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人を幸せにする人になろう

富雄丸山の新しい図

◆航空レーザー測量図のチラシをもらう。円丘部直径110mはちょうど80歩。造り出しの出は5部。墳丘長さは85歩のようである。
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介護保険料

◆大阪市はほぼ8000円だそうです。
◆こういうの新聞社が問い合わせないと一覧ができないんですかね。国の省庁は、何をするところなんでしょうか。

もりとも

◆首相夫人付きのどこぞの省庁の役人が、イタリアに逃れている。

もひとつ

◆遺跡の規模を比較しました。

次は府中遺跡

◆です。 まあしかし、遺構の時期とかもわからんわけです。4世紀にひとつ画期があるようです。
◆弥生中期後半がある。後期は希薄。庄内も少ない。布留1くらいの土器も出ているが、まとまった量は布留2くらいらしい。自然流路を利用しながら区画溝的なものを作り、祭祀場が現れる。その時期の遺跡の中心は、なのでコの字形の溝の東側ということになる。V字溝と柱穴の話も面白かったが、それどれやねん!。わたしらにはまったくわかりません。
◆これが5世紀の中ごろまで。中頃から後半になると、府中でも北の調査でやはり祭祀関係かと思われる土器がまとまって出ているんだそうです。6世紀の話も聞いたが忘れた。6世紀前半までは遺物は出るが、後半はほとんどない、という話だったように思う。そして7世紀はほぼ見当たらないと。
◆報告書は時間がかかるだろう。しかしせっかくの再整理事業。報告書を動かしつつ、『市史』の記述よりもっと詳しい遺跡の概要をまとめた概報を出してはどうだろうか。そういうことを掘った範囲でしっかりまとめてほしいですね。
◆「地域研究なくして文化財保護なし」と言っておいた。府中遺跡の消長からどのような地域史像を考えていくか、それ自分たちの仕事ですよ、と(データを出すのが文化財職員の仕事ではない)。それによって、この遺跡は重要だとか、この遺構はなんとか残すべしとか、狭義の保護も、広義の文化財保護にもつながる。

いくつかの作った図

◆まずは・・・。やっぱりこういう図から作り始めます。資料には使わなかったが。

2018年3月21日、和泉市シンポ

◆駅前再開発事業でまとまった面積発掘した府中遺跡の再整理事業3年間の1年目で、古墳時代のマ ツリをテーマにお鉢がまわってきた。
◆この再整理事業は報告書を出すものではないらしい。が、なんといっても報告書を出す必要がある。府中遺跡は重要だが、われわれは『和泉市史』に書かれた記述でしか内容を知ることができない。和泉市史紀要で、ということだが、教育委員会の出版物には違いない。紀要といわず報告書として出せばいいと思う。和泉市の場合、いずみ中央の大住宅開発、そして駅前再開発。でかい事業で発掘に追われてきた。万町遺跡など住宅開発の報告書は出ているが、その後、報告書を出していくという筋道が、体制を含めて作り上げられてきていないように思う(和泉市に限らないが)。駅前再開発の発掘成果をまとめるのは、定年前後のあとの世代に委ねられるが、どうなるだろう。
◆定年前後の世代が、全部後始末をできないにせよ、できるだけのことをやり、かつ、掘ることに追われたにせよ、それではいかんと、後に委ねる後輩がよりよく仕事ができるよう体制を整えていくことが使命であろう。
◆古墳時代のマツリについて、にわか勉強の成果を1時間程度話をした。20日の文学部懇親会のあと、大学に戻り徹夜で資料を作り、出したのは朝方。そこからパワポを作り、なんとかこなしました。

2018年3月20日

◆今年度最後の教授会でした。いよいよ、うちの大学も90分×15回分と同等の授業時間確保に移行するようである。そのあと懇親会。退職者1名の送別会を兼ねる。

2018年3月19日、年度末清掃&追いコン

◆前から設定していたもの。経研棟の倉庫をまずは片づけ(写真)。次は301の展示室。次は127の考古学実 習室。年度末に購入したコンテナを暗室に入れるなどしてすっきり。最後は136博物館実習室。
◆これに加えてヒストリアのバックナンバーの片付けもやってしまった。これ今年の6月に2回目の廉価販売をやって、余分なものは処分する予定のもの。暗室に詰め込んでいたものをみなで整理。13時にはじめて、結局、1700過ぎまでみっちりと作業をし、各部屋ともきれいになった。いや~、2、3人でやっているとつらいものだが、人数がいるととても多くのことが一挙に片付きます。図書の登録予定のものの処理も。2回生2人もやってくれる。
◆そして3月10日の西陵の測量成果は最終的に突き合わせていなかったので、図面をならべ、みなで鑑賞する。4月に何回か出撃しようと話をする。
【追記】なお、新学科の部屋の確保のため、127考古学実習室は、3月末ないし4月初めに引っ越しをせにゃならんことになっている。
◆そこから心斎橋に追いコンにでかける。今年は卒論1本・修論1本・博論1本で した。うち2人は就職するので、その追いコン。なんと2回生をあわせると自分を入れて計9人となる(過去最多?)。地中海料理・・・。わたしの誕生日祝いのケーキが最後に出てきた。心遣いに感謝、ありがとう。まだ53歳ですが、22日に54歳になる・・・。

巨勢山323

◆それでもって昼14時には出て、巨勢山323の下見に行く。風の森峠を越え御所に入る。
◆前に調べていて、墓地のところから山を上がっていけばいいとは知っていて。どこだろうと一度通り過ぎたが、すぐにピンと来て、無事、墓地にはたどりついた。そこから山に取りつき、ここだろうというところにたどり着くも、開口した石槨は見つからず・・・。あそこでよかったのか、もうちょっといった別地点なのか、わかりません。巨勢山古墳群の看板は、山の北側のところにはあるのかもしれませんが、終末期の323はちょっと離れて西辺にあるんでしょう、とくに看板はない。ネット情報でブッシュがひどいとあり、その通りではあった。看板もとくになし。なんとかしてくれ~。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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