人を幸せにする人になろう

西陵の長持形石棺

◆大学時代の文献コピーをだいぶ捨てた。倉敷考古館の石棺シリーズのコピーが出てきた。がK大U 先生の本に第12集そのものがあった。そこからコピーしました。露呈している時代の写真も探せばあるのかもしれません。

で千歳車塚

◆同じ図録に載っている千歳車塚の図、こんなんしかないんですかね。なんで、測量をしないんだ ろうか。

神明山がなつかしく

◆新しい測量図。丹後古代の里資料館のパネルは、うちの新しい図を使ってくれていました。が、 世間的には前の図しか知られていないのでしょう。リーフレットにとどまらず、測量報告を作らないといけません。
◆うちの図面はよくできていると思いますが(相当苦労した)、同志社の図もすごいですね。ほとんどよく捉えているんとちゃいますか。後円部のイメージがちょっと太く見えはしますが、全体として、あの時代によく測ったものですね。

ちょうど図録を送ってもらい

◆今城塚歴史館の図録を見ている。 福知山にもっと古墳があってもいいよう にも思うが・・・。でもこれ、標高で切ってるので、平野がずいぶん広いように見えてしまっている、ということなんでしょう。
◆古墳の編年表。

2018ゼミ旅行若狭丹後(30)蛭子山にて

◆最後は、蛭子山後円部墳頂へりから2号墳側を見下ろす3回生G田さん。何を思っているんでしょうか。
◆いや~2日間、実に楽しかった。
◆ガソリンを補給し、16:30過ぎに現地を出て、18:30に天王寺に帰り着きました。

2018ゼミ旅行若狭丹後(28)白米山

◆道路脇。民間の管理地で柵で囲われてました。2段築成。なんで2段なんですかね、90mあったと 思いますけど。

2018ゼミ旅行若狭丹後(27)加悦谷へ

◆そこから峰山を抜け、加悦谷へ。南端の鴫谷東1号墳に行く。陸橋を掘っていた時に見に行った記 憶があるが、それ以来。それも連れて行ってもらったわけで、ほぼ何も覚えていない。場所の印象も、どこから古墳にアプローチしたか・・・。道路から山を上がり、別尾根を下ってたどり着くが、下からまわっていくのがいいのでしょう。陸橋と、下段の葺石の始まりを何となく覚えている。4回生のIさんが説明してくれる。2号墳に取りつく陸橋って、いったい何なんでしょうか。この古墳も2段でなく、意識としては下段があるようにも思うが・・・。
◆最初の発掘からは30年以上、というところ。看板はなかったですよ。大型円墳。墳頂はわりとガタガタしてました。

2018ゼミ旅行若狭丹後(26)赤坂今井

◆に行く。青松が通っていく。赤坂今井も国史跡になったんだったか。発掘から月日が経つ。看板 も古くなり、おそらく時間をおかずに整備へと考えられていたのだろうが、頂部の墓坑表示など、一定の整備を早く進めてほしいですね。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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