人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2016年6月18日おおれき新旧合同臨時委員会で関学へ
◆行きました。新しい代表委員候補のYさんも来られていた。うちの院生5人が庶務委員となるが、
うち3人が来てくれた。総会議案の検討をやり、決算・予算の検討をやり、予想していたより時間がかかる。いまの事務局長Tさんが、2000年代の大歴の予算の推移をグラフ化し、現状を整理いただいたことは、とても参考になる。さて2年間、わたしが事務局長の時うまくいくでしょうか。
◆そのあと、大会会場の下見にみなさんは行ったのですが、こっちは研究室棟に行き、いまの事務局の部屋を見せてもらい、荷物等の確認をする。いまはバックナンバーを持ち歩くことも最低限にしており(写真)(別場所に多くを保管)、引っ越し荷物はそう多くはないよう。7月からの、こちらの事務員さんの仕事環境も少し準備をしています。
◆そのあと、大会会場の下見にみなさんは行ったのですが、こっちは研究室棟に行き、いまの事務局の部屋を見せてもらい、荷物等の確認をする。いまはバックナンバーを持ち歩くことも最低限にしており(写真)(別場所に多くを保管)、引っ越し荷物はそう多くはないよう。7月からの、こちらの事務員さんの仕事環境も少し準備をしています。
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椿井大塚山
◆いったい何年ぶりなんだろう。測量してた時以降、立ち寄ったことがあったのかな。そうか史跡
指定のための発掘をやってた時見に行っているので、90年代後半には行ってますね。近藤先生とか、山城町のNさんが同窓会的に関係者を集めてシンポかなんかをやったのはいつのことだったろうか。
◆現地に行くと(そもそもなかなか行き着けなかったのだが)、前方部の西北角の家屋が更地になっていた。前方部北側面の土地を確保したのか、空き地ができあがっていて、そこから普段の通り、線路を超えたところから後円部に上がる。デジャブ。竹林はかなり整理されている。墳頂部には説明看板もあった。昔、何班かに分かれて測量した時、自分がどう動いて、どこを測ったのかも、もはや記憶の彼方です。
◆現地に行くと(そもそもなかなか行き着けなかったのだが)、前方部の西北角の家屋が更地になっていた。前方部北側面の土地を確保したのか、空き地ができあがっていて、そこから普段の通り、線路を超えたところから後円部に上がる。デジャブ。竹林はかなり整理されている。墳頂部には説明看板もあった。昔、何班かに分かれて測量した時、自分がどう動いて、どこを測ったのかも、もはや記憶の彼方です。
2016年6月19日佐紀古墳群見学会
◆天気はよくないが、学園前9時集合。自分+M・Y・A・I。
◆宝来山古墳+陪塚→五社神古墳(西くびれ部から背後の切り離しへ)+陪塚→佐紀陵山→佐紀石塚山+陪塚→瓢箪山古墳→塩塚古墳→平城京歴史館(すべての映像を見る)→法華寺→平城宮跡資料館。
◆よく見ると、どこかで見たような平面図。次数は246次。第五堂が238次だから、そうですよね、あの人の平面図以外考えられませんね。美しい。原図はこれでなければ。
◆コナベ+陪塚→ヒシアゲ+陪塚→ウワナベ
◆南山城に向かい、途中で昼飯。もう15時。
◆鋳司遺跡に向かうが到達せず。恭仁宮(山城国分寺)→山城郷土資料館→高麗寺→椿井大塚山古墳→学園前まで戻り解散(ほぼ18時)。
◆宝来山古墳+陪塚→五社神古墳(西くびれ部から背後の切り離しへ)+陪塚→佐紀陵山→佐紀石塚山+陪塚→瓢箪山古墳→塩塚古墳→平城京歴史館(すべての映像を見る)→法華寺→平城宮跡資料館。
◆よく見ると、どこかで見たような平面図。次数は246次。第五堂が238次だから、そうですよね、あの人の平面図以外考えられませんね。美しい。原図はこれでなければ。
◆コナベ+陪塚→ヒシアゲ+陪塚→ウワナベ
◆南山城に向かい、途中で昼飯。もう15時。
◆鋳司遺跡に向かうが到達せず。恭仁宮(山城国分寺)→山城郷土資料館→高麗寺→椿井大塚山古墳→学園前まで戻り解散(ほぼ18時)。
2016年6月13日(月)KR14埴輪整理
◆この日、大歴の委員会があり、総会資料の作成で、自分は不参加(ごめんな)。
◆袋ナンバー、106、119・120、123・124、126-128、131、133-137をやっつける。スターは形象89~98誕生。
◆袋ナンバー、106、119・120、123・124、126-128、131、133-137をやっつける。スターは形象89~98誕生。
坪井清足氏
◆土曜日に偲ぶ会?があり、大学院説明会の役を代わってもらい出席の返事をしたが、どんな会になるんだろうか。世代が違うので接点はわずか。研究所にいた時、山本瓦工業さんがいたので瓦業者の集まりか何かの会合ではじめて会った記憶がある(奈良ホテル?)。次は東京に居たとき、例年の速報展について、大阪文化財センターが全埋協の代表で、打ち合わせの会議でご一緒するようになる。がその程度。一度、それこそ奈良ホテルの瓦の会合の時に、葉巻に興味を示すと、「ほれ」と差し出されて吸ったことがあった。2008年に至り、大阪府の博物館問題の時に、役割上、坪井先生に2度ほど電話した。
◆『古代追跡』によると、1986年ナブンケン所長を退いており、これが大学4年生に上がる頃のことなので、大先輩ではあっても接点はないわけである。
◆『古代追跡』を読むとなかなか楽しい。直接よく知っているわけではないが、なかなかストレートだし、伝わるものがある。晩年、いまの埋文行政に対する批判的な発言を聞いたような気がするが・・・。研究所そして文化庁で、日本のマイブン行政の基本を組み立てた大先達である。
◆『古代追跡』によると、1986年ナブンケン所長を退いており、これが大学4年生に上がる頃のことなので、大先輩ではあっても接点はないわけである。
◆『古代追跡』を読むとなかなか楽しい。直接よく知っているわけではないが、なかなかストレートだし、伝わるものがある。晩年、いまの埋文行政に対する批判的な発言を聞いたような気がするが・・・。研究所そして文化庁で、日本のマイブン行政の基本を組み立てた大先達である。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。