、1時間強、ぎりぎり1330の会議にすべりこむ。

プラグイン

カレンダー

06 2026/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4
6 7 8 10
12 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索