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人を幸せにする人になろう

矢谷、糸井大塚

◆そのあと元就の吉田・郡山城へ行く。立派な資料館が麓にあるが、臨時休館。背後の丘陵斜面に 城がある。谷部の丘陵の低い側は、発掘遺構の表示やら説明看板もありそうで、本丸は山の上。雨の中、車道のある範囲、車のなかから見て回った程度。毛利の本拠地、その蓄積を知ることのできる資料館、空いてればよかったんですが。
 ◆中国道に戻り三次盆地へ。矢谷古墳、工業団地開発で発見され残されたもの。次が風土記の丘 (常楽寺古墳群・七ツ塚古墳群)。これがほぼ17時頃か。臨時休館。次に糸井大塚古墳。ぐるりと一周する。きれいに散髪してありました。第2号墳はどれなんでしょうか。
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吉川元春の隠居所

◆まえに宮づかえの時に行ったことがある。北広島町という山の中。屋敷地が石垣で一段高くなっ ており、景観はクゥンツゥルワシみたい。ここでは風呂が見つかったという記憶があり、整備されて間もなくの頃に行った時、その風呂の施設に行った記憶はあるが、違っていた。復元されているのは台所で、風呂は遺構表示。ここではトイレ遺構も検出されている。

岩国城

◆3月末の続き。岩国に戻る。以前に教室旅行で来たことがある。
◆河川敷の駐車場。そこから歩き、錦帯橋の手前で、橋単品かセット券かチケットを買う。よくできている。まあ、みんな渡るし、せっかくやからとセット券を買うのではないか。
◆ロープウェイで山の上に上り、城まで道が2つに分かれている。太い道から途中で山道に、城の南面に取り付く。展示はちゃんとしている(日本の代表的な各地の写真はすごく美しかった)。が、半分はやはり刀や鉄砲などの古い展示。出た頃には雨が。向かいにガイダンス施設がある。パネル展示がありビデオがあり、天守閣の古い展示に対し新しく作られ、こっちの方がよくできているわけです。
◆岩国藩は吉川さん。吉川広家のことを学ぶ。毛利本家を守るため動くが、関ヶ原後、領地保護は反故にされ、毛利本家は周防・長門にな り、広家は岩国に入り、なおも本家を守るという。城を造るも、1国1城令でわずか数年で廃城となったそうな。しかしこの復元天守。ほんとの天守台はやや北の位置にあって、これは再建する時に見上げるのにふさわしい場所にということで、南に出したのだとか。古い廃城でたぶん資料もないのだろうし、つくりものの天守ということになる。
◆雨。

2020年3月25日、花錦戸

◆肥後橋にある料理屋。なかなか予約が取れないという。大阪の歴史演習で一緒になったみなさん とのおつきあいも続いており、グーグルグループに入っていて、いろんなイベント情報が飛び込んできたりする。この花錦戸は、電話がかかってきて来ませんかと。
◆で、昼の食事を。そのあと、大同生命のビルにある展示室を見に行く。

テレワーク

◆新年度になる。定年まであと9年です。
◆いまテレワークをしているわけではない。ICTは使っているが、だからといって仕事の場所を選ば ない形で、職場とは別のところで仕事をしているわけではない。とはいえ、対面や紙資料によるのでなく、空中戦をやっているという意味では、そのとおり。
◆まだ自宅待機が指示されているわけではない。むろん全般として、不要不急の外出は避けろ、できるだけ外に出るな、という情勢であるが。職場でPCに向かっているが、とにかくメールが飛びかっていて、なんかそれを見て処理しているので時間が過ぎていくわけです。普段と効率がそう変わるわけではないが、まあしかしやたら飛びかっている。で、やらんなアカンことはあるが、そこにたどり着かないわけです。
◆写真はいなみ野の麦。

2020年4月4日、東京の長男が発熱し

◆4日、お葬式から帰った長男から熱が出たとの連絡。新型コロナなら、われわれも感染したかもし れず・・・。その後、熱は下がり、嗅覚・味覚も大丈夫とのこと。とはいえ、4日続けて熱が続くと電話をして検査となればシロクロはっきりする。が、熱が下がったのはよいことではあれ、これでは陽性だが軽度なのか陰性なのかが明確にならないので、不安が残る。自粛するほかありません。そして、自分がまわりに移していませんようにと祈るしかない。
◆4日(土曜日)は宝殿に行き、父の病院に行っていたわけだが、この熱が出たとの連絡が入ったわけです。母親はじめみなさんに移しては大変と、そそくさと戻ることになる。ライフで買い物をしていると、インスタントラーメンがあるブロックなかったりする。この日、念願の新しい靴とカバンを買いました。
◆そして5日の日曜日は、完全に自宅で外出をひかえておりました。この日はほぼ無為。
◆車のなかでダイコンが花を咲かせる。
【追記】長男は無事のようです。

医師の話

◆和歌山の病院の先生の話。尿道に管を入れていると、おしっこの仕方を忘れるのだという。口か らものを食べていないと、食べ方を忘れるのだという。
◆いなみ野の桜。

2020年3月31日、岳父の逝去

◆朝4時頃病院から連絡があり、和歌山に向かう。年末の母の葬儀の時にお願いした業者に依頼し、 13時、病院から遺体を送り出し、長谷宮の自宅に向かう。自宅に安置し、子供らには河内国分に来るよう連絡してあり、われわれは一旦、国分に戻り、着替えなども準備し、18:20には長谷宮に戻る。19時からお通夜。
◆翌日は11時からお葬式。12時に出棺し、五色台に向かう。13時、五色台の焼き場に着く。昼ご飯を食べて待つ。14:50頃、収骨し、長谷宮に戻る。17時から初七日の仏事。息子を橋本駅まで送り、さらに1泊する。
◆翌日、カミサンに橋本駅まで送ってもらい、職場に向かう。
◆90歳となっており、ほんとうに老衰で、痛みや苦しみなく逝きました。岳母が12月の21日に亡くなり、岳父は3月31日、カミサンは3か月で両親を亡くしました。

伝建、柳井の白壁のまちなみ

◆正式名称はともかく(「金屋」が入っていた)、伝建として、コンパクトながら、中心街路の一 定の長さの範囲で、あまり新しい立替建築のものがなく、両側とも白壁の町屋が続いている。
◆駐車場のある街並み東端に資料館(周防銀行本店)がある。そこで、なんかを絞って財をなしたという話が聞こえてきたが、聞き漏らした。その向かいの大規模商家は入らず、西に向かって街歩き。金魚提灯がはなやかです。竹細工おじさん。西行きで行きついたあたりに資料館。展示はよくできている。ひきかえし、ぬれせん。醤油?ソフト。若夫婦がやっており、マスクも手作りしたものがならべてある。
◆一旦、中断します。

柳井茶臼山古墳

◆へんな紹介ビデオ。2人の少年と熊毛王の娘。
◆まあ、4世紀第2四半期なんでしょうね。3段・2段はもうないはずの時期。墳丘のあり方は、王墓 を規範としつつ模倣する場合の姿を考える上で、ひとつの事例になるのかもしれません。
◆「柳井水道」という言葉がでてきた。いまひとつづきに見えるものも、もとは島で間に海が入り込んでいたのだという。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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